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随筆再録    豊文堂書店 店主 豊川俊英 ・ 文


 第5回 「一冊五十円、三冊百円」

 私は古本屋です。毎日、毎日古本屋でもう十二年もやっています。
 私の店の外には粗末な小棚と台に置かれた小箱があります。 つぶれた炉端から貰った縁台と、これ又、その昔豆腐屋だった大家さんから頂いた豆腐用の木箱です。
 この均一本コーナーは開店以来ずっと、一冊五十円三冊百円です。 カバーがない文庫本を中心に、ちょっと過ぎたベストセラー、汚れて痛んだもの、 スーパーやデパートでの古本市に何回も出して売れ残り、遂に、ここにたどりついたもの、 本を売りにきたお客様が、引取ってもらえなくて、仕方なく置いていったもの等、 様々な運命の本がひっそりと並んでいます。
 一歩、店に入ると、もっと体裁の良い本、高価な文学書、全集、資料本等沢山ありますが、 それにも増して、外の均一本コーナーには数々のドラマがあるのです。

 その一、ほとんど毎日、均一台を覗く学校の先生と思われる方、 岩波文庫に異常な関心があり、ある時には、「こんなイイ本はここに置いてはいけない。 店の中に並べてくれ」と抗議して来ました。

 その二、年金生活のおばあちゃんで、小銭を固く握りしめてやって来ます。
長い時間をかけて三冊選び、嬉しそうにレジに差し出します。 大抵は五十円玉と十円玉です。体温で熱くなっている時もあります。
 時代小説が好きらしく、適当なものがないと、悲しそうに肩を落として帰られますので、 それらしき本がなくなると、きちんと補充しなくてはいけません。
 いつか話をする機会がありました。その時には、「私が読んでから、次に入院しているおじいちゃんが読む。 最後は町内会の老人クラブに寄附するよ」と言ってました。
 そのおばあちゃんも半年位、姿が見えなくて、つい最近、店の前を掃除していて久し振りに会いました。 おじいちゃんが亡くなって、御自身も、白内障がひどく、 「今度、手術をして良くなったら、又、通うから。保険が利くようになったので 思い切ってやるよ」と元気よくおっしゃいました。
 早く良くなって、又来て下さい。

 その三、天候が急変し、雨が降り出しました。
 「外の本みんな濡れるよ」と入り口のドアを開けて、通りがかりの人が教えてくれます。
 ぼやっとしていて、雨で全部駄目にした事が何回もありました。 いくら均一台の本といえども、濡れた本をゴミとして、紙として処分するのは、余りイイ気分ではありません。

 その四、店の中では、何度も場所を変えたり、安くしても何年も売れない本が外に出したら、 数時間で売れてしまう時があります。そんな時は損をしたというよりもほっとします。
 あるお客さんが言いました。「外の本は敗者復活戦だね」。
 本当にそう思います。ここで売れて行く本は幸せです。 均一本、特価本、最終処分本といっても、この売上で、店の電気代、時には、電話代まで出てしまいます。馬鹿には出来ません。
 物が大量に消費され、捨てられていく今の世の中ですが、そうでない世界も少しはあるのです。うれしい事です。

 今日も又、朝一番に、外に棚と箱を出します。 女房が作ってくれた専用の看板もつけます。 いつものおじさんがもう来ています。 保険のおばちゃんは今日は寄らないで忙しそうに通り過ぎて行きました。 公立大のお兄ちゃんは昼から来るかな?天気は大丈夫かな?
 今日も、又、始まりました。

  (「釧路春秋」 32号 1994.5 春季号より再録)


 第4回 「東蝦夷通信」

 又、鉄道線路が消えた(2月1日広尾線廃止)。
 現在の北海道の鉄道網は大正時代に戻りつつある。そして、町が、人が取り残されていきます。
 そんな過疎の町の小さなお店から古本市をやってくれと電話が入ります。
 それでは「行って来るべか」と愛車のハイエースにダンボール箱につめた本を積めるだけ積み、手製の看板も忘れず持って出発します。
 途中、牛や馬がのんびりと草を食べている原野や、白鳥が群れている湖など四季それぞれの景色を見ながら時には片道250kmも走ります。 運転に飽きると釣りをしたり、写真を撮ったりのんきなものです。 鹿と衝突しそうになったり、大雨の中、道路を横断する蛙の大群にぶつかったりする事もありました。

 約束の時間に到着すると、早速、店の軒下や、催事場に本を拡げます。 ぽつりぽつりと子供や、お年寄りが集って来ます。 この町には古本屋は勿論、新刊屋さんもないのです。
 「この前来た時注文された『家庭の医学』、『時代物の小説』、『数学の参考書』持って来ましたよ」
 「今度いつ来るの?」
 「雪の降る前頃に又来ます」。
 こんな事が昨年は何回もありました。 まるで富山の薬売りか縁日の露天商のおじさんのようです。

 五年前に開店して、田舎の古本屋だけど、古書目録も年に数回発行、東京や札幌にも二月に一回位は出掛けて しっかり勉強して黒っぽい本が少しはある店にするんだ……。
 この「目標」は一体どこに行ったのでしょう。 昨年は遂に目録は発行出来ませんでした。 店売り、目録・催事、欲張り過ぎました。
 しかし私には段々、寂しくなっていく町や村を忘れる事が出来ないようです。 コミック、文庫、料理や編物の本、喜んで買ってもらえます。 すっかり催事専門の古本屋になってしまいました。 良いのか、悪いのか、どうしてこうなってしまったのか、自分には良く分りません。 しかし、そこに町があって、人がいて、本をほしがっているのは確かです。 待っていてくれるのです。
 今年も「来てほしい」と電話が入って来ています。

 国鉄マンの息子として育ち、十三年間のサラリーマン生活を経て古本屋になった私が、 鉄路や駅のなくなった町やこれからなくなろうとしている町に古本を持って行く、何か複雑な気持です。
 そんな訳で、次回の当店の目録は「鉄道特集」を中心としたものを作る予定です。 鉄道と北海道の開拓、生活がテーマです。 ボロクソに言われて国鉄が解体して行くこの時期に何かの因縁でしょう。 国鉄マンとして一生懸命働いてきた親父の無念さを晴らすため、 そしてこれ以上、鉄道・駅をなくさないためにも意義のある目録にしようと思っています。
 この拙文が掲載される頃、雪のちらほら残る原野や山を見ながら、どこかの町に向かって走っている事と思います。

 (「彷書月刊」 1987年4月号 特集・古本屋 所収 「東蝦夷通信」 より再録)


 第3回 「石川啄木」

    馬鈴薯の花咲く頃と
    なれにけり
    君もこの花を好きたまふらむ

 この歌で思い出されるのは子供の頃、近所の悪ガキ連と海や川に遊びに行った事である。 今はなくなったトンケシの浜や新川(今の釧路川)の河口で釣りをしたり、 ザルや手ぬぐいで小魚を獲ったり、水のかけっこをしたりして昼になると、 それぞれが家から持って来たおこげがほとんどのにぎりめしを食べた。 それでも足りなくて、近くの畑から馬鈴薯、大根、人参、キュウリなどを失敬してきて食べたものだ。 悪い事だとは知りながら……。
 大根、人参、キュウリは生で食べたが、このいもだけは駄目で、たき火をして焼いて食べた。 啄木のすばらしい文学的な歌から、こんな不謹慎な事を思い出している自分が恥ずかしいが事実だからどうしようもない。
 古本屋という立場でこれまで啄木の本に接してきたが、本の数の多いのにはあきれるばかりです。 子供の本、文庫本、研究書等、戦前、戦後を通じて、いつの時代にも啄木のファンはいたようです。 今、手元に昭和十三年に出版された「長篇小説 石川啄木、戦時体制版」があります。 満州、朝鮮、台湾、樺太の外地定価八十三銭、二万部発行とあります。 その当時外地にいた人は、どんな思いでこの本を手に取ったのでしょう。 私も何かの縁で古本屋になり、啄木の本を通じていろいろな方とも親しくなり、 これも啄木のおかげだと思っております。 これからもずっと啄木の本を通じていろいろなドラマが展開されていくと考えます。

 (くしろ啄木百年記念の会・編/発行 『釧路の啄木』(昭和61年11月10日 初版) 所収  「くしろ啄木一人百首随想集」 より再録)


 第2回 「古本屋の親父」

 「古本屋の親父」と「古書店店主」、どっちがイイ?良く聞かれます。 「酒屋の親父」と「リカーショップの社長さん」のようなもので実体に大した差はありません。 ただ何となくイメージが違うのです。 このイメージとやらが大変な曲者で、商売のうまい人は上手に使い分けているのだと思います。
 昔からのカビ臭く、暗く妖しい店が秘境に入った探検隊のように、 「何かある、きっと何かある」と予感させてくれて好きだという方もおられます。
 それとは逆に近年の全国的傾向ですが、店内は明るくコンビニ風、駐車場も広くあり、 値段も解りやすく大体半額、レジもあり店員さんは若く小ざっぱりしていて、 きちんとした接客用語で応対してくれる。 BGMもナウい曲を流してくれるのでこっちの方がいいという人が増えてきました。
 今日も又、どちらかと言えばカビ臭く今風でない店への御出勤です。 時代は急速にいろいろ変ってきていますが、やっぱり私はこの店がとても好きです。 女房には怒られますが、自宅にいるよりもずっと落ち着くのです。
 浮世を離れて別天地とはこの事かなと思った矢先、お客の一言、 「親父、この本少し安くならんかい」

  (「釧路春秋」 33号 1994.11 秋季号より再録)


 第1回 「古本屋とみかん箱」

 伊予の○○みかん、有田の△×みかん、JA和歌山農協とか書いてある、ごく普通のどこにでもある『みかん箱』。 しかし、この箱のお陰で、全国の古本屋がどれだけ助かっている事か。特にマンガ・文庫・新書本などについては、 収納、運搬、経済性、どれをとってもこれ以上のものはないと思います。
 ひと昔前迄は、布で作ったヒモを使ったりもしていましたが…。お客さんから本を買入れる場合でも、 電話で「みかん箱にしたら何箱位ですか?」なんて聞いてしまう時もある位です。 少なくとも私の店では一つの単位になっています。
 たまねぎ箱、煙草の箱とか他にもいろいろありますが、大きからず、小さからず、やはり、みかん箱が一番です。 ほとんど只で手に入るし、店に置いてもその明るい色柄は何となく陰気な店内を変えてくれます。 使っているうちに、マジックインクでいろいろ書かれたり、ガムテープを貼られたり、段々汚れて痛んできます。 一つの箱で、一年近く繰り返し使ったものもありました。 そして最後の最後はゴミ箱として役目を終えるもの、資源ゴミとして解体され、回収されていくもの、本当に良く働いてくれました。
 みかん箱となるダンボール原紙は、私達の釧路の製紙工場で生産されたものが多いと聞きました。 ちょっぴりうれしい気もします。
 古本屋に限らず、引越し収納、その他、みかん箱にお世話になっている人は沢山いると思います。 私もこれからも、みかん箱を大切に、仲良く古本屋商売を続けて行くつもりです。

  (「釧路春秋」 38号 1997.5 春季号より再録)

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