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常連さんのリレー連載 「本を繋げて」

豊文堂書店の常連さんが書き手にまわる 「本を繋げて」 という連載コラムを設けました。
本に魅入られ、ときに格闘しながら、歩みをともにしてきた方々が、とっておきの話を持ち寄ってくださいます。
いずれも広い意味での 「発見」 にまつわる物語になるでしょう。
本を繋げて人を繋いで、読書の愉しみ、探書の悦びが少しでも身近になりますように。


 岩村誠二さんの 「北海道 本の旅」 の第22回です。 ご自慢の紙ものコレクションの中から 「豊文堂書店の品位を損なわない」 麗しのすすきのバー チラシを選んでご紹介いただきました。

 第42回 「北海道 本の旅 22  1960年代すすきのバー チラシ
                                          岩村誠二 ・ 文


 ●「1960年代すすきのバー チラシ各種」

  BAR No1 (ススキノ銀座街)   BARハワイ (南5西4ススキノ銀座街入口南角)

    BAR No1 (ススキノ銀座街)    BARハワイ (南5西4ススキノ銀座街入口南角)

BARエキサイト (南5西5) BARビキニ (南6西3)

BARエキサイト (南5西5)             BARビキニ (南6西3)


  バー ブルースカイ (南6西3)   クラブ ニューダンサー (南6西4南向)
   バー ブルースカイ (南6西3)   クラブ ニューダンサー (南6西4南向)
  
クラブ六本木 (中の島1-1)

クラブ六本木 (中の島1-1)


 これらのチラシを2008年くらいに豊平神社骨董市で忘れてしまうくらいの低価格で入手していた。 観光地の絵葉書やパンフレットは保存されることが多いが、この手のチラシは店に行ったら捨てられるもので残っていたのが非常に珍しい。
 昭和の高度成長期を記録するもので再度入手するのは困難と思われ、コレクションのベスト10に入る。

 入手したものは全11枚、内2枚が同一店 (内容異なる) で10店。 1店だけ中の島1条1丁目 (幌平橋の東) であった。 このうち、豊文堂書店の品位を損なわない7点の画像を紹介する。

 中の島の店を除くと、南4〜6条 西3〜6丁目のすすきのの範囲の店のものであった。 チラシに書かれている飲み物の価格を見ると次のようになっていて、1965年頃のものではないかと思われる。


  ・ビール200、230、250
  ・酒100, 150、200
  ・カクテル 200、250、300
  ・ウイスキー 150、200
  ・ハイボール150

 サイズはB6でペラペラの紙に黒でない1色または2色 (黒と黒以外、黒以外の2色) で印刷されていて、 すすきの交差点 (当時の市電すすきの停留所) 付近で配布されたと思われる。

 1965年当時にはタウン誌 「月刊さっぽろ」 (1959年の創刊当時は 「札幌百点」) が刊行されていて、 毎年4〜8月のいずれかの号が全編 「夜のさっぽろ」 となり、すすきのを中心とした飲食店紹介になっていたので、 これに掲載されているかと思ったが、1店も載っていなかった。
 どうやら、このようなチラシを配布していたのは2〜3流店のようである。

 通常の地図には個別の店が解るようなものが無かったが、 推定年代より少し新しい次の号に南4〜5条、西2〜5丁目の主な店が掲載された イラスト地図 があったので引用する (リンク先を参照)。


                                            (2016年3月2日掲載)


 岩村誠二さんの 「北海道 本の旅」 の最新回は、幻となった半世紀近く前の札幌冬季オリンピックの会場計画案を取り上げます。 現在、札幌市は 2026年 冬季オリンピック・パラリンピックの招致 を進めているところ。

 これまで1ヶ月に1度の更新をつづけてきた当欄 「本を繋げて」 ですが、本年より2ヶ月ごとの更新に変わります。


 第40回 「北海道 本の旅 21  招致資料からみた1968年冬季オリンピック会場計画」
                                          岩村誠二 ・ 文


 東海道新幹線開通、東京オリンピックが開催された、ほぼ半世紀前の冬季オリンピック招致資料を入手していたので紹介する。

  ■札幌での冬季オリンピック招致の変遷

 札幌で過去に開催された冬季オリンピックは1972年の1回のみであるが、 招致活動を行ない招致できなかったことが2回、夏のオリンピックとの組合せで開催が決定・中止となったことが1回ある。

  ・1940年第5回
 1964年東京オリンピック以前は、夏期・冬季とも全て欧米で開催されていて、 第4回冬季オリンピックまでは夏期大会開催国で冬季大会も開催されていた。
 この年の夏期大会が東京に決定し、国内冬季大会候補地としてほかに長野、新潟、日光があがったが、1937年6月9日のIOC総会で札幌に決定した。
 しかし、日中戦争、第2次世界大戦のため1938年7月16日には中止が決定した。 この大会は正式決定したため関連資料が結構残っている。


  ・1968年第10回
 1964年東京オリンピックが1956年11月に決定し、 戦前は夏冬同一国開催が通例であったため国内での冬季オリンピック招致がはじまり札幌市のほか 山形市、日光市、新潟県湯沢町、長野県白馬村など8ヶ所が立候補したが、国内で札幌市にしぼられた。 1964年1月のIOC総会1回め投票で51票中6票しか取れずグルノーブルに決定した。
 招致活動の記録などが残っていると思われるが、招致冊子3点を入手している。 「札幌オリンピック冬季大会資料目録」 では第10回招致資料として15点が取り上げられている。


  ・1972年第11回
 第10回招致に失敗したあとの日本への招致は札幌に絞られていたようで、「新札幌市史」 にも他の都市の記述が無い。
 実際に開催された大会で大量の資料が残っていて、北海道立図書館に図書以外の資料を含むコレクションがあり、 「札幌オリンピック冬季大会資料目録」, 北海道立図書館/編発行, 1974/02/10, B5, p56 に記録されている。


  ・1984年第14回
 1977年から札幌市で冬季オリンピック再招致の動きがはじまり、1978年のIOC総会でサラエボ39票、札幌36票まで行ったが招致できなかった。 「新札幌市史」 ではこの大会について1ページしかさいていない。
 反対が多かったようで札幌市議会議事録や各種報道の記録はあると思うが、その他の資料は僅かしかないと思われる。


  ■1968年第10回冬季オリンピック招致冊子

 札幌市内の同じ古書店で2007年に外国語版を2点、2011年に日本語版1点をそれぞれ500円という格安で入手していた。 入手時点では、実施された第11回大会のものと一緒に扱われていて、第10回の招致資料とは気がつかなかった。

 ●A「1968アジアで初の冬季オリンピックを札幌へ」, 発行者記載なし, 1963/03, 19x21cm, p10

表紙  国内向けのものでこれが一番最初に作成されたものと思われる。
 巻頭に北海道知事・町村金五と札幌市長・原田与作の巻頭言が載っていて、 全会場配置図、スキー場コース (回転:手稲山/滑降:恵庭岳/距離:藻岩山・砥石山付近)、ジャンプ台 (藻岩山南斜面)、 スケート施設 (円山球場付近)、選手村 (真駒内)、過去の競技写真、裏表紙に札幌の標高図 (手稲山/藻岩山/恵庭岳) が掲載されている。






 ●B「Sapporo 1968 - Tenth Olympic Winter Games 1968 for Sapporo」, 発行者記載なし, 1963, 19x21cm, p20

表紙  海外向けのもので英文と仏文が併記されている。
 表紙からも解るように、競技とは直接関係ない日本趣味の写真が本文中にも含まれている。

 奥手稲スキー場の滑走風景、札幌中心市街地からの手稲山を望む風景、近郊の山の風景、 市街地の夏秋風景、雪の市街地風景、テレビ塔や中心部のビル、雪まつり風景、藻岩山スキー場風景、 屋外スケートリンク、手稲山風景と続いた後に全会場配置図、札幌の標高図、スキー場コース、ジャンプ台、スケート施設が続き、 過去の競技写真の後に選手村が入る。

 この後は北海道山岳風景、千歳空港除雪風景、積雪季札幌市内道路風景、千歳空港日航ラウンジ、 日航航空機 (DC-8)、菊人形、女性スキーヤーの写真が続き、 裏表紙は、世界から日本への航空路線図と日本国内航空路線図が掲載されている。
 競技施設についての情報は7ページしかない。


 ●C「SAPPORO JAPAN - TENTH OLYMPIC WINTER GAMES 1968」, 発行者記載なし, 1964, 30x21cm, p20

表紙  海外向けのもので英文と仏文が併記されている。
 前2点は、中央部ホチキス綴じの体裁であるが、これはプラスチックのリング綴じである。

 表紙は雪まつり真駒内会場で、その後に日本人形、雪まつり雪像上の親子、中心市街航空写真、郊外への道路風景、 積雪季市街道路風景、着物の女性、サッポロピールの紹介、家族連れで賑わうスキー場、夏の大通公園、 スキー場・屋外スケート場風景と続いた後に全会場配置図、手稲山・藻岩山・円山公園・中心市街地を望む航空写真、 札幌の標高図が入り、海外からの観光客、スキーヤーの紹介が入る。

 過去20年間の2月の日毎の平均天候情報として、気温、湿度、風向、風速、積雪深、降雪量の表、スケート施設、 競技施設配置図、恵庭岳スキーコーズ図、選手村、ジャンプ台、距離スキーコース図 (距離別に3ページ)、 東洋の冬季スポーツ都市のアピールが続き、裏表紙は世界と日本国内航空路線図が掲載されている。

 競技関連情報が12ページを占め、海外からの来訪者の情報も含むので、こちらがIOC総会での資料として配付されたものではないかと思う。


  ■1863年頃の札幌の状況

  ・市域
 1955年に琴似町、札幌村、篠路村を合併し、1961年に豊平町を合併していた。 手稲町の合併は1967年であるので、招致の段階では手稲山は旧琴似町の南側山裾附近だけが札幌市内であった。


  ・交通事情
 まだ地下鉄は計画すら無く (計画が出てくるのは第10回大会招致失敗後)、市街地の交通は路面電車が主体であった時代である。
 手稲・円山・藻岩方面への道路が提案されているが、1964年に決まったとしても間に合ったのかどうかと思われる。

 円山への観客輸送は円山公園入口まで市電が利用できたと思うが、スケート施設の計画図を見ると円山球場が駐車場となっていて、 札幌駅や大通地区からのバス輸送を想定していたと思われる。


  ・除雪
 「新札幌市史」 によると、1960年の主要事業計画で475kmの市道除雪目指したとあり、 1961年頃からはバス会社の協力で民間バス路線も除雪が行われるようになったとある。
 招致資料には市街地中心部の冬季道路風景が掲載されているが、競技施設のある山間部への道路の除雪事情はどうだったのだろうかと思う。

 さっぽろ文庫75巻 「札幌の冬」 (1995) によると1950年代後半には中心市街地の排雪が始まっていたが、 1969年の段階でも市道の除雪対象が715km, 排雪対象が100kmでしかなかった。


  ■招致冊子内容紹介

 3点の資料から特徴的と思われるページを紹介する。

 ●競技場の位置

全会場配置図 (B)  大ざっぱにみると、手稲山、円山・藻岩山、恵庭岳の3地域にまとまっていて、第11回大会と較べるとコンパクトなようだ。
 この縮尺だと真駒内の選手村は円山・藻岩山地域に含まれる。 これに対応した各地域の標高図が添えられている。







 ●競技場の標高

札幌の標高図 (A)












 ●スキー競技場

ジャンプ台 (C)  ジャンプ台の構想写真が掲載されているが、藻岩山スキー場にジャンプ台構想画をはめ込んだもので、 このいいかげんさがIOC総会での1桁得票に繋がった気がする。
 第10回招致計画は全般的な準備不足もあると思うが、この構想写真は特にひどすぎると思う。















 ●氷上競技場

 第5回大会ではボブスレーも予定されていたが、この大会では準備されていなかった。

スケート施設 (B)  現在の地図と較べると、円山競技場にスピードスケートコースを設置して、周辺に屋内スケートリンク、アイスホッケーリンクを配置し、 円山球場を駐車場とする計画だったようだ。
 球場を駐車場にするとはおかしいと思ったが、日本語版には球場に自動車を止めた図が入っていた。

 雪の季節であるので、適度な積雪を残しておけば球場が傷まないと考えたのだろうが、これも評価を下げる要因になったと思われる。


スケート施設 (A)











 ●選手村

選手村 (C)  添えられている航空写真を見ると、1963年当時でもすでに真駒内地区の団地などが建設済みであったことが解る。 第11回大会の時に選手村が建設されたあたりと思われるが、具体的な場所を特定する情報は見つからなかった。















 ●外国語版に於ける札幌の紹介

中心市街地から見る手稲山 (B)  都市の中心部から近いところにスキー場があることを強調した写真を利用したと思われる。










市街地の屋外スケートリンク (B)  市外中心部に3つのスケートリンクがあると紹介されている。 左上の写真は大通公園公園のようだ。
 太平洋岸の苫小牧などと較べると、積雪の多い札幌では管理が大変だったと思われる。









市街地の道路交通、着物姿 (C)  上の写真は、メインストリートは常に除雪されていることを示しているが、着物の女性は表見返しの日本人形と同じ日本趣味の紹介のようだ。
 1964年の東京オリンピックの招致資料でもこの手の情報を入れてあったのだろうか。














東洋の冬季スポーツ都市  東洋の冬のスポーツ都市札幌とスキーは70年の歴史、スケートは50年の歴史とのPRが裏見返しに掲載されていて、 背景は札幌駅前にあった五番館デパートショーウィンドウ (スキー用品展示) である。
 五番館は、昭和戦前期まで農耕機具なども販売していたことから、この当時はスキー用品も販売していたのだろう。














                                            (2016年1月2日掲載)


 岩村誠二さんの 「北海道 本の旅」 の第20回をお届けします。 12月にふさわしい内容になりました。

 第39回 「北海道 本の旅 20  半澤先生あて 「グランドホテルのクリスマス」」
                                          岩村誠二 ・ 文


 北海道大学農学部の半澤洵先生は、納豆菌を利用した納豆の製造法改良で有名であり、 その著書の 「納豆製造法」 や納豆容器改良会発行の雑誌 「納豆」 を入手したいと思っているが、これらは未だ入手できていない。
 しかし半澤先生あての札幌グランドホテルのクリスマスパーティー招待封書一式を入手していた。

 先生は1879年現札幌市内の白石村で生まれて、1897年に札幌農学校予科を卒業して札幌農学校 (有島武郎と同級) 農学科にすすみ、 1906年東北帝国大学農科大学助教授に就任した。
 1911年には欧米13ヵ国に留学して1914年に帰国し応用菌学教室に参加し、1916年には教授に就任している。 納豆の製造改良に取り組み著書や雑誌を発行し、1938年には北海道帝国大学農学部長に就任している。

 招待封書は1935年12月のもので農学部長就任前のものである。(文献0) による)


  ■グランドホテルのクリスマス

 封書にはパンフレットと申込葉書が含まれる。 申込葉書が残っていたのでこのクリスマスパーティーには参加されなかったようだ。
 封筒の消印が昭和10年12月4日となっていて、 申込葉書には12月24日 (火)、25日 (水)、昼之部 (午前11時)、夜之部 (午後5時) の計4回のクリスマス祭会員券申込枚数が 大人、小人毎に記入できるようになっている。
 この時代はクリスマスイブの1回だけでなく4回もやっていたようだ。


 ●札幌グランドホテルのクリスマスパーティー招待封書一式

昭和10年12月4日消印の封筒 グランドホテルのクリスマス 表  2009年に札幌市内の古書店店頭で他の紙もの資料と一括で格安で入手していた。 グランドホテル、半澤先生双方の資料としてかなりの珍品であると思う。

 出所は別にしても封筒やパンフレットの絵がこの時代を感じさせる。 入手時点で半澤先生が桑園博士村から他に移転して65年経過していたのによく出てきたものだと思う。



グランドホテルのクリスマス 本文 申込葉書  他に半澤先生のものがあったわけで無いので、他のコレクターが手放したものと思われる。










 ●関連資料

 この年のクリスマスパーティー会場の写真がたまたま 文献1) に載っていたので取り上げておく (65ページに掲載されている写真)。

昭和10年12月24日のクリスマスパーティーの会場  写真には壁に接した柱が写っていて室内の柱が見えないため、 この部屋は2階図面の大食堂 ( 文献1) ではレセプションルーム) で開催されたようである。 大食堂には上階が無く高い天井で、クリスマスツリーは4m近くあったものと思われる。




 文献2) 2階部分図面

2階部分平図面









  ■半澤洵博士の住居

 封筒の宛先には市内北六条西十二丁目ノ二と書かれていて、この住所はいわゆる桑園博士町で、 札幌農学校時代からの長老格教授などの住宅がまとまって存在した場所である。

 「桑園博士町 『村会日誌』」 というドキュメントが 北海道大学学術成果コレクション (HUSCAP) サイト からPDFとして取得できるようになっていて、PDFファイルの4ページめに桑園博士町の地図と航空写真が掲載されている。

 5ページめ居住者一覧によると、半澤先生は1911〜1944年頃までここに住まわれていたようだ。
 桑園博士町の区画は、札幌市街地の標準的な1町角四方を東西仲小路で南北に区切って、 その片方を4世帯に配分するのが基本になっていて、 現在の札幌中心部のビルのサイズでみると、大通西2丁目北陸銀行や南1条西2丁目 IKEUHI-GATE に相当する広大さである。 現在からは想像もつかない屋敷町であった。


  ■札幌グランドホテル

 札幌グランドホテルは1934年12月に開業した道内初めての本格的なホテルで、 札幌駅前通りに面しているため各種絵葉書にも取り上げられていて多数の資料があるが、 1935年のクリスマスパーティーに関連しそうな資料を取り上げる。

 ●「札幌グランドホテル」, 札幌グランドホテル/編発行, 1934年/発行, 折畳みサイズ22x10.5cm (5つ折り), 全サイズ22x51.5cm

開業時パンフレット  以後のパンフレットでは、札幌駅前通りの歩行者や街路樹が写った写真を利用しているが、 この建物の写真は竣工時のものと思われ発行年を推定した。
 広げた表紙面は、英文案内と位置図が3折りに書かれている。

 裏面5折りには、日本語でフロア案内や食堂をはじめとする各種施設案内が書かれているが、 客室についてはわずか4行の記述しかなく、和室/洋室と浴室つき/なしの4タイプだけである。 5枚の室内写真が掲載されている。

 文献1) に書かれているとおり、宿泊以外の売り上げがメインであることがよく解る。 筆者のように朝食付きの格安ビジネスホテルばかり利用している人間にとっては別世界である。


 ●「御食堂御案内」, 札幌グランドホテル/編発行, 1935年/発行, 折畳みサイズ9x13.5cm, 全サイズ9x26cm

御食堂御案内  左側のフロア図で解るようにホテル客室は2フロアしかなく、これからも宿泊以外の売り上げがメインであることがよく解る。

 裏面の説明に地下食堂がとりあげられていて、新春より御目見得と書かれていることから、開業翌年発行と推定した。

 文献2) の平面図には地下食堂がなく、 文献3) の商工会議所地下に食堂があることから、こちらの食堂のことを言っていると思われる。



  文献0)
 ●半澤先生と納豆については seesaawikiの納豆項目 を参考にした。

  文献1)
 ●「札幌グランドホテルの50年」, 阿部要介/編, 三井観光開発/発行, 1985/04/25, B5, p215

札幌グランドホテルの50年  2002年に札幌市内古書店店頭の屋外格安本棚に、状態の良いものが300円であったのでありがたく入手していた。 現在、日本の古本屋でみると痛みありで2,700円, 本体問題なしのものは3,500〜6,300円ででている。

 敗戦後に進駐軍に接収され、1952年秋に接収解除された時にはベッドの他にミシン1台、 三面鏡7台, ピアノ1台しか残っていなかったとの記述がある。

 開業時の平面図なども含め、戦前期の資料が全く残っていず、 この社史のタイトルも通常であれば50年史あるいは50年誌とするところを表記のものにしたようだ。
 グランドホテル自身の資料が少ないせいか、札幌や道内の行事との関連にかなりのページがさかれているため、むしろ興味深い内容が多い。


  文献2)
 ●「札幌グランドホテル平面図」, 札幌グランドホテル/発行, 1934年, 52x38cm, 1枚

札幌グランドホテル平面図 (全体)  2011年に札幌市内古書店の紙ものコーナーで、他のものと一括で単価500円程度で入手した中に含まれていた。
 建物総面積が 文献1)文献3) とも一致しているので竣工時のものと判断した。

 この平面図では、建物として一体になっていた西側の商工会議所が完全に省略されているにもかかわらず、総面積が同じのままである。 1階が北海道庁商工奨励館となっていて、駅前通り側がショーウインドウとなっているのが解る。






  文献3)
 ●「会誌 第4号」, 畑山英一/編, 札工建築会/発行, 1935/05/15, B5, p28

札工建築会会誌 第4号  武田一夫,「札幌グランドホテル並商工会議所新築工事概要」 が p8-14に掲載されている。 今年の5月に豊文堂書店新着に出ていたものを入手した。 若干傷んでいるが1000円と格安、札幌市立、道立、国会図書館いずれにも所蔵されていず掘り出しものであった。

 札幌グランドホテルの開業式は 1934/12/11。 工事が完了した後に発行されたこの雑誌の上記記事が札幌グランドホテル建築について一番詳しい情報と思われ、 3点の文献中、商工会議所部分図面が掲載されているのはこれのみで、地下食堂の謎を解くのに役立った。

 札工とは当時南14条西12丁目 (現北海道札幌視聴覚支援学校の場所) にあった北海道庁立札幌工業学校のことで、 現在は北海道立札幌工業高校として北大の西側にある。


                                            (2015年12月1日掲載)


 「北海道 本の旅」 の第19回目は、岩村さんが資料整理中に見つけた戦前の札幌市電気局観光バスの絵葉書から生まれた一編です。 およそ80年前のバス旅行の様子を想像しながらお読みください。

 第38回 「北海道 本の旅 19  札幌市電気局観光バス 乗車記念絵葉書」
                                          岩村誠二 ・ 文


  ■札幌市電気局観光バス絵葉書

 今から10年くらい前の1年間程度の期間に、ここに取り上げる札幌市営観光バス (正確には札幌市電気局の観光バス) 乗車記念と思われるスケジュール入りの絵はがきを入手していた。
 この4点が揃った頃には、電気局観光バス運転開始の1934年〜1938年の5年間×6〜8月の45日 = 225回として、 200種類程度は出ていたであろうと想定してまだまだ出てくると思ったが、その後は全く入手できなかった (内地からの戦前期北海道周遊団体旅行の写真帖を入手できたものは6〜8月のみ、戦前にはこの季節以外の観光団体はごく僅かと思われる)。

 他のバラの絵葉書と一緒に入手していたので入手価格は解らないがオマケみたいなものだった。 1枚だけの単品としてみたらどうということの無いもので、市場に出回らないのだろうと思う。

 画像の文字が小さくて読めないため、それぞれの文面を以下に示す。 明らかな誤字の修正、旧字を新字への書き換え、〃 (同上) を具体値への書き換えを行った。 文面中の (注) から右側は筆者のコメントである。
 転記していると、写真面をただ眺めていたときには解らなかった各団体の性格が見えて来て疑問もいろいろ出てきた。



 ●A (団体出発地なし、日付けなし)

みなさま ようこそ
  サッポロ をお訪ね下さいました
本日の御遊覧順路は
 札 幌 駅 A 11:40 北大構内ヲ回リ
 三   越 P 0:00
  P 1:00 北一条通リヲ西行
 札幌 神社 P 1:10 (注) 北海道神宮
  P 1:40 大通逍遙地ヲ通過   (注) 大通逍遙地は大通公園
 中島 公園 P 2:00
  P 2:30 室蘭街道ヲ通リ   (注) 現国道36号線
 月寒種羊場 P 2:50 (注) 現羊ヶ丘の北海道農業研究センター付近?
  P 3:40
 真駒内種畜場 P 3:55 (注) 現自衛隊真駒内駐屯地〜南の駒内市街付近?

 ●B (岡山からの団体、日付けなし)

おなつかしい
 岡山のみなさま ようこそ
  サッポロ をお訪ね下さいました
本日の御遊覧順路は
 豊 平 駅 A 9:54 (注)定山渓鉄道豊平駅(1969年廃止豊平4条9丁目
       じょうてつドエル・アイム豊平の位置)
       定山渓温泉宿泊団体の札幌市内遊覧と思われる
 豊 平 駅 A 10:20
▲中島 公園 A 11:00
▲三越デパート A 11:10
  …御昼食…  
 三  越 P 12:40
▲札幌 神社 P 1:25 (注) 北海道神宮
▲植 物 園 P 2:10
 北大 校庭 P 2:20
 札 幌 駅 P 2:50 (注) 発は着の誤植と思われる
  ▲途中下車御案内個所
……札幌市営バス……

 ●C (東京からの団体、1937/07/21)

おなつかしい
 帝都のみなさま ようこそ
  サッポロ をお訪ね下さいました
本日の御遊覧順路は
 札 幌 駅 A 9:45
 札 幌 駅 A 10:00
 北大 校庭 A 10:10
▲植 物 園 A 10:45
▲札幌 神社 P 11:20 (注) 北海道神宮
▲三越デパート A 11:30
  …御昼食…  
 三  越 P 1:00
▲月寒種羊場 P 1:50 (注) 現羊ヶ丘の北海道農業研究センター付近?
 豊 平 駅 P 3:15 (注)定山渓鉄道豊平駅、発は着の誤植と思われる
     定山渓温泉に宿泊する団体と思われる
  ▲途中下車御案内個所
……札幌市営バス……
昭和12.6.21. 水曜日

 ●D (団体出発地なし、1937/08/08)

 みなさま ようこそ
  サッポロ をお訪ね下さいました
本日の御遊覧順路は
 豊 平 駅 A 10:00 (注)定山渓鉄道豊平駅
       定山渓温泉に宿泊した団体の市内視察と思われる
▲札幌 神社 A 10:40 (注) 北海道神宮
▲総合グランド A 11:00 (注) 円山競技場
……グランドにて記念撮影……
▲植 物 園 A 11:40
 北大 校庭 A 11:50
▲ビール会社 P 12:50 (注) 現サッポロファクトリー、ここは見学のみ?
▲グランドホテル P 2:30 (注) ここで昼食・休憩?
▲孵 化 場 P 3:30 (注) 所要時間から中の島にあった孵化場と思われる
▲中島 公園 P 4:50
 い く 代 P 5:00 (注) 南3条西4丁目にあった札幌を代表する料亭
  ▲途中下車御案内個所
……札幌市営バス……
昭和12.8.8. 日曜日



 筆者の記憶では個人の観光客が乗車できる観光バスがあると思っていたが、 「現JTB北海道案内オンパレード」 (注:「北海道 本の旅」 3〜6回を参照のこと) でとりあげた戦後版の内容と混同していて、戦前期の観光バスは団体専用であった。 このことを確認するために、戦前札幌の観光案内や札幌市電気局のパンフレットをひっくり返してしまった。

絵葉書宛名面  4点とも絵葉書下部に 「お土産品は 展望札幌随一の 三越」 の広告が入っていて、 宛名面切手の位置 には三越のマーク入りである。

 札幌の三越は1932年 (昭和7年) に開業した当時としては新参のデパートであるが、 1937年11月に丸井今井が7階建て+航空灯台に改築終了 (改築前は三越が6階、丸井今井は4階建て) するまで 建物や設備は三越の方が勝っていたため、観光バスの利用客を取り込めたものと思われる。
 丸井今井の改築が終わった翌1938年の状況が解れば興味深いが残念ながら資料が見つかっていない。


 Bの最終地札幌駅とCの最終地豊平駅の時刻が 「発」 となっているので、 当初は接続する列車の発時刻と思いこの当時の道内時刻表を調べたが該当する列車が無く、 「着」 の誤植と推定したが、それでも前の見学地の発時刻からの所要時間が長すぎるので疑問が残る。

 このようなスケジュールの不自然さが容易に解るのは、 豊平駅 (2005年まではじょうてつ不動産部として残っていた) 以外の当時の市街地の施設が80年前と同じ場所に現存するためで (中の島の孵化場は水産総合研究センター北海道区水産研究所札幌庁舎として孵化事業は行っていないものの同位置に残る)、 首都圏の政令指定都市では想像のつかないことであろう。

 札幌市電気局の観光バスを調べるために次の資料を参考にした。


  ■バスガイド向け説明本

 ●「札幌名所案内」, 札幌市電気局/編, 札幌市電気局/発行, 推定1934年刊, B6, ひも綴じp33

本文1ページめ 表紙  現在でも観光バスガイドが車中での沿道説明として同様なものを利用しているが、この時代からあったようだ。 内容を見ると、次のような章立てになっていて出発は札幌駅である。

 ・豊平川左岸の旧市街地

 ・月寒種羊場、平岸付近

 ・室蘭街道経由支笏湖まで定期観光バスではないので毎回コースが異なり、 毎回コースに合わせて説明するので新人ガイドにとっては難しかったと思われる。


  ■札幌市交通局の局史

 ●「札幌市交通事業三十年史」, 札幌市史編集委員会 田中潜/編, 札幌市交通局/発行, 1957/07/20, A5, 写真p23+序p4+目次p2+写真p4+p274

カバー  戦前の記述は大部分市電についてのもので、 さらに自動車事業中の観光バス (大型貸切自動車) については次の車両数が解る程度の記述しか無かった。

   年    台数
  1934    5
  1935    10
  1936    10
  1937    10
  1938    5   ガソリン規制により減車
  1940/11 廃止

 大型貸切自動車といっても定員25名程度の現在のマイクロバス相当の車両で、内地から来た団体に対応するにはフル稼働していたと思われる。

                                            (2015年11月1日掲載)


 野山ねこ道さんが2回目の登場です。 残念なことにこれが最終回でもあります。 句作をたしなむ ねこ道さんなので、またいつか俳句にまつわるエッセイが再開されることを期待しましょう。

 第37回 「読書変歴 2  本を手に取り 悩む楽しみ」
                                          野山ねこ道 ・ 文


 一番最初に本を自分で買ったのは中学生の時だったと思う。 某有名作家の文庫本だった。

 下校途中に寄った書店で何となしに文庫本コーナーに立ち寄ったのがきっかけだった。
 装丁と立ち読みした本文に惹かれて、その日から書店に行く都度、棚にお目当ての本があるかを確認するのが楽しみになった。
 そして、買おうか迷う。 手元には僅かなお小遣い…。
 さてどうしようかと悩み、大体の場合、もう少し待ってみようということになった。

 今でも衝動的に本を買うことが少ない。
 良さそうだなと思った本があると、何ヶ月か様子を見て、それでも記憶にあり、欲しいと強く思った本を購入するようにしている。 (さすがに、何度も棚を確認はしなくなったが…)

 当時、店員さんには不審に思われていたかもしれない…。
 肝心の本のタイトルを忘れてしまったのだが、長文が苦手だった私が続きが気になって眠れなくなるくらいの長編青春物語だったと思う。

 思い返すと、図書室で手に取る本は書店に置いていない文芸書で、書店で手に取る本はそれ以外の現代小説であった。
 恐らく、書店で文芸書を探すも見当たらず、小説の棚に興味が移ったのだろうと思うが、 図書室と書店で読もうと思う本が違うのは私ぐらいではなかろうかと思ったりもする。

 とはいえ、ひと口に本と云っても様々な類の本があるので、拘らずに色々な本を手に取ってみることで、知識や世界が広がり面白い。

 本の中には、計り知れない大きな世界が詰まっている。
 本はひとりの人間の世界を広げると同時に、世界全体を繋げていく力を秘めているように思う。
 未知の世界の扉を開く鍵となり知識の泉がこの先も絶えず、繋がり続けることを祈りたい。




                                            (2015年10月1日掲載)


 釧路在住の橋井由高さんが2回目の登場です。 ここに書かれているのは、本が好きな方であればどなたも思い当たるものではありますまいか。 まこと音読するにふさわしい流麗な文の連なりをご賞玩ください。
 ―― かくして私はひねもす女たちのしどけない姿態に囲まれて過ごす。


 第36回 「平成ダダイズム 2  貴女を買いに」
                                           橋井由高 ・ 文


 私は古い町の裏通りで、まだうら若い娘が身を売るのを見る。
 彼女は美しく活発な顔をして、過ぎ行くものたちに媚態のない純朴な目を向けている。
 私は思わず彼女の手をとり、その指の細さとみずみずしさにため息をつく。
 お前のような美しいものを一体誰が手放そうと図るのか、無情なひともあるものだ。

 また或るとき、同じ裏通りで私は聡明な婦人がもの静かに佇むのを見る。
 誰を待っているのかと尋ねると、彼女は無言のまま柔らかな笑みをたたえて私の目を覗き込む。
 その手を取らずとも、長い年月に渡る生活の労が甲に刻まれているのがわかる。
 装いから香る品のよさは、婦人が後生大事に愛されていたことを語っており、私は見知らぬ良人にひどく嫉妬する。
 寡婦にございますから、唇から漏れる言葉のなんて高貴なことだろう。
 到底おれには釣り合わぬがと卑小さを喉の奥で噛み砕き、私は貴婦人の肩をそっと抱く。

 表通りは華やかに着飾った女たちが賑やかに群れていて目にまぶしい。
 皆新聞に書いてあるのと同じ話題を繰り返し喋っている。
 美しいが、それだけのように思えて私は目を伏せて通り過ぎる。
 もしかしたら彼女たちの中にも上等な語り手はいるのかもしれない。
 しかし私は多くの、同じ顔をした女たちの中から、そのひとりを見つけ出すだけの貪欲な精 (いきお) いを遠い昔に置いてきてしまった。

 私は娘や婦人たちに囲まれながら静かで孤独な毎日を送る。
 かつては多くの友人で賑わったこの妾宅も、ついに来る者は絶えた。
 昔は皆自慢の女を引き連れ、品定めの目を露に互いを褒め讃えたものである。
 最先端の流行り女を求めるもの、異国の女が好きなもの、古風を好むもの、安価で一夜だけ旅先に連れていくもの、 官公が貸し出す人妻たちには手が出ねえとぼやいたもの、さまざまな価値観が飛び交い、論議は夜更けまで続くこともあった。

 私は再び通りの書店を訪ねて回る。
 まだ新しい糊のきいた本を眺めて回る。
 煤けた紙の色と活版印字の懐かしさをめくってみる。
 図書館の棚の前でなるほどこれが人妻かと苦笑する。

 本は優しい女たちである。




                                            (2015年9月1日掲載)


 岩村誠二さんの 「北海道 本の旅」 の18回目は単発ものとなりました。 蒸気機関車が姿を消しはじめる70年代、 関東在住の10代の鉄道ファンがどのように趣味の活動に勤しんでいたのか、その一端がうかがえる内容です。


 第35回 「北海道 本の旅 18  1970年代に入手の電車部品」
                                           岩村誠二 ・ 文


 中学の頃に鉄道模型を作成していたが、実物にも興味を持ちだし電車区に行ったこともある。
 1972年頃にローカル線の電車区に行った時に、係の方が不要な部品をくれたのでありがくいただいてそのまま保存していた。 引っ越しの時に箱に詰め込んで忘れていたが、本の保存場所が無くなり不要と思った箱を処分しようとしたら、その中の1つに入っていた。

 当時は国鉄の蒸気機関車の完全廃止間近で蒸気機関車の不要となった部品が販売されることがあったが、電車の部品はゴミでしか無かった。 戦前製の車両なので現在では使われていないものばかりであるので、紹介したい。


つり革
 つり革






モーターブラシなど  A 主電動機ブラシ (新品)
 B 主電動機ブラシ (摩耗したもの)
 C 架線吊り金具
 D 電動発電機もしくは空気圧縮機電動機ブラシ
 E 窓のつまみ
 F 低圧回路接点
 G 低圧回路ヒューズ






 これらの部品がなんであるかは後に入手した専門書により解った。

 以下に鉄道についての知識を得るために入手した本を入手順に取り上げる。 いずれも発行された時点での最新情報を取り上げているが、現在では過去のことを調べるための資料といえる。



 ●「最新 鉄道車両工学」, 久保田博 著, 交友社 発行, 1968/07/15初版1970/05/10改訂3版, A5, 序・目次p7+本文p260, 定価1000円

「最新 鉄道車両工学」  1972年頃の高校1年の時に入手したものと思われる。 「鉄道ファン」 誌に載っていた広告を見て出版社から直接購入した。
 神保町には鉄道書を多数扱う書泉グランデが既にあったと思うが、このころは東京の書店までわざわざ行くようなことはしていなかった。 技術書であるが、全ページアート紙で写真が豊富なので鉄道ファンに読まれることも考慮されていたと思われる。
 日本の古本屋で 「鉄道車両工学」 というキーワードで書名により検索すると、出てくるのはこの本のみで、1,000〜2,000円である。



 ●交友社の本

鉄道図書総合目録  交友社は戦前から存在する鉄道関専門出版社で、現在でも一般の書店に 「鉄道ファン」 誌が置かれている。 継続して新刊を発行しているのはこの雑誌のみのようである。
 国鉄の分割民営化前は、画像のように36ページもの 「鉄道図書総目録」 を出していた。


 多数の鉄道業務関連書、鉄道趣味書を発行していたが、 現在は鉄道趣味書の在庫 (一番古いものは1977年発行) と一部の鉄道業務関連書の在庫および改訂版 (最新は2010年版) を販売している。

鉄道図書総合目録 「最新鉄道車両工学」
 現在の交友社 鉄道図書目録


 交友社の東京支店が駒込にあり1973年には都営三田線が開通したので、 前項で取り上げた 「最新 鉄道車両工学」 を入手した翌年から何度か購入しに行ったことがある。
 1975年に大学に入ってからは、神田すずらん通りにある東京堂書店 (当時は木造?2階建) に交友社出版物がほぼ全点置かれていることが解ったので、東京支店には行かなくなった。

 国鉄分割民営化が実施された1987年には、まだ東京堂書店に揃っていたので、 後で購入しようと思っていた寒冷地の保線に関連した本が、10年後くらいに気がついたときは入手できなくなっていたガッカリした。 その後15年以上経っているがいまだに入手できていない。





 ●「鉄道百科事典」, 北田勳 著, 交友社 発行, 1952/04/15初版, A5, 序・凡例などp7+目次p17+本文・索引p1020, 定価1500円

「鉄道百科事典」  1974年に神奈川県の古書店で750円で入手した。 当時でも小遣いで楽に入手できる価格であった。 鉄道の趣味書は当時でもそれなりの価格であったが、 住宅街近くの古本店では実務的なものは文芸書と較べるとどうでも良いような格安であった。

 国鉄の組織、旅客貨物輸送、列車、使用施設について歴史、 現状を分野別に解説した事典で当時の国鉄について網羅的に知ることができる。 特に、鉄道連絡船、国鉄自動車、車両の室内設備、通信設備などの情報が今となっては貴重である。
 現在日本の古本屋では痛みありで3,500円、保存程度に特に問題ないものは5,000円台〜15,000円で出ている。



 ●「電車と電気機関車」, 福崎直治、沢野周一 著, 岩波書店 発行, 1964/04/30第1刷 1964/11/10第2刷, A5, 写真p5+序・目次p16+本文・索引p412, 定価1300円

「電車と電気機関車」  1975年の大学入学後に父が購読していた岩波書店の 「図書」 誌の新刊案内にこの本が載っていたのを見て、 たしか神保町の信山社に行って購入した。 発行年は10年以上前なので倉庫に埋もれていたものが出てきて新刊として販売したのであろうと思っている。

 戦後に岩波書店で鉄道の技術書を出したのはこの本だけのようだ (戦前には岩波全書に鉄道関連技術書が何点かあり)。
 現在日本の古本屋では1,500〜9,000円程度で出ている。



 ●「電気鉄道」, 渋谷寛次 著, 共立社 発行, 1936/09/28発行, A5,序p1+目次p6+本文p380+索引p8, 定価2円50銭

「電気鉄道」  1976年に上野にあった京成デパート (現クレジットのマルイの場所) の古書市で1,800円で購入していた。 この当時京成デパートでは年に数回古書市が開催され、鉄道関連本が多数出ていたのでその都度何点も購入している。 また上野駅は大学への通学路の乗換え駅だったので1回の古書市で何度も寄って本を見ていた。

 購入時点で発行から40年経っていたが、 この当時はまだ戦前の流れをくむ旧型電車が多数現役で残っていてその仕組みを知るのに実用となった。
 現在日本の古本屋では傷んだものが1点だけあり、3,000円で出ている。



 ●「鉄道車両工学」(共立全書96), 横堀進 著, 共立出版 発行, 1965/02/05初版, B6,序p4+目次p4+本文p293+索引p8, 定価480円

「鉄道車両工学」 「原子力機関車」  1976年に神保町古書店店頭の均一本台に150円で出ているものを購入していた。 当時の神保町では新しい内容のものが出ている戦後の技術書が100円程度で転がっていたので、 土曜日 (当時は半ドン) の大学の帰りに頻繁に寄り道して均一本台を中心に見ていた。


 技術書としては小さい版型であり写真は僅かしかないが図が豊富で、 蒸気機関車も載っていながら当時現役バリバリの車両の情報が載っていたので参考になった。

 また、現在では信じがたいが原子力機関車の構想が載っている。











 ●「鉄道書三百選」(共立全書96), 鉄道ピクトリアル 編, 鉄道図書刊行会 発行, 1974/10/25初版, B6,目次p1+本文p64, 定価300円

「鉄道書三百選」 目次  この本は 「鉄道ピクトリアル」 通巻300号 (1974年12月) に掲載された記事の別刷である (画像をクリックすると拡大します)。 次の号あたりに別刷発売の広告が載って購入したと思う。

 この文章を書くために元の雑誌を参照したところ、印刷会社だけでなく、 日本民営鉄道協会、鉄道車両を製造する大手電機メーカーの300号達成祝賀広告が載っていた。
 現在の鉄道趣味誌には旅客鉄道会社の営業広告が載ることはあっても、 鉄道車両製造メーカーとしての大手電機会社の広告が載るようなことは無いので驚いた。

 鉄道の本を入手するときには、この本に載っているものを優先して購入し、入手した本の書名に万年筆でアンダーラインを引いていた。
 少なくとも1980年代前半までは、この本に取り上げられている戦前発行の鉄道関連書が神保町の古書店に転がっていた (岩波全書は店頭の均一本として!)。

 目次にあるように広い分野の本が網羅されていて、旅行案内書まで手を出していたことが 当 「北海道 本の旅」 の第1回 で取り上げた北海道のものを収集することにつながっている。




                                            (2015年8月1日掲載)


 鈴木好生さんの80年代中学生ライフの最終回です。 スポーツとは縁遠い文化系一色に染まった日常が加速するかと思いきや、応援団在籍時の話が飛び出すとは……。


  第34回 「本と共に歩んできた人生  第8章 花の応援団/第9章 パソコンソフト」
                                       鈴木好生 ・ 文

  第8章 花の応援団

 ガクラン姿に赤い鉢巻を頭に巻き、白いたすき掛けをして手は後に組み仁王立ち。 手には白手を着用、団長の打ち奏でるドラムで全身に響き渡る重低音のリズムに合わせ魂の旋律を唱えながら 手旗信号の如くポーズをとるのである。

 これは決して、本宮ひろ志によるペンの世界を語っているのではない。 当時は応援団の一員としてエールを送った時期があったのである。

 この応援団は期間限定の部活である。 当時は帰宅部のエースであった。

 球技大会に伴い1クラス若干2名一番声が出そうな人を捜していたのである。 どういう訳か、前回演劇でバーゴン役を演じたK村くん (仮名) と原住民役の私とで勝手に応援団部員として決まり、 教室内は満場一致の喝采であった。

 その日の下校途中、体育館の外で応援団らしき人たちが早々と練習していたのである。 素通りしようと試みたが、そこは問屋が卸すはずもなかった。
 その日から球技大会が行われる本番の日まで、毎日発声練習を行ったのである。

 さて、当時は球技大会本番当日の日、各部活の部員達にエールを送った私ですが、この頃読んでいた本は次の通りである。

 11. アニメ雑誌 他
 12. 中西やすひろ 「Oh!!透明人間」

 11のアニメ雑誌は、アニメージュ、アニメイト、アニメV、OUTなど一つに固定せずに幅広く見たのである。 カープファンの友人の影響により、アニメのストーリーの中に完全にのみ込まれたのである。
 この調子でオリジナルビデオアニメーションの方向にベクトルが向いたのであった。

 12はコミックである。
 主人公はイクラが嫌いで、ある日イクラを食べたら透明人間になってしまい、興奮すると元に戻るというストーリーである。 友人がケガで入院したので、2人でお見舞いに行く途中、書店に立ち寄りコミックを買ったのである。

 値段は360円であった。 2人で200円づつ出し合って購入して彼のいる病院へ向かったのである。 4巻を彼に買って渡したのである。
 退院後、彼の家に遊びに行くと1巻から5巻まで揃っていたのには驚いたのであった。

 それ以来、熱血硬派を体験し、ラジオ番組のストーリーに深入りし、 アニメに熱中し、友人のコミック短期収集に驚いた中学生がここにいたのである。

  第9章 パソコンソフト

 パソコンを持っている人は数少なかったのである。
 この当時はパソコンではなくマイコンと呼ばれていた時代である。 持っている人は親が買ったか、買ってもらったかのいずれかであった。 マイコンの持っていない人はナイコンと呼ばれていたのである。

 ゲームソフトは現在のようなCDではない。 一昔前のフロッピーディスクでもない。
 それ以前のカセットテープである。
 再生すると “ピーガリガリ・・・” という音がするのである。 歌2〜3曲分の長さがあるのである。
 気の短い人には不向きな代物であった。

 南大通の眼科付近に数年前はゲームソフトレンタルのお店があった。 レンタルしてはそのテープをよくダビングしたのである。
 ゲームのプレイ時間よりもむしろ、ゲームのダビング時間の方が多い時代であった。

 さて、当時はゲーム中心の生活な私ですが、この頃読んでいた本は次の通りである。

  13 .雑誌 「Login」
  14. 雑誌 「マイコン BASIC」
  15. ムック 「オールアバウト NAMCO」 

.  13、14はパソコン雑誌である。
 13はどちらかというとゲームソフトの紹介、攻略がメインである。
 14は各メーカー対応のマイコンのプログラムリストが掲載されているのである。 それとアーケードゲームの必勝攻略も記載されているのである。

 15はナムコアーケードゲームの攻略本である。 その他、ゲームの楽譜が記載されているのである。

 当時、パソコンも持っていなかったため、それ以来ゲームソフトを持参して電気店に訪れては展示のパソコンに入れて遊んだり、 ファミコンを借りたら必ず夜更かししてしまう中学生がここにいたのである。

                                     中学生時代編おしまい

                                            (2015年7月2日掲載)


 NHKの連続テレビ小説 『マッサン』 で改めて脚光を浴びたニッカウヰスキーの創業者・竹I政孝。 岩村誠二さんの膨大な郷土史コレクションの中から、かの 「日本のウイスキーの父」 にまつわる品を選んだ全2回の後編です。
 「余市町観光案内」 と 「ニッカウヰスキー販売促進品」 でお届けします。



 第33回 「北海道 本の旅 17  竹I政孝 「ウイスキーと私」 など 後編」
                                           岩村誠二 ・ 文


  ■余市町観光案内
 ●「観光の余市」, 余市町・余市観光協会/編発行, 推定1950年代後半発行, 34 x 37.5cm 折り畳みサイズ B6, 両面印刷

表面 広告面  人口 28,591人の記載があり、余市町ホームページにある 「余市町勢要覧2012年版」 記載の 1960年人口が28,659人であることから発行年を推定した。

 案内図の余市駅前にニッカウヰスキーの表記があり、 写真ページには 「スコットランド的風味年産8億円 ニッカウヰスキー工場」 の説明付き写真が掲載されている。 この時代から余市町の主要産業だったのであろう。 余市港の水揚げ4億円の説明がある。
 2011年に札幌の古書店にて1,500円で入手していた。



 ●「琥珀色のまち よいち」, 余市社交飲食組合/編発行, 1989/11/01, 18.5 x 8.5cm, p66

左/表紙, 右/表見開きのニッカ広告  政孝は1979年に亡くなったので、没後の発行は今回取り上げた中ではこれのみである。 ニッカ広告ページに2014年からの 「マッサン」 放送期間中にスーパーのチラシにも引用された竹I夫妻の写真が掲載されていた。
 2008年に札幌の古書店にて100円で入手していた。









  ■ニッカウヰスキー販売促進品
 ●「ニッカ手帳」昭和32年版, ニッカウヰスキー/発行, 1956/12, 15 x 9.5cm

左/表紙, 右/表見返し  販売店向けに配布した手帳と思われる。 一般的な手帳の内容以外に次のようなページがある。

 ・ニッカ製品価格一覧表

 ・ニッカの生ひ立ち

 ・石数早見表 (ビンの容量区分と合単位の容量)

 ・白紙のメモページ (6ページ毎に写真のような一口知識有り)

 ・あなたはバーテンさんになれます (コクテールの作り方)

  -洋酒類として用途
  -ニッカコクテール集
  -コクテールの器具
  -洋酒グラスのいろいろ
  -メートル法換算一覧

 ・営業所及び工場所在地

左/表見返しの次,右/本文ページ見開き (左側のボトルは栞として入っていたもの, 右は白紙6ページ毎に入っている一口知識)  2011年に小樽の古書店にて200円で入手していた。
 ニッカに限らず会社が顧客などに配布した手帳が未使用の状態で出回ることは殆ど無いので珍品と思われる。 60年近く経っているのに表紙が軟らかいのでよく見たら本革製であった。






 ●「カクテル処方早見表」, ニッカウヰスキー/発行, 推定1958年頃, 15.5 x 10cm

「カクテル処方早見表」

 矢印を作りたいカクテル名に合わせると、切り抜かれた隙間からカクテルのレシピとカクテルの作り方を見ることができる。 消費者向けに頒布されたものと思われる。
 一括して入手した紙ものにまぎれて入っていた。 これも新品同様の状態で保存されることは殆ど無いと思われるので珍品と思われる。






 ●「ニッカボッカ」第2号, 新富製版印刷PR編集課 ニッカボッカ編集室/編, 1958/11/01, B7, p43, 頒布価格 送料共24円

左/表紙+裏表紙, 右/目次見開き  ニッカウヰスキーのPR誌、酒店で扱っていると書いてあるので頒布価格はバックナンバーを請求する時のことであろう。
 実質的な発行元はニッカウヰスキーと思われるが外注に出していたようである。 寿屋 (現サントリー) の 「洋酒天国」 と較べると知名度は遙かに低いと思われる。
 2011年に創刊号と合わせて札幌市内古書店にて500円で入手していた。


                                             (2015年6月1日掲載)


 今冬、さっぽろ雪まつりの開催に合わせて、本欄に雪まつりの絵はがきコレクションを提供してくださった岩村誠二さんが、 NHKの連続テレビ小説 『マッサン』 に連なるコレクションを新たにまとめてくださいました。
 前後編に分けて全2回でお届けします。 後編は 「余市町観光案内」 と 「ニッカウヰスキー販売促進品」 です。



 第32回 「北海道 本の旅 16  竹I政孝 「ウイスキーと私」 など 前編」
                                                    岩村誠二 ・ 文


 2014年9月末から2015年3月末まで、NHKの朝ドラとしてマッサンが放送されたが、 この主人公の竹I政孝に関連した資料を以前から入手していたので取り上げる。

 「ヒゲと勲章」、「ウイスキーと私」 は4月の時点でそれぞれ8,800〜20,000円、3,800〜5,400円という とんでもない価格で日本の古本屋に出ていた。 朝ドラの効果絶大である。
 他にニッカウヰスキー関連の資料も格安で入手していたので紹介する。


  ■竹I政孝関連
 ●「ヒゲと勲章 ウイスキー革命は俺がやる」 歴史を作る人々シリーズ, ダイヤモンド社/編発行, 1966/06/10, 新書, p174+写真p16, 定価250円

「ヒゲと勲章 ウイスキー革命は俺がやる」  2010年に小樽の古書店にて300円で購入していた。
 このシリーズは製造業の社長・会長を取り上げているが 食品工業のカルピス、 雪印乳業のものは4月の時点で日本の古本屋で500円、1,620円とそれほどでもない。

 竹I政孝およびニッカウヰスキーが情報を提供してダイヤモンド社内で執筆したものと思われる。 発行元とタイトルからすると、次の本よりこちらの方が経営的な観点からの記述が多そうに思えたが、割合として似たようなものである。




 ●「ウイスキーと私」, 竹鶴政孝/著, ニッカウヰスキー/発行, 1972/02/01第1版, 1977/04/20第7版, A6, p229+写真p12, 非売品

「ウイスキーと私」  2006年に札幌の古書店にて500円で購入していた。
 日本経済新聞社の 「私の履歴書」 に執筆した内容に、社外の3人の文と竹I政孝略歴・ニッカウヰスキーの沿革を加えた内容である。 基本的な内容は 「ヒゲと勲章」 と同じであるが、こちらの方が後の刊行である分新しい情報が入っている。 また写真が本文中に入っているので読みやすい。
 いずれの本もリタ婦人についてさいているページ数は少ない。

 朝ドラは竹I政孝本人が述べているのと異なる脚色があるので、 初期の国産ウイスキーについて詳しいことを知りたい人は、NHK出版から復刻されている本を読まれるのが良いと思う。

  竹鶴政孝 『ウイスキーと私』 (NHK出版)

 特に次の2点の調査が漏れていて、後年スコットランドまで確認しに行っているのは重要だと思う。

  ・大麦を金網に載せて下でビートを燃やして乾燥させる時の金網とビート燃焼床の間隔
  ・ポットスチルの底と加熱する石炭の間隔

 また、朝ドラを見ていた時にはイギリスへの往復はインド洋、スエズ運河経由であると思っていたが、 太平洋を渡って北米大陸横断、大西洋経由であった。



  ■ニッカウイスキー北海道工場見学時配布品
 ここでとりあげるものは 3点とも工場見学者に配布されたものと思われる。 ほぼ60年近く前のものであるが、工場外観は殆ど変わってないことが解る。

 ●「NIKKA WHISKY」, ニッカウヰスキー/編発行, 推定1955〜1958年, 10 x 36cm (折畳み 10 x 12cm)

製品一覧  裏面が工程の説明になっていてシンプルで解りやすい。 9番目の貯蔵熟成の工程が大部分の期間を占め、施設の面積の多くを占めることは実際に見学してみないと解らないであろう。
 これと次のパンフレットは一括で入手した中に入っていたので格安だった。


北海道工場 ニッカウヰスキーの出来るまで







 ●タイトルなし, ニッカウヰスキー/編発行, 推定1955〜1958年, 13 x 37.5cm (折畳み 13 x 12.5cm)

タイトルなし 折畳パンフレット  こちらの方が工場風景などがカラー写真で製品の種類が多く、前のものより新しいようだ。

 北海道工場航空写真は他の資料でみたことがないので貴重だと思われるが、 竹I政孝は余市のヤマのクマ撃ちにヘリコプターを利用したとのことなのでお手の物だったのであろう。
 現在の工場配置図をみると、この時点より貯蔵庫が増えて水路が狭くなっているのが解る。



 ●「ニッカウヰスキー株式会社 北海道工場絵葉書」, ニッカウヰスキー/編発行, 推定1955〜1960年, 9 x 14cm, 3枚

絵はがき袋 内容絵はがき 左から工場全景、ポットスチル、貯蔵庫  工場全景、ポットスチル、貯蔵庫とも朝ドラに良く出てきた情景そのものである。

 2008年に札幌の古書市にて300円で入手していたが、他にもまとめて入手した絵はがきにも含まれていた。



                                            (後編につづく)


                                                     (2015年5月1日掲載)


 野山ねこ道さんの初登場です。 風の噂によると俳句づくりも嗜んでおられるそうですが、ご本人は照れくさがってなかなか読ませてくれません。 いずれ当欄でも自作を披露してくださいますように。


 第31回 「読書変歴 1  教科書を捨て街に出てみれば…」
                                                    野山ねこ道 ・ 文


 1歳前から本には親しんできた。 就寝前に母に絵本を読んでもらうのが習慣だった。 眠りそうになる母を横目に飽きるまで 「読んで」 とせがむ子供だった。

 ところが、読書に目覚めたのは小学校高学年の頃で、 それまで本は読むというより眺めるもので文字を飛ばして美術雑誌や絵本の挿絵を真剣に眺めていた。

 文字に興味を持ったのは中学生の時に授業で万葉集を習ったのがきっかけだった。 たった三十一文字から作者の心情や詠まれた状況が伝わることに感動し、 図書室で借りた万葉集全首とその解説が載っている本を読んでいるうちに、様々な本に興味を持ったのだった。

 が、万葉集を好きになったのも様々な作家に出逢ったのは教科書から。 これほどまでに日本人に影響を及ぼす本はないのではないか。 まさにたくさんの思い出が詰まった知識の宝庫ではなかろうかと思う。

 今、我家には学生時代の教科書が押入れに数冊眠っているだけだ。 古書店では教科書を扱っていない所が多いよう。 叶う事ならば、小・中学生時代に使っていた教科書を読み返してみたい。

 教科書を開いて当時の思い出に浸るのも悪くはないのではなかろうか。


                                                     (2015年4月1日掲載)


 岩村誠二さんによる さっぽろ雪まつり絵はがきコレクションの解説もついに最終回を迎えます。 連載開始時にも書きましたが、岩村さんの同絵はがき蒐集の道は険しさを増しながら、細く長くこれからもつづくことでしょう。 完集と看做せる日をめざして。


 第30回 「北海道 本の旅 15  さっぽろ雪まつり絵はがき その4 (最終回)」
                                                    岩村誠二 ・ 文


 (承前)

 ●第41回, 1990年, キングストン,「第41回 さっぽろ 雪まつり 41th SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  10.5 x 15 cm, 表記枚数 20, 実枚数 17, 定価 500円, カラー印刷


キングストン 「第41回 さっぽろ 雪まつり」  9枚が大通会場のものである。 2枚が実物の道庁旧庁舎と時計台、1枚がテレビ塔から俯瞰したホワイトイルミネーション時の大通公園。





 ●第42回, 1991年, 菅写真,「1991*第42回 さっぽろ 雪まつり 42th SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  11 x 15 cm, 表記枚数 20, 実枚数 20, 定価 500円, カラー印刷


菅写真 「1991 第42回 さっぽろ 雪まつり」 同絵はがき  12枚が大通会場のものである。 北海タイムス社制作雪像の一部に木枠が見えている。












 ●第42回, 1991年, 郵便局,「42nd SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  10 x 15 cm, 表記枚数 10, 実枚数 10, 定価 620円, カラー印刷、官製はがき、大通会場俯瞰構図を含む3枚が縦構図


郵便局 「42nd SAPPORO SNOW FESTIVAL」 同絵はがき  6枚が大通会場のものである。 この回のものは写真がはがき寸法より小さい。
 郵便料金41円の官製はがきになっていて、枚数のわりに高価なので売れた数は少ないものと思われる。










 ●第43回, 1992年, 郵便局,「43rd SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  10 x 15 cm, 表記枚数 10, 実枚数 4, 定価 620円, カラー印刷、官製はがき、1枚が大通会場を俯瞰した縦構図


郵便局 「43rd SAPPORO SNOW FESTIVAL」 同絵はがき  4枚とも大通会場のものである。 写真の一部にデザイン白抜きが入っていて若干小さい。 4枚しか残っていないのは官製はがきとして使用したためであろう。
 大通会場を俯瞰した写真の西3丁目会場にはまだ重機が見える。









 ●第45回, 1994年, 菅写真,「1994*第45回 さっぽろ 雪まつり 45th SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  10.5 x 15 cm, 表記枚数 20, 実枚数 20, 定価 500円, カラー写真


菅写真 「1994 第45回 さっぽろ 雪まつり」 同絵はがき  11枚が大通会場のものである。 1枚が縦構図の雪の無い大通公園ホワイトイルミネーション風景で、西5丁目の聖恩碑から俯瞰したような構図である。









  ■全体をみてのまとめ
 印刷絵はがきを入手できた発行元の中で、 菅写真、北海道撮影社、キングストン、雪まつり実行委員会の4社はあるていどの点数を収集できているが、 近年まで発行されているのは北海道撮影社、雪まつり実行委員会の2社であり、北海道撮影社は第64回2013年までで終了している (2月6日にJR札幌駅周辺書店に置いてあったのは 雪まつり実行委員会版のみ) 。

 入手できた菅写真の最新は2001年のもので、道立図書館には2003年のものが所蔵されている。 雪まつり実行委員会の第62回 2011年版から須田製版/作成の表記が入っていて、 2000年代の途中には菅写真としての発行を止めていたようである。
 キングストンの最新は1990年のもので、道立図書館には1992年のものが所蔵されている。
 多数の発行元が参入してさっぽろ雪まつり絵はがきを出していたようだが、その詳細は解らないことが多い。

 真駒内会場が使用されるようになった1964年以降の印刷絵はがきは、大通会場の枚数割合が半数を大きく割るセットが多く、 唯一北海道撮影社が半数近くをキープしていた状態で、1983年以降になってやっと過半数が大通会場となっている。
 真駒内会場の方が撮影を早い時期に行えるためこのようになったと推測したが、実際はどうだったのかは解らない。

 概略を一覧で見ることができるように表を添付した (こちら をクリックすると、別表 「さっぽろ雪まつり絵はがき一覧」 が開きます。ご参照ください)。

 北海道立図書館には未入手の気になるものがあり、 現物を見に行ったところ以下の通り (各資料1行目の書誌情報表記は蔵書検索システムによる) であった。



 ・「第9回札幌雪まつり写真」、出版者 [撮影社不明]/[札幌]、出版年月 1958
 最初の販売生写真かと思っていたが、個人が焼き増しした生写真でDPE店の袋に入っていた。

 ・「'67さっぽろ雪まつり」、出版者 札幌市/札幌、出版年月 1967
 菅写真の1967年版であった。

 ・「第19回さっぽろ雪まつり」、出版者 札幌市/札幌、出版年月 1968
 4枚綴じ込み表紙付き冊子形式で、実際に絵はがきとして利用する場合は切り離す必要がある。
 発行 札幌市、協賛 農林中央金庫 の記載があり、後のケース入り絵はがきと同様の発行実体は農林中央金庫のものであった。


 ・「さっぽろ雪まつり写真」、出版者 [撮影社不明]/[札幌]、出版年月 1970
 グラフ商会発行の第20回1969年の生写真であった。 写真を入れたポリ袋に1969年の表記があり、雪像はこの年のもので間違いない。
 ケースが21回1970年のものと同様で、パンフレット「雪像のご案内」が付属していた。



 結局、所蔵しているものより古い時期の会期中に販売されたと思われるものは無かった。

                                            (2015年3月16日掲載)


 岩村誠二さんによる さっぽろ雪まつり絵はがきコレクションの第3回解説文です。 今回は1980年代の変遷を追いかけます。
 次は90年代編とまとめの一文を付した最終回。 3月16日更新の予定です。


 第29回 「北海道 本の旅 14  さっぽろ雪まつり絵はがき その3」
                                                    岩村誠二 ・ 文


 (承前)

 ●第31回, 1980年, 菅写真,「1980*第31回 さっぽろ 雪まつり 31st SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  10.5 x 15 cm, 表記枚数 20, 実枚数 20, 定価 500円, カラー印刷、1枚が縦構図


菅写真 「1980 第31回 さっぽろ 雪まつり」 同絵はがき  大通会場写真が8枚あり、この中に日本もボイコットしたモスクワオリンピック関連雪像が1枚あった。











 ●第31回, 1980年, 北海道撮影社 「第31回 ゆきまつり 北海道鉄道開通100年記念 1980 SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  10.5 x 15 cm, 表記枚数 20, 実枚数 20, 定価 500円, カラー印刷、1枚が縦構図


北海道撮影社,「第31回 ゆきまつり 北海道鉄道開通100年記念 1980」 同絵はがき  2枚が鉄道関連 (大通会場・真駒内会場各1枚)、ケースに鉄道関連写真が4点ある。 大通会場写真が11枚あり、このうち市民雪像が3枚、国際雪像コンクールんのものが1枚ある。

 市民雪像のうち1枚は夜景で雪に埋もれているように見えたが、 さっぽろ雪まつり委員会版に昼の写真があり網を引いている雪像であると解った。





 ●第31回, 1980年, キングストン,「第31回 さっぽろ 雪まつり 31st SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  10.5 x 15 cm, 表記枚数 20, 実枚数 20, 定価 500円, カラー印刷、2枚が縦構図


キングストン 「第31回 さっぽろ 雪まつり」  5枚が大通会場のもの、他1枚が札幌パークホテル前。












 ●第31回, 1980年, さっぽろ雪まつり実行委員会,「第31回 さっぽろ 雪まつり THE 31ST SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  10.5 x 15 cm, 表記枚数 20, 実枚数 20, 定価 500円, カラー印刷、3枚が縦構図


さっぽろ雪まつり実行委員会 「第31回 さっぽろ 雪まつり」 同絵はがき 同ケース内側  6枚が大通会場のものである。 うち1枚が北海道撮影社版で取り上げた網を引く雪像であるが、波の表現が雪像に積った雪とまぎらわしい。

 さっぽろ雪まつり実行委員会版ケース内側には、近年のものでも会場案内図 (大通会場、つどーむ会場) が印刷されている。 この時期のものは真駒内会場があるので市街地の主要施設も載っている。



 ●第32回, 1981年, キングストン,「第32回 さっぽろ 雪まつり 32nd SAPPORO SNOW FESTIVA」
  10.5 x 15 cm, 表記枚数 20, 実枚数 20, 定価 500円, カラー印刷、2枚が縦構図


キングストン 「第32回 さっぽろ 雪まつり」  8枚が大通会場のもの。












 ●第32回, 1981年, 農林中央金庫,「第32回 さっぽろ雪まつり」
  10.5 x 15 cm, 枚数表記なし, 実枚数 8, 定価記載なし, カラー印刷


農林中央金庫 「第32回 さっぽろ雪まつり」 同絵はがき  5枚が大通会場のもので、うち1枚が周辺ビル屋上から撮影した会場全景で、 大通公園の車道沿いに露店が多数並んでいるのが見える (露店が完全に排除されたのは1990年の第41回から)。 農林中金十二支の会作成の小雪像が1枚含まれる。
 第29回のものと同様に観客が多数写っている写真があり 会期中の撮影で、会期後に顧客に配布したものと思われる。






 ●第33回, 1982年, 北海道撮影社,「ゆきまつり 1982 33rd SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  10.5 x 15 cm, 表記枚数 20, 実枚数 20, 定価 500円, カラー印刷、4枚が縦構図


北海道撮影社 「ゆきまつり 1982」 同絵はがき  11枚が大通会場のもので、うち市民雪像写真4枚、 2コマ写真4枚 (内1枚は市民雪像の作成開始時雪のブロックとほぼ完成した雪像との対比写真)。
 削り出す前の市民雪像用雪のブロックは黒ずんでいるものがあり表面が粗いようだ。

 取り上げた雪像写真のうち1枚は3コマ入っていて、 さらにその中の1コマが白っぽい背景に雪像が埋没しないように背景に黄色を掛けている変わり種である。










 ●第33回, 1982年, キングストン,「第32回 さっぽろ 雪まつり 32nd SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  10.5 x 15 cm, 表記枚数 20, 実枚数 20, 定価 500円, カラー印刷、3枚が縦構図


キングストン 「第32回 さっぽろ 雪まつり」 同絵はがき  8枚が大通会場のもので、うち2枚が同一雪像でしかも両方とも夜景であった。 色調が異なるが 雪まつり絵はがきとしては珍しい。












 ●第33回, 1982年, さっぽろ雪まつり実行委員会,「第33回 さっぽろ 雪まつり 33rd SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  10.5 x 15 cm, 表記枚数 20, 実枚数 20, 定価 500円, カラー印刷、2枚が縦構図


さっぽろ雪まつり実行委員会,「第33回 さっぽろ 雪まつり」 同シールと絵はがき  シール付きで、8枚が大通会場のものである。 キングストンと同じ太宰府天満宮狛犬雪像夜景が含まれるが色調が全く違う。 こちらはかなり早い時期に撮影用照明を利用しているのであろう。












 ●第34回, 1983年, 菅写真,「1983*第34回 さっぽろ 雪まつり 34th SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  10.5 x 15 cm, 表記枚数 20, 実枚数 20, 定価 500円, カラー印刷


菅写真 「1983 第34回 さっぽろ 雪まつり」 同絵はがき  11枚が大通会場のもので、うち1枚が最終仕上げ中と思われる写真である。 この写真の雪像左側の木に 白い木の葉が見えるが雪ではないだろう。










 ●第34回, 1983年, 北海道撮影社,「ゆきまつり 34th SAPPORO SNOW FESTIVAL 1983」
  10.5 x 15 cm, 表記枚数 20, 実枚数 18, 定価 500円, カラー印刷、1枚が縦構図


北海道撮影社 「ゆきまつり 34th」 同絵はがき  9枚が大通会場のもので、2コマ写真が3枚あり、うち 『E.T.』 の市民雪像ものは4コマ入っている。

 国際雪像コンクールのコマが入っている写真を見ると、前に紹介した同コンクール雪像より相当高度なものとなっている。 北方圏チームのものであろう。


















 ●第34回, 1983年, キングストン,「第34回 さっぽろ 雪まつり 34th SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  10.5 x 15 cm, 表記枚数 20, 実枚数 19, 定価 500円, カラー印刷


キングストン 「第34回 さっぽろ 雪まつり」 同絵はがき  10枚が大通会場のもので、3枚が縦構図のものである。
 STV広場UFO雪像は階段の上にUFOが載った構造で、どうやって制作したのか思いつかない。













 ●第34回, 1983年, さっぽろ雪まつり実行委員会,「第34回 さっぽろ 雪まつり THE 34th SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  10.5 x 15 cm, 表記枚数 20, 実枚数 20, 定価 500円, カラー印刷、3枚が縦構図


さっぽろ雪まつり実行委員会 「第34回 さっぽろ 雪まつり」 同シール  シール付きで、10枚が大通会場のものである。 STV広場UFO雪像はその構造が目を引くのか、こちらにも昼と夜1枚が含まれる。










 ●第35回, 1984年, 菅写真,「1984*第35回 さっぽろ 雪まつり 35th SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  10.5 x 15 cm, 表記枚数 20, 実枚数 20, 定価 500円, カラー印刷


菅写真 「1984b 第35回 さっぽろ 雪まつり」  12枚が大通会場のものである。 真駒内会場は観客が多数写っている写真がある、 1980年から始まっている福祉解放かもしれない。











 ●第35回, 1984年, さっぽろ雪まつり実行委員会,「第35回 さっぽろ 雪まつり THE 35th SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  10.5 x 15 cm, 表記枚数 20, 実枚数 20, 定価 500円, カラー印刷、4枚が縦構図


さっぽろ雪まつり実行委員会 「第35回 さっぽろ 雪まつり」 同絵はがき シール付きで、12枚が大通会場のものである。












 ●第36回, 1985年, 菅写真,「1985*第36回 さっぽろ 雪まつり 36th SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  10.5 x 15 cm, 表記枚数 20, 実枚数 20, 定価 500円, カラー印刷、1枚が大通公園縦構図


菅写真 「1985 第36回 さっぽろ 雪まつり」 同絵はがき  12枚が大通会場のものである。 大通会場を俯瞰した写真の一番手前西3丁目の雪像背面に足場が残っているように見える。











 ●第36回, 1985年, さっぽろ雪まつり実行委員会,「第36回 さっぽろ 雪まつり THE 36th SAPPORO SNOW FESTIVAL 」
  10.5 x 15 cm, 表記枚数 20, 実枚数 18, 定価 500円, カラー印刷


さっぽろ雪まつり実行委員会 「第36回 さっぽろ 雪まつり」  11枚が大通会場のものである。












 ●第37回, 1986年, 菅写真,「1986*第37回 さっぽろ 雪まつり 37th SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  10.5 x 15 cm, 表記枚数 20, 実枚数 20, 定価 500円, カラー印刷、3枚が縦構図(内1枚は大通公園)


同絵はがき REPACE-HERE  11枚が大通会場のものである。 1枚が北海道庁旧庁舎観光写真である。
 菅写真版としては 雪まつり会場以外の写真が含まれるのは珍しい。 大通会場2丁目のホワイトイルミネーション設備は 現在と変わらないように見える。








 ●第37回, 1986年, キングストン,「第37回 さっぽろ 雪まつり 37th SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  10.5 x 15 cm, 表記枚数 20, 実枚数 20, 定価 500円, カラー印刷、1枚が縦構図


キングストン 「第37回 さっぽろ 雪まつり」  11枚が大通会場のものである。 1枚が北海道庁旧庁舎観光写真。








 ●第37回, 1986年, 札幌市記念事業振興会 ,「第37回 さっぽろ雪まつり THE 37th SAPPORO SNOW FESTIVAL 第1回冬季アジア競技大会札幌」
  10.5 x 15 cm, 表記枚数 20, 実枚数 20, 定価記載なし, カラー印刷、2枚が氷像の縦構図


同絵はがき REPACE-HERE  12枚が大通会場のものである。 現在は大通ビッセを含む北洋銀行本店になっている位置にあった 北海道拓殖銀行本店屋上の広告塔が目立つ写真が含まれていた。





 ●第40回, 1989年, 菅写真,「1989*第40回 さっぽろ 雪まつり 40th SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  11 x 15 cm, 表記枚数 20, 実枚数 20, 定価 500円, カラー印刷、1枚が縦構図


菅写真 「1989 第40回 さっぽろ 雪まつり」 同絵はがき 9枚が大通会場のものである。 40回記念で夜間解放された真駒内会場の雪像夜景写真が2枚含まれている(取り上げたうち、下の写真は撮影用照明のように見える。 1枚が雪まつり会期前の大通公園ホワイトイルミネーション写真である。










 ●第40回, 1989年, 北海道撮影社,「第40回 ゆきまつり 40th SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  10.5 x 15 cm, 表記枚数 20, 実枚数 17, 定価 500円, カラー印刷、1枚が縦構図


北海道撮影社 「第40回 ゆきまつり」 同絵はがき  11枚が大通会場のものである。 2コマ写真1枚。40回記念で夜間解放された真駒内会場の雪像夜景写真が1枚含まれている。










 ●第40回, 1989年, キングストン,「第40回 さっぽろ 雪まつり 40th SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  10.5 x 15 cm, 表記枚数 20, 実枚数 20, 定価 500円, カラー印刷、1枚が縦構図


キングストン 「第40回 さっぽろ 雪まつり」 10枚が大通会場のものである。 40回記念で夜間解放された真駒内会場の雪像夜景写真が4枚含まれているが、 こちらは全て会期前早い時期の写真撮影用照明のように見える。






                                                  (最終回第4回につづく)


                                                     (2015年3月1日掲載)


 今年の さっぽろ雪まつり は11日に終わりましたが、岩村誠二さんによる雪まつり絵はがきの解説原稿はまだまだつづきます。 今回は第21回から第30回までを取り上げた1970年代編です。
 80年代以降は、3月1日更新の予定です。


 第28回 「北海道 本の旅 13  さっぽろ雪まつり絵はがき その2」
                                                    岩村誠二 ・ 文


 (承前)

 ●第21回, 1970年, 北海道撮影社,「さっぽろ 雪まつり 21th SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  9 x 15 cm, 表記枚数 20, 実枚数 20, 定価 200円, カラー印刷、縦構図1枚


北海道撮影社 「さっぽろ 雪まつり 21th SAPPORO SNOW FESTIVAL」 同絵はがき  航空写真が大通会場1枚、真駒内会場2枚。 前所有者が入れたと思われる 札幌鉄道管理局の大阪万国博旅行誘致絵はがきが入っていた。
 テーマが札幌五輪と大阪万博のため、これにちなんだ雪氷像が見られる。
 8枚が大通会場のものである。













 ●第21回, 1970年, キングストン,「第21回 さっぽろ 雪まつり <記念アルバム> THE 21st SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  10 x 15.5 cm, 枚数表記なし, 実枚数 11, 定価 100円, カラー印刷


キングストン 「第21回 さっぽろ 雪まつり 記念アルバム THE 21st SAPPORO SNOW FESTIVAL」 キングストン 同絵はがき  キングストンの雪まつり写真として入手できた一番古いものである。 次のような形状から初参戦と思われる。 タイトルの <記念アルバム> が表しているように 絵はがきでなく裏表に写真が印刷された 折り畳み形式ミニ写真集である。
 8枚が大通会場のものである。 1枚は写真でなく 札幌オリンピック会場図である (栗谷川健一原画と思われる)。












 ●第21回, 1970年, グラフ商会,「第21回 雪まつり Sapporo Snow Festival Pictures」
  9 x 13 cm, 枚数表記なし, 実枚数 10, 定価記載なし, 生写真


グラフ商会 「第21回 雪まつり Sapporo Snow Festival Pictures」  ケースと 「雪像のご案内」、袋付きである。
 既にカラー印刷絵はがきが1セット20枚で200円で販売されているのにモノクロ写真である。 価格で勝負したのだと思われるが 定価記載がなくて不明である。 購入した人がいるからアンティークとして出てきて入手できた訳だけだが 不思議な存在である。
 5枚が大通会場のものである。









 ●第22回, 1971年, 菅写真,「71さっぽろ 第22回記念 雪まつり SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  10.5 x 15 cm, 枚数表記なし, 実枚数 16, 定価 200円, カラー印刷、縦構図3枚


菅写真 「71さっぽろ 第22回記念 雪まつり SAPPORO SNOW FESTIVAL」 同絵はがき  真駒内会場航空写真が1枚。 この年のテーマは 「札幌オリンピックを成功させよう」 であるが、 関連写真は五輪マークが入った 「オリンピアの女神」 氷像1枚と地下鉄 (当時は高速電車と言っていた) 雪像1枚のみである。
 8枚が大通会場のものである。














 ●第22回, 1971年, キングストン,「第22回 さっぽろ 雪まつり 22nd SAPPORO SNOW FESTIVAL 1971」
  10.5 x 15 cm, 枚数表記なし, 実枚数 16, 定価 200円, カラー印刷、縦構図3枚


キングストン 「第22回 さっぽろ 雪まつり 22nd SAPPORO SNOW FESTIVAL 1971」  キングストン初の絵はがきで 入れる場所が2つあるケースである。 札幌オリンピックに関連した雪像と五輪マークが目立つ。
 11枚が大通会場のものである











 ●第22回, 1971年, キングストン,「さっぽろ 雪まつり」
  8.5 x 11.5 cm, 枚数表記なし, 実枚数 5, 定価 300円, カラー生写真


キングストン 「さっぽろ 雪まつり」 同絵はがき  印刷版を出しているのに生写真のものも提供していたようだ。 販売時の枚数は不明であるが 価格は印刷版より高く 購入する来場者がいたのだろうか。 入手したものは既に色あせてしまっている。
 背景から判断して大通会場であることが確実なものは3枚。










 ●第23回, 1972年, 菅写真,「'72さっぽろ 冬季オリンピック大会記念 第23回 雪まつり SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  10.5 x 15 cm, 表記枚数 25, 実枚数 25, 定価 300円, カラー印刷、縦構図2枚


菅写真 「'72さっぽろ 冬季オリンピック大会記念 第23回 雪まつり SAPPORO SNOW FESTIVAL」 同絵はがき  真駒内会場航空写真が3枚。 五輪マークや 「YOKOSO SAPPORO」 の文字が各所に見られる。
 9枚が大通会場のものである。













 ●第23回, 1972年, 北海道撮影社,「ゆきまつり 23rd SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  9 x 15 cm, 表記枚数 20, 実枚数 20, 定価 200円, カラー印刷、縦構図5枚


北海道撮影社 「ゆきまつり 23rd SAPPORO SNOW FESTIVAL」  札幌オリンピックに関係することがはっきり解る写真は 絵はがきが3枚、ケースに2葉のみ。
 10枚が大通会場のものである。 うち1枚が市民雪像のものである。
 個別絵はがきセットの絵はがき写真は珍しいものばかり取り上げているので、ここでは典型的なものを取り上げる。






同絵はがき・大通会場 同絵はがき・真駒内会場  左) 大通会場〜大通周辺の建物が入っている写真が多い。 すでに40年以上経過しているので 建物がすっかり変わっていて何丁目の情報が入っていないと場所が解らない。
 一番上の写真では 背景に西5丁目にある聖恩碑が写っていて 左から日光が当たっているので、 右手に見えるビルは西4丁目であろうと解る程度だ。 本番照明状態の夜景が入っているのも 大通会場写真の特徴である。


 右) 真駒内会場〜背景に藻岩山風景、真駒内駐屯地の建物。 1972年以降は地下鉄南北線シェルターが入っている写真が多い。
 他に広い会場を利用した子供向けの滑り台などがあるのも 真駒内会場写真の特徴である。






 ●第23回, 1972年, キングストン,「第23回さっぽろ 雪まつり 23rd SAPPORO SNOW FESTIVAL 1972」
  10.5 x 15 cm, 枚数表記なし, 実枚数 16, 定価 200円, カラー印刷、縦構図3枚


キングストン 「第23回さっぽろ 雪まつり 23rd SAPPORO SNOW FESTIVAL 1972」 同 雪まつりのあゆみ  ケースの表紙と内側解説は札幌オリンピック対応であるが、絵はがきでオリンピック関連とはっきり解るのは1枚だけ。 キングストンのケース形状が縦長となり、以後変わらない。 6枚が大通会場のものである。

 キングストンのケース内側に 雪まつりのあゆみが印刷されているものがあり、 この年は札幌オリンピック開催のため 案内図にはオリンピック競技会場も表示されている。






 ●第23回, 1972年, フジカラー,「さっぽろ 雪まつり SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  8.5 x 12 cm, 枚数表記なし, 実枚数 3, 定価記載なし, カラー生写真


フジカラー 「さっぽろ 雪まつり SAPPORO SNOW FESTIVAL」 同絵はがき  雪まつりの生写真として入手できたのは これが一番あたらしいものである。 すでにカラー印刷絵はがきが比較的安い価格で販売されているのに、なぜ販売していたのか解らない。
 第22回のキングストンのものと較べると、天候や夜景のせいか 特に目立つ色あせは見られない。
 背景から判断して 大通会場であることが確実なものは2枚







 ●第24回, 1973年, 菅写真,「'73 さっぽろ 第24回記念 雪まつり SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  10.5 x 15 cm, 表記枚数 16, 実枚数 16, 定価 200円, カラー印刷、縦構図3枚


菅写真 「'73 さっぽろ 第24回記念 雪まつり SAPPORO SNOW FESTIVAL」 同絵はがき  ケースが縦長になって価格が200円に値下げになったが、枚数が16枚と大幅に減ったためか、2コマ絵はがきが3枚入っている。
 6枚が大通会場のものである。







 ●第24回, 1973年, 北海道撮影社,「ゆきまつり 24th SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  9.5 x 15 cm, 表記枚数 20, 実枚数 20, 定価 200円, カラー印刷、縦構図4枚


北海道撮影社 「ゆきまつり 24th SAPPORO SNOW FESTIVAL」 同絵はがき  自衛隊作成の1972年雪像作成状況を含む宛名面に 「雪まつりを支える自衛隊」 という表記がある2コマ絵はがきが1枚入っていた。 これは前所有者が入れたものと思われる。
 9枚が大通会場のものである。











 ●第24回, 1973年, キングストン,「第24回さっぽろ 雪まつり 24th SAPPORO SNOW FESTIVAL 1973」
  10.5 x 15 cm, 表記枚数 16, 実枚数 16, 定価 200円, カラー印刷


キングストン 「第24回さっぽろ 雪まつり 24th SAPPORO SNOW FESTIVAL 1973」 同絵はがき  公式記録では1980年から 「真駒内会場の会期前日の福祉解放が始まる」 となっているが、 真駒内会場の写真には幼稚園児と思われる子供が多数写っている。
 5枚が大通会場のものである。











 ●第25回, 1974年, 菅写真,「'74 さっぽろ 第25回記念 雪まつり SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  10.5 x 15 cm, 表記枚数 16, 実枚数 16, 定価 300円, カラー印刷


菅写真 「'74 さっぽろ 第25回記念 雪まつり SAPPORO SNOW FESTIVAL」 同絵はがき  2コマ写真3枚、内1枚が縦構図。
 真駒内会場の子供たちだけで無く 大通会場には一般観客が多数 (といっても会期中より遙かにすくないが) 写っている。 この時代は会期前でも雪像の近くに行けたのだろうと思われる。
 5枚が大通会場のものである。















 ●第25回, 1974年, 北海道撮影社,「ゆきまつり 25th SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  9 x 15 cm, 表記枚数 20, 実枚数 20, 定価 300円, カラー印刷、縦構図5枚


北海道撮影社 「ゆきまつり 25th SAPPORO SNOW FESTIVAL」 同絵はがき  従来は販売される写真に取り上げられることのなかった市民雪像の集合写真が1枚ある。 元の雪のブロックの表面仕上げが現在と較べると遙かに粗いようだ。
 7枚が大通会場のものである。










 ●第25回, 1974年, キングストン,「第25回さっぽろ 雪まつり 24th SAPPORO SNOW FESTIVAL 1974 」
  10.5 x 15 cm, 表記枚数 16, 実枚数 16, 定価 300円, カラー印刷、縦構図2枚


キングストン 「第25回さっぽろ 雪まつり 24th SAPPORO SNOW FESTIVAL 1974 」 同絵はがき  真駒内会場の写真には 子供たちが滑り台になっている雪像で遊んでいる様子が写っている。
 テレビ塔から西3丁目以西を見た写真には今は無いビルが写っているのでとりあげる。 雪まつり準備中の撮影と思われるが 手前の西3丁目、4丁目には雪氷像が僅かしか見えない。
 5枚が大通会場のものである。









 ●第25回, 1974年, さっぽろ雪まつり実行委員会,「第25回 雪まつり 25TH SAPPORO SNOW FESTIVAL 」
  10 x 15 cm, 表記枚数 12, 実枚数 12, 定価 250円, カラー印刷


さっぽろ雪まつり実行委員会 「第25回 雪まつり 25TH SAPPORO SNOW FESTIVAL 」 同絵はがき  さっぽろ雪まつり実行委員会発行のもので入手できている最古のものである。 雪まつりのあゆみパンフレット付属としているので、ひょっとして実行委員会発行の最初のものかもしれない。 (北海道立図書館所蔵の一番古いものは、27回1976年のもの)
 3枚が大通会場のものである。









 ●第26回, 1975年, 菅写真,「1975*第26回 さっぽろ 雪まつり 26th SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  10.5 x 15 cm, 表記枚数 16, 実枚数 16, 定価 300円, カラー印刷


菅写真 「1975*第26回 さっぽろ 雪まつり 26th SAPPORO SNOW FESTIVAL」  ケースには道庁旧庁舎雪像が取り上げられているが、絵はがきには時計台が2枚、豊平館が1枚取り上げられている。
 7枚が大通会場のものである。












 ●第26回, 1975年, 北海道撮影社,「ゆきまつり 1975 SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  9.5 x 15 cm, 表記枚数 20, 実枚数 20, 定価 300円, カラー印刷、2枚が縦構図(内1枚は大通公園)


北海道撮影社 「ゆきまつり 1975 SAPPORO SNOW FESTIVAL」 同絵はがき  真駒内会場の雪像背景に藻岩山がはっきり入っているものがある。 縦構図の大通公園全景はテレビ塔から西4丁目以西を撮影しているが、 かなりの長焦点レンズで東西方向が圧縮されていて解りづらい。
 8枚が大通会場のものである。













 ●第26回, 1975年, キングストン,「第26回 さっぽろ 雪まつり 26th SAPPORO SNOW FESTIVAL 1975」
  10.5 x 15 cm, 表記枚数 16, 実枚数 16, 定価 300円, カラー印刷


キングストン 「第26回 さっぽろ 雪まつり 26th SAPPORO SNOW FESTIVAL 1975」 同絵はがき  16枚のうち大通会場のものは4枚しかない。 真駒内会場の背景に南北線自衛隊前駅付近のシェルターが写り込んでいるものがあった。












 ●第27回, 1976年, 菅写真,「1976*第27回 さっぽろ 雪まつり 27th SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  10.5 x 15 cm, 表記枚数 16, 実枚数 20, 定価 300円, カラー印刷、1枚が縦構図


菅写真 「1976*第27回 さっぽろ 雪まつり 27th SAPPORO SNOW FESTIVAL」 同絵はがき  ケースには16枚と印刷されているが、粘着シールの跡があるので20枚に修正したシールが貼ってあったと思われる。
 真駒内会場の青函トンネルの雪像写真が1枚含まれる。 車両は新幹線で、トンネルの開通が12年後、新幹線が通ることになるのは40年後となる。
 6枚が大通会場のものである。








 ●第27回, 1976年, 北海道撮影社,「ゆきまつり 27th SAPPORO SNOW FESTIVAL 1976」
  10.5 x 15 cm, 表記枚数 20, 実枚数 20, 定価 300円, カラー印刷、5枚が縦構図(内1枚は大通公園)


北海道撮影社 「ゆきまつり 27th SAPPORO SNOW FESTIVAL 1976」 同絵はがき  テレビ塔から大通会場を俯瞰した写真は、 西4丁目から西13丁目の札幌資料館が入る範囲となっていて、雪像や周囲の建物が解りやすい。 真駒内会場の青函トンネルの雪像写真が1枚含まれるが、トンネル部分が小さく写っているので解りづらい。
 大通会場の写真は テレビ塔から俯瞰構図も含めて6枚だけである。







 ●第27回, 1976年, キングストン,「第27回 さっぽろ 雪まつり 27th SAPPORO SNOW FESTIVAL 1976」
  10.5 x 15 cm, 表記枚数 16, 実枚数 16, 定価 300円, カラー印刷、縦構図2枚


キングストン 「第27回 さっぽろ 雪まつり 27th SAPPORO SNOW FESTIVAL 1976」  真駒内会場の青函トンネルの雪像写真が1枚含まれ、菅写真のものとほぼ同じ構図である。 大通会場のものは16枚中2枚しかない。
 この時期は各社似たようなものであるが、早い時期に制作され撮影が楽なためであろうか。











 ●第28回, 1977年, 菅写真,「1977*第28回 さっぽろ 雪まつり 28th SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  10.5 x 15 cm, 表記枚数 20, 実枚数 20, 定価 300円, カラー印刷、1枚が縦構図


菅写真 「1977*第28回 さっぽろ 雪まつり 28th SAPPORO SNOW FESTIVAL」  20枚中6枚が大通会場の雪氷像である。














 ●第28回, 1977年, 北海道撮影社,「ゆきまつり 28th SAPPORO SNOW FESTIVAL 1977」
  10.5 x 15 cm, 表記枚数 20, 実枚数 20, 定価 300円, カラー印刷、3枚が縦構図


北海道撮影社 「ゆきまつり 28th SAPPORO SNOW FESTIVAL 1977 」 同絵はがき  20枚中7枚が大通会場の雪氷像で、さらにそのうち1枚が市民雪像制作中の写真である。












 ●第28回, 1977年, キングストン,「第28回 さっぽろ 雪まつり 28th SAPPORO SNOW FESTIVAL 1977」
  10.5 x 15 cm, 表記枚数 20, 実枚数 16, 定価 300円, カラー印刷、4枚が縦構図


キングストン 「第28回 さっぽろ 雪まつり 28th SAPPORO SNOW FESTIVAL 1977」 同絵はがき  ケースには20枚入っていたが、内4枚がダブリのため実枚数16とした。 発行元でケースに入れるときに間違えたのであろうか。
 16枚中の4枚が大通会場で、1枚が札幌駅前である。

 札幌駅前の氷像は札幌国際ホテル調理部制作で、29回フジフォトカラー版に同じ構図で背景がはっきりしている写真があって 信号機背景と低層建物が見えたので、北5条手稲通り北側歩道付近に作られたものだと思う。

同 雪まつりのあゆみ案内図  ケース内側の通常の年の雪まつりのあゆみ案内図には、会場の他に市街地の主要施設などが描かれている。 狸小路のアーケードの表現は 地下鉄南北線霊園前駅 (現南平岸駅) 以南のシェルターのような表現である。












 ●第28回, 1977年, さっぽろ雪まつり実行委員会,「第28回 さっぽろ 雪まつり THE 28TH SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  10 x 15 cm, 表記枚数 16, 実枚数 16, 定価 300円, カラー印刷、2枚が縦構図


さっぽろ雪まつり実行委員会 「第28回 さっぽろ 雪まつり THE 28TH SAPPORO SNOW FESTIVAL」 同絵はがき  2枚が時計台と羊ヶ丘展望台で 遠隔地からの観客を意識したのであろうか。 4枚が大通会場である。













 ●第29回, 1978年, 菅写真,「1978*第29回 さっぽろ雪まつり 29th SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  10.5 x 15 cm, 表記枚数 20, 実枚数 20, 定価 400円, カラー印刷、4枚が縦構図


菅写真 「1978*第29回 さっぽろ雪まつり 29th SAPPORO SNOW FESTIVAL」  7枚が大通会場である。














 ●第29回, 1978年, 北海道撮影社,「ゆきまつり 29th SAPPORO SNOW FESTIVAL 1978」
  10.5 x 15 cm, 表記枚数 20, 実枚数 20, 定価 400円, カラー印刷、3枚が縦構図(内1枚は大通公園)


北海道撮影社 「ゆきまつり 29th SAPPORO SNOW FESTIVAL 1978」 同絵はがき  大通会場のものが12枚で、内1枚が国際雪像コンクール、3枚が市民雪像である。
 国際雪像コンクールの雪像には 市民雪像より小さく見えるものがある。 南方の国の人には 雪自体が初体験の人がいたのだろう。










 ●第29回, 1978年, 農林中央金庫,「第29回 札幌雪まつり」
  11 x 15 cm, 枚数表記なし, 実枚数 15, 定価記載なし, カラー印刷


1978年, 農林中央金庫 「第29回 札幌雪まつり」 同絵はがき  2コマ写真1枚、観客が多数写っている写真があり 会期中の撮影と思われる。 15枚中7枚が 1972年札幌オリンピックのもの。

 雪像写真の内1枚が 大通公園北側の農林中央金庫ビルを背景に北向きに写したもので、 もう1枚 農林中央金庫十二支の会制作雪像の前に会員が整列したものがある。
 ケースには札幌雪まつり実行委員会/発行、農林中央金庫/協賛とあるが、 ケースに農林中央金庫の広告が入っていて、 上記のような実態から実質的に農林中央金庫が作成して顧客に配布したものと判断した。
 6枚が大通会場のもの。



 ●第29回, 1978年, 札幌市記念事業振興会 ,「第29回 さっぽろ 雪まつり 29TH SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  10.5 x 15 cm, 表記枚数 16, 実枚数 16, 定価 300円, カラー印刷、2枚が縦構図


札幌市記念事業振興会 「第29回 さっぽろ 雪まつり 29TH SAPPORO SNOW FESTIVAL」  雪まつり実行委員会は札幌市役所内にある組織であるが、この札幌市記念事業振興会の実体は解らない。 大通会場のものは4枚だけである。
 この原稿執筆直前に骨董市でこの発行所の第37回1986年版も入手できた。






 ●第29回, 1978年, フジフォトカラー,「第29回 さっぽろ 雪まつり 1978 SAPPORO SNOW FESTIVAL 大通会場・真駒内会場」
  10.5 x 15 cm, 枚数表記なし, 実枚数 20, 定価 400円, カラー印刷、2枚が縦構図


フジフォトカラー「第29回 さっぽろ 雪まつり 1978 SAPPORO SNOW FESTIVAL 大通会場・真駒内会場」 同絵はがき  大通会場が7枚で、札幌パークホテル前の同ホテル制作氷像が1枚、札幌駅前に札幌国際ホテル制作氷像1枚が含まれる。 大通、真駒内以外のものは1974〜78年の各区自主会場に相当するのであろう。

 札幌パークホテル前の氷像は 写真から見ると、建物上層階がある部分に設置されているようだ。
 札幌駅前の氷像設置位置は この写真背景から北5条手稲通り北側歩道付近と判断した (前回の位置はこちらの写真が無ければ不明としていた)。




 ●第30回, 1979年, 菅写真,「1979*第30回 さっぽろ 雪まつり 30th SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  10.5 x 15 cm, 表記枚数 20, 実枚数 20, 定価 400円, カラー印刷


菅写真 「1979*第30回 さっぽろ 雪まつり 30th SAPPORO SNOW FESTIVAL」 同絵はがき  雪不足の年であるが、大通会場・真駒内会場とも観客が多数写っている写真あり。 両会場とも会期前に雪像の近くまで行けたのだろうか。
 大通会場のものが8枚、内1枚が岡本太郎デザインのものであった。










 ●第30回, 1979年, 北海道撮影社,「祝30回 ゆきまつり 30th SAPPORO SNOW FESTIVAL 1979」
  10.5 x 15 cm, 表記枚数 20, 実枚数 20, 定価 400円, カラー印刷


北海道撮影社 「祝30回 ゆきまつり 30th SAPPORO SNOW FESTIVAL 1979」 同絵はがき

 大通会場写真が12枚、うち市民雪像が4枚、国際雪像コンクールが1枚あった。 さらに市民雪像のうち1枚は夜間の制作中のものであった。


同 ケース内側  北海道撮影社のケース内側には、さっぽろ雪まつり会場交通案内図が描かれているものがあり、 第30回では札幌雪まつり30年の歩みが載っている (この年以外は北海道撮影社刊行物広告である)。











 ●第30回, 1979年, キングストン,「第30回 さっぽろ 雪まつり 30st SAPPORO SNOW FESTIVAL 1979」
  10.5 x 15 cm, 表記枚数 20, 実枚数 20, 定価 400円, カラー印刷1枚が縦構図


キングストン「第30回 さっぽろ 雪まつり 30st SAPPORO SNOW FESTIVAL 1979」 同絵はがき 大通会場写真が8枚。 雪まつりの正式会場ではないが、第1回定山渓雪まつりの写真が1枚含まれていた。













                                                       (第3回につづく)


                                                     (2015年2月14日掲載)

 札幌在住の岩村誠二さんがこれまでに集めた 「さっぽろ雪まつり」 の絵はがきを系統だてて解説してくださいます。
 いわゆる完集がどの時点で決まるのか、全貌の把握に苦しむ手探りの研究です。 よって現時点でのとりあえずの途中経過報告となります。 蒐集の道は険しさを増しながら、細く長くこれからもつづくことでしょう。
 現物を手にとらないと実態がみえてこない絵はがきの迷宮世界をご堪能ください。

 画像も含めて量が多いため、2週間ごとの更新で全4回を予定しています。 今回は概説と1969年の第20回まで。

 第66回 さっぽろ雪まつり は、2015年2月5日 (木)〜11日 (水・祝) の開催です。



 第27回 「北海道 本の旅 12  さっぽろ雪まつり絵はがき その1」
                                                        岩村誠二 ・ 文


  ■近況
 デジタルカメラは コンパクトタイプでもフィルム感度ISO3200相当の撮影ができ、手持ちで誰でも夜の雪像を撮影できる。 フィルムカメラの時代はISO100のフィルムが一般的で 夜間撮影は三脚で無いとムリであった。
 ところがさっぽろ雪まつり会期中は 見学コースを一方通行にするほどの人出のため 三脚を利用するのは難しい。 この点から絵はがきを購入する観客がいたと思われる。

 近年はスマートフォンの普及もあり絵はがきは売れなくなっているようだ。 2013年までは雪まつり実行委員会と北海道撮影社のものが会場売店や市内大型書店などで販売されていたが、 2014年には雪まつり実行委員会版のみとなっていた。
 この文章を書いている時点では今年はどうなっているか不明である。


  ■さっぽろ雪まつり絵はがきの特殊性
 一般の観光絵はがきは1955年頃にはカラー印刷になっていたが、 雪まつりについては入手できた初期のものはモノクロ生写真で、 1966年に最初の印刷絵はがきがモノクロで出て、その翌年にカラーの印刷絵はがきが出たようだ。
 雪まつりの会期日数は現在では7日間であるが、入手できた一番古い生写真の時代は僅か3日間で、 印刷された最初の絵はがきが出た1966年でも4日間であった。 このような短いイベント期間中に販売されてきたのである。

 同じ札幌で開催されている 「YOSAKOI ソーラン祭り」 のような動きのイベントでは 現在でも会期中に販売するのは不可能だろう。 雪まつりは主役が雪像、氷像の 「静物」 であることがミソだと思われる。

 1972年まで生写真のものがあったのは 短期間での印刷がむずしかったのだろう。 会期初日の数日前には写真撮影向きの雪像、氷像がほほ完成するとはいえ、 特に厚紙のケースに雪像の写真を入れたものを会期初日から販売するのは 現在でも難しいと思われる。 撮影から印刷、ケース詰めまで 数日間徹夜での作業だったのではと思う。

 2013年までは販売が確認できている北海道撮影社は、 近年ケースにはテレビ塔からの俯瞰写真 (雪像の足場を外した概景であれば1週間前には撮影できると思う) になっていて、 雪まつり実行委員会のものは1983年からケースは絵になっていて、近年は雪まつりポスターになっている。

 1960年の主催者発表観客は70万人で、その0.1%が写真を購入すると仮定すると 700セット売れることになる。 1セット8枚の生写真として100セット800枚であれば 1人で1日あれば楽に焼き増しできるので、 この頃には販売されていたと思われ、本当の最初期のものはまだどこかに埋もれていると思う。

 念のため日本の古本屋で 書名に 「雪まつり」 を含む条件で検索したところ、 XY年さっぽろ雪まつり絵はがきが出ていて 発行年を昭和W0年代としたものがあった。 さっぽろ雪まつりに来られたことの無い方には、 印刷絵はがきとして半世紀近く前から会期中に販売されていたということは想像外なのであろう。


  ■絵はがきとしては発行年の判別が容易
 入手できた殆どのものは回数、開催年が袋などに書かれていて明白であるが、 これらの記載が無くても 参考文献に挙げた雪氷像写真入り資料があるため容易に判別できる。 初期の袋に会場俯瞰写真が印刷されていて、内容が生写真のものでは袋の写真が前年のものだということがすぐに解った。
 人工物の全く写っていない自然風景の絵はがきでは、 印刷の質から推定して10〜20年の範囲にしぼるのがせいぜいなので それとくらべると、整理が楽である。


  ■多様な発行元
 入手できた印刷絵はがきの現物から判断すると、菅写真が第17回1966年から、 北海道撮影社が第19回1968年から、キングストンが第21回1970年から、 さっぽろ雪まつり実行委員会が第25回1974年から発行していて、それぞれ1995年までのものを7点以上入手している。 これ以外に4社のものを入手しているが それぞれ1、2点である。
 次のように図書館では絵はがきの所蔵が少なく、最盛期には何社が参入していたか解らない。 入手できたものから判断すると、1970年代後半が一番多くの事業者が参入していたようだ。

 注) 発行年により須田製版/印刷または菅写真/発行の一方のみの表記ものがあるが、 個別絵はがきの発行所表記は菅写真に統一した。


  ■図書館に所蔵されているさっぽろ雪まつり絵はがき
 書籍とは異なり 図書館では絵はがきの収集は熱心でなかったようで、 図書館で札幌雪まつりと限定せずに 「雪まつり」 キーワードで検索すると次の通りである。

 札幌市立図書館は130件あるが絵はがきは無し、北海道立図書館は233件あり絵はがきが61件である。 国会図書館にいたっては 札幌以外の内地のものを含んで84件しか出てこず、絵はがきは無い。
 道立図書館はある程度所蔵されているが、発行年代が1970〜80年代と2000年以降のものが殆ど (1990年のものが1件) であり、 初期のものとしては札幌市の1966、1967年発行と札幌中央郵便局1967年発行のものだけである。
 このような状況のため、初期からの絵はがき発行元の趨勢を把握するのは困難である。


  ■入手状況
 この雪まつりに限らず 絵はがきは一部抜かれていることがあるため、 特に雪まつり絵はがきについては 日本の古本屋などの通信販売では入手していず、全て店頭で入手したものである。 入手は古書店に限らずカラマツトレイン、骨董店店頭、骨董市に及んでいる。

 特に生写真のものは書籍情報として記録していなかったのではっきりしないが 札幌の古書店で5点以上まとまって入手していて、 これが入手できた最初期のものであったと思う。 絵はがきの古書店での入手価格は 2009年くらいまでは500円程度で入手できていたが、そのあとは1,000円程度になっていた。
 骨董店では200〜300円の格安であった。 骨董としては新しいからであると思う。


  ■取り上げる範囲など
 古書としては1980年までに絞りたいが、歴史が浅いので20年前の1995年のものまでとした。 所蔵しているこの年までの最新のものは1994年のものである。

  ■参考文献
 ・「第50回さっぽろ雪まつり記念写真集」, 第50回さっぽろ雪まつり実行委員会/編発行, 1998/02, p135, 記録・資料編ともで 定価3,000円
  主にこの本を参考にした。 次の記録・資料編と一緒に箱に入っていて、2007年に市内古書店で1,000円で入手していた。

 ・「第50回さっぽろ雪まつり記念写真集別冊 記録・資料編」, 第50回さっぽろ雪まつり実行委員会/編発行, 1998/02, p79

 ・「さっぽろ雪まつり30年史」、さっぽろ雪まつり30年史編集委員会/編発行, 1979/02/20, p152, 定価2,000円
  2007年に市内古書店で800円で入手していた。

 ・「好きです。さっぽろ 札幌観光協会50年記念誌」, 阿部要介/編, 札幌観光協会/発行, 1986/06/25, p225, 定価3,000円
  2003年に市内古書店で2,000円で入手していた。 観光協会の歴史書であるが 雪まつりは札幌の一大イベントであるので扱いが大きく 他の内容も参考になった。

 ・「さっぽろ雪まつり40回記念写真集」, 伊丸岡秀蔵/編, さっぽろ雪まつり実行>委員会/発行, 1989/03/31, p136
  2005年に市内古書店で1,300円で入手していた。

  ■さっぽろ雪まつりそのものについての情報
 1950年の第1回から対象範囲の1995年第46回までの会期、会場、観客数などを表にまとめて簡単に示す。
 この内容は前記 「第50回さっぽろ雪まつり記念写真集」 の各年説明を要約して、一部補足した (こちら をクリックすると、別表 「雪まつりの歩み」 が開きます。ご参照ください)。


  ■入手した個別さっぽろ雪まつり絵はがきについて
 全てのものについてケースの画像をとりあげ、生写真でケースに写真の無いものは内容の写真を多めに取り上げた。 ケースに写真のあるものについては 特徴のある絵はがき写真などを適宜取り上げている。
 同一年に複数のものがある場合は、印刷絵はがき主要4社については その最初の発行年順 (菅写真、北海道撮影社、キングストン、雪まつり実行委員会) とし、それ以外は順不同である。
 対象として取り上げたものにはすすきの会場の写真は1点も無かった。 この会場は片側2車線公道の中央2車線を利用しているため、会期前には氷像の写真撮影が困難であったと思われる。



  ●第13回, 1962年, 発行所記載なし,「第13回 雪まつり写真」
  9 x 14 cm, 枚数表記なし, 実枚数 4, 定価記載なし, 生写真


発行所記載なし 「第13回 雪まつり写真」 ケース 同絵はがき  これが入手できている一番古いものである。
 雪まつりは年1回のイベントの記念品的なものなので回数の記載があるし、 もし無くても主要雪像写真が参考文献に掲載されているので 発行年が確認が容易である。 この点が一般の観光絵はがきと違うところである。
 この年はまだ真駒内会場は使われていない。




  ●第14回, 1963年, 発行所記載なし,「第14回 雪まつり写真」
  9 x 14 cm, 枚数表記なし, 実枚数 7, 定価記載なし, 生写真


発行所記載なし 「第14回 雪まつり写真」 ケース 7枚組みで内容が異なる画像 7枚組みで内容が異なる画像
 これは第13回と同様の作りの生写真である。 袋が同じものを2点入手していて実枚数は同じ7枚であるが、一部写真が異なっていた。 ネガから焼き増ししていたので 容易に内容を変えることができたのであろう。 全て大通会場のものである。


  ●第15回, 1964年, 発行所記載なし,「第15回 さっぽろ 雪まつり SNOW FESTIVAL SAPPORO」
  10 x 14 cm, 枚数表記なし, 実枚数 7, 定価記載なし, 生写真(裏面はがき)


発行所記載なし 「第15回 さっぽろ 雪まつり SNOW FESTIVAL SAPPORO」 ケース 同絵はがき  たぶん会期中に販売された最初の絵はがきであろう。 裏面に切手貼り付け位置や宛名欄と文章欄の区切り線があり PODT CARDの表記がある。 印画紙に焼き付けるだけで 印刷する訳ではないから作成できたのだろう。
 この年の観客数は主催者発表で180万人を越えているが、何セットくらい作成したのであろうか。 背景から判断して大通会場であることが確実なものは3枚、真駒内会場であることが確実なものも3枚である。







  ●第15回, 1964年, グラフ商会,「さっぽろ 第15回 雪まつり」
  8 x 11 cm, 枚数表記なし, 実枚数 6, 定価記載なし, 生写真


グラフ商会 「さっぽろ 第15回 雪まつり」 ケース
同絵はがき 折りたたみ式ファイル (横向き)

 生写真を折りたたみ式のファイルに入れてあり、バラバラの印画紙ではないので見やすくなっている。 東京オリンピック関連雪像の写真は1枚だけである。 背景から判断して大通会場であることが確実なものは2枚。


  ●第15回, 1964年, 発行所記載なし,「THE 15TH SNOW FESTIVAL さっぽろ雪祭記念写真」
  9 x 13 cm, 枚数表記なし, 実枚数 4, 定価記載なし, 生写真


発行所記載なし 「THE 15TH SNOW FESTIVAL さっぽろ雪祭記念写真」 ケース  袋が孔版印刷 (ガリ版) でいかにも手作りの感じがする。 東京オリンピック関連雪像の写真が2枚入っている。 背景から判断して大通会場であることが確実なものは2枚。







  ●第15回, 1964年, 冨貴堂,「さっぽろ 雪まつり THE PICTURE POST CARD OF SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  9 x 14 cm, 枚数表記なし, 実枚数 8, 定価記載なし, モノクロ印刷


冨貴堂 「さっぽろ 雪まつり THE PICTURE POST CARD OF SAPPORO SNOW FESTIVAL」 ケース 同絵はがき  観客が多数写っていて雪像上でイベントが行われているので、会期後に販売されたものと思われる。 写真面に 「'64さっぽろ雪まつり」 の文字が入っている。 背景から判断して大通会場であることが確実なものは4枚。










  ●第16回, 1965年, グラフ商会,「第16回 雪まつり SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  8 x 11 cm, 枚数表記なし, 実枚数 6, 定価記載なし, 生写真


グラフ商会 「第16回 雪まつり SAPPORO SNOW FESTIVAL」 ケース、右は袋  生写真を第15回のものと同様の折りたたみ式のファイルに入れてある。 袋付き。 背景から判断して大通会場であることが確実なものは3枚。










  ●第16回, 1965年, 佐藤商会,「札幌雪まつり」
  8 x 11 cm, 枚数表記なし, 実枚数 8, 定価記載なし, 生写真、2枚が縦構図


佐藤商会 「札幌雪まつり」 ケース 同絵はがき  雪像や氷像は安定した形状を採用することが多く、縦長のものは少ないため縦構図が含まれる場合は記載する。 ただしテレビ塔から雪まつり会場を俯瞰した写真は殆どが縦構図である。 背景から判断して大通会場であることが確実なものは5枚。









  ●第17回, 1966年, 菅写真,「'66さっぽろ 雪まつり」
  8.5 x 14 cm, 枚数表記なし, 実枚数 15, 定価 150円, モノクロ印刷


菅写真 「'66さっぽろ 雪まつり」 ケース 同絵はがき  雪まつり会期中に発行された最初の印刷絵はがきと思われる。 航空写真が大通会場1枚、真駒内会場1枚含まれている。
 第23回1972年までの菅写真, 北海道撮影社発行のものには航空写真が含まれるものがある。 5枚が大通会場のものである。

 雪まつり絵はがきは殆ど札幌・小樽で入手しているが、これは2014年に豊文堂書店本店で入手した。





  ●第17回, 1966年, 発行所記載なし,「さっぽろ 雪まつり 1966 17th SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  7.5 x 10.5 cm, 枚数表記なし, 実枚数 6, 定価記載なし, 生写真


発行所記載なし 「さっぽろ 雪まつり 1966 17th SAPPORO SNOW FESTIVAL」 ケース 同絵はがき  1枚がテレビ塔から大通公園を見下ろした縦構図。 背景などから判断して大通会場であることが確実なものは5枚。







  ●第17回, 1966年, 札幌中央郵便局,「第17回 さっぽろ 雪まつり 記念 '66.2.3→6」
  14 x 9 cm, 枚数表記なし, 実枚数 4, 定価記載なし


札幌中央郵便局 「第17回 さっぽろ 雪まつり 記念 '66.2.3→6」 ケース 同はがき  中のハガキを見ないで購入してしまった。 官製葉書裏面にスタンプを押したもの。 以後内容を確認してから購入するようにした。








  ●第18回, 1967年, 菅写真,「'67さっぽろ 雪まつり SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  10 x 14 cm, 表記枚数 12, 実枚数 12, 定価 150円, モノクロ印刷


菅写真 「'67さっぽろ 雪まつり SAPPORO SNOW FESTIVAL」 ケース  ケース裏面にモノクロ12枚組の表記あり。 5枚が大通会場のものである。









  ●第18回, 1967年, 菅写真,「'67さっぽろ 雪まつり SAPPORO SNOW FESTIVAL カラー12枚組」
  10 x 14 cm, 表記枚数 12, 実枚数 11, 定価 200円, カラー印刷


菅写真 「'67さっぽろ 雪まつり SAPPORO SNOW FESTIVAL カラー12枚組」 ケース 同2コマ絵はがき  雪まつり会期中に発行された最初のカラー印刷絵はがきと思われる。 一部構図がモノクロ版とほぼ同じものがあるが モノクロ版とは別の撮影。
 通常の観光絵はがきには見られない2コマ絵はがき (1枚の絵はがきの上下に2枚または左右に2枚の写真を入れたもの) が1枚含まれる。 5 枚が大通会場のものである。




  ●第18回, 1967年, 発行所記載なし,「第18回 さっぽろ 雪まつり 記念はがき」
  10.5 x 15 cm, 枚数表記なし, 実枚数 10, 定価記載なし, 生写真、1枚が大通公園縦構図


発行所記載なし 「第18回 さっぽろ 雪まつり 記念はがき」 ケース  はがきとあるが裏面は白紙である。 袋の写真は前年第17回の時のもの。 内容に生写真を使用しているようでは 袋に開催中の写真を入れることができなかったのであろう。 背景から判断して大通会場であることが確実なものは3枚。











  ●第19回, 1968年, 菅写真,「'68さっぽろ 開道百年記念 雪まつり SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  10.5 x 14 cm, 枚数表記なし, 実枚数 16, 定価 200円, カラー印刷、縦構図1枚


菅写真 「'68さっぽろ 開道百年記念 雪まつり SAPPORO SNOW FESTIVAL」 ケース 同絵はがき
 開道百年記念のためであろうか。 航空写真が大通会場2枚、真駒内会場3枚を奮発している。 大通会場をかなりの低空から撮影しているので ヘリコプターを利用していると思われる。 8枚が大通会場のものである。


  ●第19回, 1968年, 北海道撮影社,「第19回 札幌雪まつり」
  10.5 x 15 cm, 枚数表記なし, 実枚数 8, 定価 100円, カラー印刷、縦構図1枚


北海道撮影社 「第19回 札幌雪まつり」 ケース 同絵はがき  北海道撮影社の雪まつり絵はがきで入手できた一番古いものであり、ケースが以後のもより一回り大きい。 枚数が8枚と菅写真版の半分であるが定価も半分である。 初参入の特別価格なのであろう。

 航空写真が大通会場1枚あり、創成川東側からかなりの低空で撮影した構図である。 創成川イーストに高層マンションが建ち並ぶ現在では、そこに住んでいる人たちはこのような光景を見ているのであろうか。 7枚が大通会場のものである。






  ●第20回, 1969年, 菅写真,「'69さっぽろ第20回記念 雪まつり SAPPORO SNOW FESTIVAL」
  10.5 x 15 cm, 枚数表記なし, 実枚数 16, 定価 200円, カラー印刷


菅写真 「'69さっぽろ第20回記念 雪まつり SAPPORO SNOW FESTIVAL」 ケース  航空写真が大通会場1枚 (ヘリの機体?の一部が写り込んでいる)、真駒内会場2枚。 5枚が大通会場のものである。












  ●第20回, 1969年, 北海道撮影社,「さっぽろ 雪まつり 1969 第20回」
  8 x 12 cm, 枚数表記なし, 実枚数 23, 定価 200円, カラー印刷


北海道撮影社 「さっぽろ 雪まつり 1969 第20回」 ケース  サイズが小さくはがきではない。 航空写真が大通会場1枚、真駒内会場2枚、北大ポプラ並木・時計台・道庁旧庁舎の観光写真が各1枚ある。 10枚が大通会場のものである。 縦構図は雪像1枚、大通公園航空写真1枚、観光写真計3枚。

 前年のものが枚数が少なかったので、枚数で勝負したのであろうか。 はがきで無いのはこの1回限りで 以後このようなものを出していない。
 この年から官製はがき枚数に対応した金額となっている郵便局発行のものを除いて各社同一定価となっている。


                                            (第2回につづく)

                                        (2015年2月1日掲載/2月2日一部改訂)


 岩村誠二さんの 「北海道 本の旅」 の第11回です。 「第9回 中学生の頃の趣味」、「第10回 1975年理工系学生の神器」 につづく回顧録は、岩村さんの就職編となりました。

 第26回 「北海道 本の旅 11  光学ガラス会社勤務時のお宝」
                                             岩村誠二 ・ 文


 1979年10月1日から就職活動をして11月頃には会社が決まり、翌年4月1日から光学ガラスの会社に勤務した。 取り上げる本を購入したのはこの半年後であるので脱線するが、この当時の就職活動の記憶をたどってみる。

 まだバブルの前であるが、この年は団塊の世代が終わったころで現在とは比較にならないほど楽であった。 大きな会社で説明会を開くようなところは事前申込は不要で、 私が就職を希望した中小の会社の場合は、会社訪問の前に電話してアポを取った。
 携帯電話など無いので公衆電話を利用した (離島を除く全国ダイヤル即時通話が可能となったのはこの1979年) 。

 この時期は学内の公衆電話が硬貨が一杯になって通話できなくなるということが何度かあった。 駅にある公衆電話は頻繁に硬貨を回収するので利用頻度が高くても一杯になることは無いのだろうが、 東京駅から1時間半くらい掛かる大学構内に設置されている公衆電話ではこのようなことが起こったのである。

 毎週週休2日の会社はごく僅かで、就職した会社は隔週週休2日であった。 入社した週の土曜日が休みであったので東京の神保町に行き、次のガラス製造に関連した専門書を購入した。 光学ガラスは一般の窓ガラスや食器ガラスとは異なる特殊な世界であるため光学ガラスだけを扱った専門書は出ていず、 この本で妥協したのである。



 ●「ガラス工学」 , 成瀬省 著, 共立出版 発行, 1958/11/01 初版1刷, 1971/02/10 初版11刷, A5, 写真p1+序p2+目次p8+本文p386+索引p11, 定価1,800円

 購入した版が出てから10年近く、初版からみると20年以上経っている技術書を2,300円で購入していた。 国会図書館で調べてみても、この当時の単行本としてはこの本しか無かったようである。 当然のことながら日本の古本屋には出ていない。

ガラス工学  仕事の内容は専門的すぎるので省くが、この当時は光学ガラスとして不良品のものは産業廃棄物として 工場敷地内の保管場に置かれていたので、見栄えが良いものを拾ってきて保存していた (現在は装飾用ガラスとして販売されているようである)。









  ・レンズ形状のもの

レンズ  青いものは熱線吸収ガラスだと思う。凹レンズは単体では飾りにすぎず、 凸レンズ形状でもルーペとして適当な曲率でないので飾りに過ぎない。 これらは昔の仕事の思い出の品で、通常は箱にしまったままである。









  ・色ガラス原塊など

色ガラス-蛍光灯照明  下中央のものは平面形状が正方形のブロックであるが用途は解らない。 下右の球形のものは豊文堂書店北大通店店頭で購入したガラス浮き球である。 この画像は蛍光灯照明で撮影している。 これらはインテリアとして玄関に飾っている。






色ガラス-白熱灯照明  同じものを白熱灯照明で撮影すると、右上の色ガラス原塊が全く違う色調に見える。 玄関の照明は蛍光灯なので、来客が来た時に電球の懐中電灯光を当てて見せている。







                                              (2015年1月2日掲載)


 鈴木好生さんの80年代中学生ライフのつづきです。 スポーツとは縁遠い文化系一色に染まった日常に親近感を抱く方もいるのではないでしょうか。
 少年ジャンプ連載の 『ハイスクール奇面組』 は、鈴木さんと歳がそう変わらない私もファンでした。


  第25回 「本と共に歩んできた人生  第7章 遠くへ行きたい」
                                            鈴木好生 ・ 文

  (承前)

  第7章 遠くへ行きたい

 その翌年も文化祭にて川口浩の探検隊2を実施したのである。 台本をかなり練った様子で、番組の名場面、修羅場のオンパレード満載で場内は沸いていたのであった。

 私は担任の先生の薦めで音楽の部に出演する事が決定したのであった。 その為、私は川口浩の探検隊の演劇に出演しなかったのである。
 担任の先生がフォークギターを持ち、私はアルトリコーダーのユニットを結成してステージに臨んだのである。 曲目は作詞:永六輔、作曲:中村八大、歌:ジェリー藤尾の 「遠くへ行きたい」 である。

 本番の日まで殆ど毎日担任の家に行き、7時から9時までのおよそ2時間の特訓を重ねたのである。 担任に教えられたままのメロディーをリコーダーで覚えたのである。
 しかし、原曲は聴いたことがないのである。
 どうしても原曲が知りたくて、レコードを探したのである。 その結果、丸ト北村の二階の中古レコード店にて見つけたのであった。

 そのEPレコードの金額は1,800円と中学生の私にとっては非常に高額であった。
 曲を試聴すると何とマイナーな曲調であった。 リコーダーで教わった曲調は明るい感じのメジャー調である。
 担任の先生はマイナー調をメジャー調に直して演奏していたのである。 リコーダー演奏の運指上の配慮であろうか。

 そして迎えた本番当日、最初で最後の先生と生徒によるライブが始まったのであった。
 現在、執筆中にアルトリコーダーを取り出し、当時を振り返り、15分ほど演奏してみたのである。 原曲のマイナー調の方は徐々に慣れて演奏できたのである。
 一方、先生から教わったバージョンを思い出し演奏してはみたが、難しいのである。 頭の中では演奏されているのにうまく指が進まないのである。
 当時、教えられたからこそすぐ演奏出来た訳である。

 文化祭が終わりその数ヶ月後、先生は胃潰瘍を患い休職したのである。 療養生活の末、先生は本当に遠くへ行ってしまったのであった。

 さて、当時はレクリエーションとしてリコーダー部、将棋部も経験した私ですが、この頃読んでいた本は次の通りである。

  9. 井沢まさみ 「どっきんロリポップ」
  10. 新沢基栄 「ハイスクール奇面組」

 9は広島カープファンの友人より、安く譲ってもらったコミックである。
 主人公は石川智子。 ある日いじめられていた犬を助けたのである。 その犬は神様で、助けてくれたお礼にテレポーテーション能力を身につけるという話である。 なぜか服だけをその場に残してテレポーテーションするのである。 当然移動先は全裸である。
 好きな男性を思って時々テレポーテーションが発動し、突然現れた全裸に男性が気絶するというストーリーである。

 10は学園ギャグマンガである。
 この本もカープファンの友人より安く譲ってもらったコミックである。 ギャグによっては6等身が2等身へと変化したりするのである。 兎に角一人一人のキャラクターの個性が強いのである。 コミックでしか表現できない面白さがあるのである。
 それに名前も当て字で忘れにくいのである。 主人公であるメインキャラクターは一堂 零 (いちどう・れい)、冷越 豪 (れいえつ・ごう)、出瀬 潔 (しゅっせ・きよし)、 大間 仁 (だいま・じん)、物星 大 (ものほし・だい) である。 ほとんど語呂合わせな名前で構成されているのである。

 それ以来ギャクマンガに感銘を受け、譜面は読めなくても指先の感覚を頼りに出せる音域の範囲内なら、 大概の曲をリコーダーで演奏出来る中学生がここにいたのである。

                                               (2014年12月1日掲載)


 当サイトの音楽コラム レコードの溝 で健筆をふるう平位公三郎さん。 9ヶ月ぶりに 「本を繋げて」 にご登場いただきました。 取り上げられた 『地下室の手記』 は、自意識の地獄に囚われた者を描いて発表から150年後の今も青年青女の心を震わせる名作です。


 第24回 「私の青春再読 4
      『地下室の手記』 ドストエフスキー著・江川卓訳・新潮文庫1969年発行・2013年改版

                                 「大阪のガス人間」 こと 平位公三郎 ・ 文


 ドストエフスキーの作品は何冊か持っているが、最後まで読んだのはこの作品と、高校生の頃に読んだ 『罪と罰』 だけだ。 ドストエフスキーは、作品の分厚さと陰鬱なタイトルに気後れしてしまって、とても読了しそうな気がせず、積ん読 (つんどく) となるのだ。

 これは、文庫本となってすぐに読んだ記憶がある。
 1970年頃のことだ。 当時の文庫本はどこかにいったので、大きな文字になった改版を読んだ。 ところが文字は見やすくなったが、いかんせん内容が頭に入ってこない。

 いよいよ私の理解力も落ちてきたかと嘆きかけた時、そういえば学生時代も読みにくかったことを思い出した。
 特に、第一部だ。
 私の記憶では、第二部が完全に抜け落ちており、今回初めて読んだような気がした。 送別会に無理矢理出かける場面も、リーザもアポロンもまるで記憶に残っていない。 見事に初見の新鮮さだった。 そしてあっという間に第二部は読みきった。

 問題は、やはり第一部だ。
 冒頭の、『ぼくは病んだ人間だ…ぼくは意地の悪い人間だ。およそ人好きのしない男だ。』 ――ここでドキッとした。 そして、『ぼくの考えでは、これは肝臓が悪いのだと思う。』――で、笑ってしまった。 当時も今も…。

 私は、当時、感受性が強く、自意識過剰で繊細で (自分で言うか!) 小心者だった。
 私は、人に嫌われることを極端におそれながらも、余計なことを言っては落ち込み、 夜中に懺悔・反省し、あしたこそはこうしようと構想を練り、相手の反応を妄想し、疲れ果てて夜明けに寝ていた。
 だから、初めは自分のことが書いてあると思って喜び勇んだが、そう簡単な内容ではなくて、殆ど理解できなかった印象がある。

 私は、子どもの頃から自分を正常な人間とは思っていなかった。
 それは、9才の頃、父親が妹の方ばかり可愛がっていることを逆手に取り、 妹をいじめては父親から折檻されることを <快楽> のように感じていたからだ。 つまり、分かっていて痛い目に遭っていたのだ。 (それに、この痛みは私の存在確認でもあった。)

 父親が私に手を出した時点で、私は父親より優位だと考えていた。 思う壺だ。 『あんたにはオレの気持ちは分かるまい…』 と、そんな目付きで父親を睨んでいた。 恐るべき子どもだった。 そして、学校では平気な顔で <いい子> を無理なく意識せずに演じていたのだ。 (私の『手記』ですね。)

 だから、『歯痛にだって快楽はあるさ』 が一番よく分かった。 そして、『いったい自意識をもった人間が、いくらかでも自分を尊敬するなんて、できることだろうか?』――その通り!

 ブルースのようにリフレインしながら、合わせ鏡の奥へ奥へと読者を引き込んで作者のペースへもってゆく文体・手法。 読者の想像力を挟ませる隙を与えぬ息苦しさ。
 こんな小説は初めてだ。

 そもそも、これは小説なのか? 神経症患者の独白だ。フロイトの無意識に対して自意識の追求だ。 私は、この作品の第一部を読んでフロイトの精神分析に興味をもったのだ。

 第一部の中盤からは、凄まじい西欧合理主義、空想的社会主義批判になる。 その合理主義は、<二二が四> に象徴されて、人間の欲望が数値化されてカレンダーみたいな表になる。 そして、人間はやることがなくなるというのだ。 そして平和になるって!
 そんなことがあるかっと怒る。

 そこで、【恣欲】 (しよく) というキーワードが出てくる。 これは国語辞典にはなく、恣意=勝手気ままな考え。 と欲望を合わせた訳者の合成語と思われる。
 この恣欲が、『上は理性から下はかゆいところをかく行為までひっくるめた人間全生活の発現なのだ。』 と言い切り、 初めの方で、『およそいっさいの意識は病気なのである。』 と言ってたのが、 『自意識は、たとえば、二二が四などよりは、かぎりもなく高尚なものである。』 となって一件落着する。

 第二部については省略するが、たった76ページの第一部は < くせ者> だったので都合2回読んで、 およそ40年振りにこの作品を (少しは) 理解できたように思う。 しかし、まだまだ謎は多い。

 ドストエフスキー畏るべし――


                                                (2014年11月1日掲載)


 今回の 「北海道 本の旅」 は、岩村誠二さんの大学入学から卒業後までを背景につづられています。 中学時代の鉄道模型趣味を語った前回と地続きの内容です。
 岩村さんの郷土資料コレクション展 「地図・絵はがき・観光ガイドで見る あの日の釧路・阿寒」 は、 釧路市立博物館 にて好評開催中です (10/5 (日) まで) 。



 第23回 「北海道 本の旅 10  1975年理工系学生の神器」
                                           岩村誠二 ・ 文


 1975年の入試をかいくぐって理工学部工業化学科に潜り込むことができた。 この年から定期試験に電卓を使用できることになり、 関数電卓(浮動小数点演算ができて、対数計算、三角関数計算できるもの) を入学祝いに買って貰った。

 1972年8月発売当初は定価12,800円であったカシオミニ (6桁整数演算のみ) が1974年には定価が下がり、 1976年4月には定価3,900円に下げられた時期 (Wikipedia による) であるが、 理工系で必要な浮動小数点演算、超越関数演算 (文系の方は 身近にいる理工系の人に聞いてください) ができる関数電卓はまだ高かった。


 ●CASIO fx-15

fx-15_外観  有効桁数8桁 (指数表示では6桁) で10の±39乗までの数値を扱え、 対数計算、三角関数計算できるが まだ統計計算はできず、液晶表示ではなく表示管を使用している。 それでも試験での計算や実験データ整理に役立った。
 AC電源も購入したが 電池が安くなって利用しないため箱とともに捨ててしまった。 普段は使っていないが 現在も完動品である。 (比較用電池は単3)


 超越関数計算は近似の公式通り行っているようで、 特に対数計算が遅くマニュアル撮影ができない安物のデジカメでも 画像のように計算途中を撮れる遅さである。
fx-15_計算中  左画像は 10,000,000を入力したところ、中画像は logキーを押して計算中、右画像は 結果の7が表示されたところ。







fx-15_取扱説明書  価格は現在の最安デスクトップパソコン (本体のみ、ディスプレイ別) の半分くらいである。 当時はこの価格で私鉄線1km、国鉄線60km、別の私鉄線6km程度の6ヵ月分大学学生定期が買えた。

















 ●「溶媒抽出の化学」 , 田中元治/著, 共立出版/発行, 1977/05/20 初版1刷, A5, p222+索引p4, 定価2,200円

化学専門書  この本は4年の卒業研究に利用したものである。 化学とは別の分野に就職したため、現在読んでも理解できないことばかりである。
 予想通りであるが、日本の古本屋で検索しても出てこない。







 ●SHARP ピタゴラス エルシーメイト EL-509

EL-509_外観  製造業に就職してポケットに入れて持ち歩きできるサイズの関数電卓として、1982年に4,000円程度で購入したと思う。
 購入して間もないころだと思うが 作業着のポケットに入れたまま洗濯してしまい、 4,000円の損失かと思ったが 裏蓋を開けて乾燥させたところ使えるようになりひと安心した。



EL-509_取扱説明書  有効桁数8桁 (指数表示では5桁) で10の±99乗までの数値を扱え、 対数計算、三角関数計算の他に利用できる関数がfx-15の倍くらいの数で、統計計算ができるようになっていて、液晶表示である。 まだ太陽電池が付いていない。
 fx-15と同じ対数計算をやってみたが結果が瞬間に出て、経過の表示を見ることができない。


 「RL-509」 という型番は 現在も新しいものが発売されているようである。 持っているものよりはるかに新しいが 表示おかしいジャンク品がヤフオクに800円で出ていた。 たぶん骨董品として出しているのだと思うが、完動品でないものでこの価格を付けるなら  38年前の完動品fx-15は それなりの価格で売れそうだと皮算用してしまった。

                                          (2014年10月1日掲載)


 鈴木好生さんが80年代に送った少年時代をふりかえる異色の連載も中学生編に突入。 しっちゃかめっちゃかな行状が止まりません。

  第22回 「本と共に歩んできた人生  第5章 新聞少年/第6章 川口浩の探検隊」
                                          鈴木好生 ・ 文


  第5章 新聞少年

 この頃になると、ある年齢と共に○○軍団という団体は自然解散となったのである。
 中学校に入ると同時に新聞配達も始めたのであった。 親の勧めではあるが、夕刊の配達を始めたのである。 しかし土曜日だけは朝刊も配達するのである。

 私の担当区域の部数は約60部くらいであった。 当時を振り返れば、配達員の9割が同じ学校に通う学生であった。 年に一度、各販売店の配達員が集まり、泉屋レストランの宴会場にて食べきれないほどの御馳走が出たのである。 春夏秋冬天候問わず決まった時間に新聞を届けていたのである。 毎日同じ時間にジョギングのつもりで配達して毎月報酬がもらえるのである。

 さて、当時はこうして3年間ジョギングをやり遂げた私ですが、この時期読んでいた本は次の通りである。

  1. 梶原一騎 「プロレススーパースター列伝」
  2. ワニブックス 「プロレス必殺技の本」

 プロレススーパースター列伝は、1巻毎に紹介する登場人物の生い立ちから現在に至るまでの物語である。 人物によっては2巻、3巻と続いているのである。
 私が所有していたのは6巻のアンドレザジャイアント、7巻のアントニオ猪木、8巻のジャイアント馬場、9巻のタイガーマスクであった。

 当時プロレスが好きで、HTB釧路39chの 「ワールドプロレスリング」 を楽しみに観ていたのである。 書店で2の本を見つけた時、立ち読みをした後に購入したのである。 本には技の名前とその下に日本名で技が書かれていたのである。

 しかし、疑問が残るページがあったのである。
 写真にはジャイアント馬場がその技を繰り出している姿があるのである。 その必殺技は紛れもなく 「ココナッツ・クラッシュ」 (ヤシの実割り) である。 しかし、その本では 「ココナッツ・スカッシュ」 (ヤシの実割り) と掲載されているのである。
 一般的に知られているのは前者のクラッシュである。 辞書で調べるとスカッシュとは ”押しつぶす” という意味である。 どちらの言い回しも間違ってはいないと思うが、直訳すると (ヤシの実潰し) である。
 潰すと割るでは意味合いは何となくわかるのである。

 スカッシュと言えば日本人ならレモンジュースやスポーツを連想してしまうだろう。 プロレス技として効き目がありそうな名前で行けば、やはりクラッシュが妥当と思うのである。
 現在、検索というツールを利用すれば、後者は残念ながら出てこなかったのである。 ただ単にスカッシュとミスタイプして引っ込みがつかなくなった可能性も十分あり得るのである。

 ミスタイプといえば、映画 「バック・トゥ・ザ・フューチャー」 で、 未来のドク博士がタイムマシンについて必要な電力のスペックを語るシーンがある。 「1.21ギガワット」 の所を 「1.21ジゴワット」 と言っているシーンがある。 それは脚本家がミスタイプしたのである。 この件もスカッシュと類似案件かは謎である。

 それ以来、興味があることについて、分からない事や思い違いと感じたら必ず辞書を引いたりして確かめる中学生がここにいたのである。

 因みに小学生時代編にて、印の結び方を現在になって再確認した所、一部印の結びに誤りがあることに気がついたのである。 見た目は一緒だが、中指、薬指、人差し指が水引の結びの如く複雑に絡み合っていたのである。
 現在この印は、何とか結べるようにはなったが、連続動作をスムーズに出せるようになるまではひたすら練習のみである。


  第6章 川口浩の探検隊

 TVの水曜スペシャル川口浩の探検シリーズが好きだったのである。
 学校給食の時間が終わると昼休み時間である。 当時の母校の校舎裏は見渡す限りの原野であった。 昼休みから五時限目の授業が始まるまでの時間は、川口浩の探検隊と称して、我ら数人で原野を探索したのである。

 行く手を阻む軽いぬかるみ、胸元ほどに成長したススキ、やちぼうず、 そして至る所に直径7〜8cmほどの空き缶で作られた落とし穴が埋まっていたのである。 誰が何の目的でその落とし穴があるのか未だ不明であった。 しかし何度か探検している内にその目的が明らかになったのである。
 雨上がりの翌日、空き缶には雨水がたまっていたのである。 その溜まった水の中に未知なる生物を発見したのである。 それはサンショウウオであった。

 時々、原野やグランドにはキタキツネも目撃するのである。 さすがに熊や鶴は目撃することはなかったのであった。
 その探検が高じてサバイバルゲームに発展し、さらには文化祭にて 「川口浩の探検隊」 というタイトルで演劇を実施したのである。 私は探検隊と一緒に珍獣バーゴンの居場所を案内する原住民役として出演したのである。 私の台詞は通訳が訳すという設定なので全てアドリブであった。

 さて、当時は探検な面々と一緒に遊んでいた私ですが、読んでいたのは次の通りである。

  6. 二見書房 コックリさんの秘密
  7. 徳間書店 「今夜はそっと亜美」
  8. 月刊雑誌 「COMBAT」

 6など、夜はさすがにこの手の本を読むのは恐怖なのである。 なるべく一人っきりで読まない様にしているのである。
 記憶が確かならこの本には、あいうえおの50音と中心に鳥居が書かれた紙が付録していたと思う。 この手の怖い話題となると、何故か私にお声が掛かるのであった。 まるで新倉イワオになったような気分である。

 7はラジオ番組で放送されたドラマの総集編である。
 この頃はラジオを聴いていたのである。 夜中になると日本放送や文化放送、東海ラジオ、大阪放送などをキャッチしていたのである。 当時は番組の内容云々よりも遠くの放送局の電波を受信できた事に重点を置いていたのである。

 私が深夜放送を色々受信している事を知った広島カープ好きの友人が文化放送の深夜放送のアニメ番組を教えてくれたのである。
 その友人の家はピンク色で当時としては非常に珍しい家の色である。 彼の家に訪れたことがあるが、彼のお部屋も非常におもしろい部屋で本が沢山あったのである。

 現在では、深夜の時間帯にアニメドラマはごく当たり前である。 当時、アニメ声優がキャラクターになりきって視聴者のハガキを読んで、ラジオドラマの朗読する番組は、 これが走りなのではないかと思うのである。
 毎週土曜日、深夜2:30の時間帯の番組なので、眠くて何度か聴きそびれたりしたのである。 まともに聴いたのはたった一回っきりであった。
 後にこの本が発売されたのである。 ラジオ音声も録音しながら受信していたので、ドラマの内容を確認する。 どうやら全25話中の内23話目のドラマを聴いたのである。

 8はモデルガンの紹介、特殊部隊、GUNアクション映画など、拳銃やマシンガン、ライフルに関する情報が満載の雑誌である。 探検隊が高じて、各自モデルガンを持ち始めたのである。
 購入はすべてミヤケ模型店である。 ほとんどの仲間はいわさき模型店でこの雑誌を参考にモデルガンを何丁か購入したのである。

 私は拳銃のコルトガバメント、サブマシンガンはUZIのモデルガンを所有していたのである。 モデルガンを使用し始めた頃 「ルパン三世」 とか 「ゴルゴ13」 とか 「大門くん」 と呼ばるようになったのである。
 これらに共通するのは坊主頭にもみあげが長く銃を持っている事である。 当時、坊主頭にもみあげが長かったので、そのような名が付いたのであった。

 それ以来、怪談、恐怖、ミステリーの事に呼ばれ、ラジオドラマの話しに引き込まれ、 極めつけは、泥棒、殺し屋、警察のキャラクターの呼び名までも3つ持ってしまった中学生がここにいたのである。


                                           (2014年9月1日掲載)


 当欄ではすっかりお馴染みとなった岩村誠二さんの 「北海道 本の旅」 第9回をお届けします。
 現在、 釧路市立博物館 では、岩村さんの郷土資料コレクションを集めた 特別展 「地図・絵はがき・観光ガイドで見る あの日の釧路・阿寒」 を開催しています (10/5 (日) まで)。 北海道渡航案内から 「ホテルローヤル」 まで、釧路や阿寒国立公園に関する紙もの資料およそ二百数十点の展示です。 「北海道 本の旅」 をお読みになった方であれば、その内容がすばらしく行き届いたものであることが想像つくかと思います。
 8/23 (土) 13:30より、札幌からご本人をお招きして博物館でフロアトークを行います (申込不要)。 ぜひご来場ください。



 第21回 「北海道 本の旅 9  中学生の頃の趣味」
                                          岩村誠二 ・ 文


 「本を繋げて」 第13回の鈴木氏文章に触発されて 子供の時のことを書こうとしたが、 文章にできるほどはっきりした記憶がないので、現物が残っている中学生時代の趣味に関連した本のことなどを取り上げる。
 当初は模型の本が自宅で見つからずあきらめたが、ふとしたことから発見でき、今でしょとばかり書き上げた。

 十数年前に北海道に移住してくるまでは神奈川県に住んでいて、中学に入った頃にHOゲージ (1/80) 鉄道模型に興味をもち、 最初はデパートで既製品の自由形 (スケールモデルは高価で無理) を買って貰った。 そのうち実物にも興味を持ち始め、中学2年の時には 現在も刊行されている 「鉄道ビクトリアル」 を小遣いで購読し始めた。
 まだ活気があった商店街に模型店があり 鉄道模型を自作するための部品を売っていることを知り、 実物車両の本から寸法をとり スケールモデルを作り始めた。
 残っているものから 特に思い出のあるもの2点を取り上げる。

ボール紙製車両  写真の後ろに写っているのが 中学2年の夏休み工作の宿題として作成したもので、 厚さ3mmの朴の木を床材として使い 屋根も朴の木製、車両の壁は0.5mm厚ボール紙、窓はセルロイドだったと思う。
 ボール紙を車体の大きさに切り出すのは カッターナイフと定規で行った。 窓の切り抜きは、利用頻度の高い数種類の幅に折ったカッターナイフの刃を 真鍮の取っ手に半田付けしたもので押し切っていた。
 自作の工具が残っていれば こんなことをやっていたと興味深いが、車両以外はレールなども含めて 全て捨ててしまった。 塗装はまだ筆塗りだった。 こちらはモーター無しである。

 模型の作り方は次の雑誌の記事を参考にした。


 ●「鉄道模型趣味」1968年11月号 通巻235号 , 山崎喜陽 編, 機芸出版社 発行, 1968/11/01, B5, p64, 定価200円

鉄道模型趣味 鉄道模型趣味 関連製作記事  これは商店街の古本屋で100円か もう少し安い価格で購入したものである。 当時カバー無しの文庫本 (岩波文庫は紙のカバーでなく 半透明のグラシン紙の時代) は10円で売られていたのをはっきり覚えている。
 内地の地元商店街にあるような古本屋は狭い店が多く 4畳半とか6畳程度の店が普通であった。 それから見ると 豊文堂書店の店舗は両方とも大店舗である。
 この年代の号は日本の古本屋にバラでは出ていないが 単価400円程度で買えるようだ。 車両の情報については、当時誠文堂新光社から発行されていたガイドブックシリーズ中の次の本を参考にしている。


 ●「客車・貨車ガイドブック」 , 星晃・卯之木十三・森川克二 著, 誠文堂新光社 発行, 1965/06/25 第1版 1968/02/05 第4版, B6, p252, 定価850円

客車・貨車ガイドブック  この本のデータを使い10両程度を作成して使い込んだため、写真で解るようにカバー周囲をセロテープで補強していて 今にも剥がれそうである。 模型を作成した車両のページには 模型での窓幅など各種寸法が書き込んである。 まだ家庭用電卓など発売されていない時期であるので、1/80寸法を筆算で計算したものである。
 この版は、日本の古本屋で現在3,800〜4,300円になっている。


ボール紙製車両  模型写真の手前に写っているものは 中学3年頃に作ったと思う。 中高一貫校であったので、勉強せずに模型ばかり作っていた気がする。 車体の作りは前のものと同じで、こちらは吹きつけ塗装 (手動ポンプ) に進化し、モーター付きで、ディテールにも凝っている。
 吹きつけ塗装はベランダでやっていた。 当時はシンナー遊びをする人がいたようであるが、酒も飲んだことが無い私には想像外のことだった。 車両の情報については、発行されたばかりの次の本を参考にした筈である。


 ●「国鉄電車ガイドブック 旧性能電車編(上)」 , 浅原信彦 著, 誠文堂新光社 発行, 1971/07/31 第1版, B6横, p268, 定価1300円

国鉄電車ガイドブック(上)  こちらは、作成した車両のページに模型の寸法を書き込んでいないので、別紙に図をトレースして 本を大切にするようになったのだと思う。
 日本の古本屋で現在3,000〜4,200円で出ている。








 追補

 冒頭に 「模型の本が自宅で見つからずあきらめた」 と書いた本が新しい原稿のネタ本を沙汰している時に出てきたので紹介する。

 ●「HO車両とレイアウトの工作」 , 松沢正二 著, 誠文堂新光社 発行, 1962/01/15 第1版, 1969/03/25第7版, 21x18,5cm, p159, 定価550円

HO車両とレイアウトの工作-表紙  この本は誠文堂新光社の 「設計・工作教室」 第4巻で、 巻末のシリーズ一覧を見ると 初版発行時点では少年向けガイド本としては最先端の内容だったようである。 1970年の時点では市販されていたパーツが少し進化していた。
 中学1年の一番最初の鉄道模型を作成した時点でこの本を入手していたかどうかはっきりしないが、 車両作成の参考にしたのは雑誌の方で間違い無いなかった。 この本はレイアウトや電源作成の参考にしていたと思う。







HO車両とレイアウトの工作-設計・工作教室 HO車両とレイアウトの工作-レイアウト  現在では鉄道模型の 「レイアウト」 というキーワードを見ることがないので Wikipedia で調べたところ、 現在多く見かける 「ジオラマ」 は本来静的な 「情景模型」 であるが区別されなくなってきたとのことである。











                               (2014年8月1日掲載/2015年3月3日追補)


 当サイトに 「本を繋げて」 欄が生まれるきっかけを作った豊田文夫さんの 「一撃必冊のエッセイ」 が初回以来の登場です。 約40年前の中標津町の文芸誌に載った先人のことばを拾って、地域や学校が出す記念誌の重要性を書いてくださいました。
 折りしも、北海道の人口減少の大きさを伝える 報道 が目につきます。 日本社会の変容と今後のあり方を指し示すものとして。



 第20回 「一撃必冊のエッセイ 2  『北のふるさと 1号』」
                                          豊田文夫 ・ 文


 次回の原稿は豊文堂へのリスペクトだから…、当初の約束を果たすのが今回のエッセイです。

 豊文堂さんには、いろいろとお世話になっています。 私の書架にある根釧地方の部落史、学校史、とくに閉校記念誌の多くは、郷土史に強い豊文堂さんが丹念に集めたものです。
 雄別とか、今は跡しか残っていない地域もあります。
 先日、北斗遺跡の公園を視察した際、昭和46年3月に閉校した北斗小学校がどこにあったのかの方が気になりました。 手作りの北斗小学校閉校記念誌も豊文堂さんから買ったものです。

 実は私の卒業した小学校は、卒業と同時に廃校になりました。 昭和49年3月のことです。 標津線の駅名にもなっている地域の小学校です。
 人々の記憶と写真、そして記念誌でしか残らない学校もしくは地域が実は少なくありません。 当然、人々の記憶は寿命とともに消えてしまいます。 残るのは写真か本の類です。

 6月23日、久々に北大通店の方に行くと、HP上では売り切れていた 「北のふるさと 1号」 (昭和50年11月発行) がありました。 中標津町で編まれた文芸誌で、そのなかのひとつ羅臼町の村田吾一さんが書かれた 「失いたくない二つのもの」と題するエッセイは、魂の叫びです。

 二つとは、標津線と僻地学校のこと。
 僻地学校の統廃合を教育行政の大失敗と酷評し、 さらに、 「僻地不便地に育った子供でないと、その不便僻地に打ち勝って開拓は進められない。 その修練と積み重ねによってたくましい北海道開拓魂が養われる。 そして、その地の開発と発展に意欲的に取り組む温床となるのである。 その土地柄、気候に合う企画がなされて、後継者の心配もなくなると言うものではなかろうか。 町の大きな学校に出すと、決してかえりません。 開拓根情から遠のくばかりである」
 「僻地開拓地の大いなる文化開発者は、その僻地の先生達である」 といった内容をつづっています。
 勿論、鉄道 (とくに駅) も大切だと説きます。

 当時の統廃合は過疎が原因でした。 平成以降の統廃合は、少子化が主原因ではありますが、 僻地学校の持つ役割は、子供のためではなく、地域全体の中心としての役割が強かったのです。
 村田さんの魂の叫びから約40年、地域を再起動させる開拓魂は、古書店でしか触れられなくなったのです。


                                           (2014年7月1日掲載)


 岩村誠二さんが連載最新回で掲げるのは 「豊文堂書店で見つけたお宝」。 96年の初来店から今日まで、当店でお買い上げになった中から選んだ北海道本20冊です。
 我田引水自画自賛と後ろ指をさされてしまいそうですが、決してこちらから申し出たわけではありません (依頼して書いてもらったならば、『JR釧路支社 鉄道百年の歩み』 購入時のエピソードは出てこないでしょう)。
 愛読した雑誌をとおして過ぎし日を思いおこす坪内祐三の著書 『私の体を通り過ぎていった雑誌たち』 をもじって <豊文堂書店の棚を通り過ぎていった良書たち> とでも呼べそうな、売り手による感慨も湧いてきます。


 第19回 「北海道 本の旅 8  豊文堂書店で見つけたお宝」
                                         岩村誠二 ・ 文

 1996年以降 釧路に旅行に行くつど、2005年以降はホームページでも、 豊文堂書店からいろ入手しているが その中でも印象に残るものを入手順に取り上げる。
 ここで取り上げる本は大部分道内発行のもので 国会図書館には所蔵されていないものが多いため、 国会図書館の状況については中央官庁発行のものか 所蔵されている場合のみ取り上げる。


 ●「森林鉄道の記録」 , 原口嘉光, 足寄営林署, 1985/03, B5, p105

『森林鉄道の記録』  1996年10月に 本店店頭で4,800円で購入した。 釧路には1982年頃からこの年までに10回近く行っていたが、本店の場所が観光ルートから外れた駅裏のため存在を知らず、 この時釧路空港からのバスから見て初めて出会った。 古書店地図帳は持っていたが 豊文堂書店開店前の版であった。
 店内に入ると カウンター上にこの本がつり下げられていて衝撃を受けて、値段も確認しないうちに買いますと言ってしまった。 この当時、森林鉄道の趣味の本は 木曽森林鉄道についてのものが刊行されているだけであり、 国会図書館の蔵書検索をインターネットで検索できる訳でもなかったからである。
 道立図書館には所蔵されていないが、帯広市図書館に所蔵されている。 数年前に豊文堂書店ホームページに出ていたと思うが 価格は倍くらいになっていたと思う。 また、2005年くらいに本店店頭で積み上げられた本を発掘していた時に埋もれていたのを発見している。



 ●「郵政事業用 スキー技術の手引」 , 札幌郵政局郵務部 監修, 郵政弘済会札幌地方本部, 1955/03/15初版, 1958/01/15改刷, B6, p63, 頒布価格85円

『郵政事業用_スキー技術の手引』  2005年ゴールデンウィークに釧路に行った時に これから 「江差線建設要覧」 までを豊文堂書店で入手した。 この時に本店で北大通店ができたのを教えていただき、北大通店では道内鉄道ものを主体にいろいろ入手した。
 この本は北大通店でみつけ、スキー本として珍しいと思い1,050円で購入した。 道立図書館及び道内図書館横断検索でも見つからず、珍品なのかもしれない。
 この時代はまだ冬季除雪されない道路が道内には多数あり スキーでの郵便配達は日常のものであったのだろう。






 ●「釧路石炭事情 昭和十二年編」 , 三井物産石炭部小樽支部釧路派出員 編発行, 1937/06/20, B6, p27

『釧路石炭事情_昭和十二年編』  本店で3,150円で購入した。 道立図書館及び道内図書館横断検索でも見つからず、この本も珍品なのかもしれない。
 この本は袋に入っている。 付図が綴じ込まれていなくて袋に入っているものは見たことがあるが 書籍本体の袋入りは他に見たことがない。









 ●「江差線建設要覧 昭和十一年十一月」 , 鉄道省北海道建設事務所 編発行, 1936/11, 表紙付き折畳みサイズ18x10cm, 17.5x66cm, 片面印刷

『江差線建設要覧』  本店で10,500円で購入した。 鉄道とは関係ない江差の絵葉書3枚が付いていた。 戦前道内国鉄線の 「◯◯線建設概要」 という書籍は何点も入手したが、 このような折り畳み形式の建設要覧は 他に日高線、札沼線のものを入手しただけである。
 道立図書館に所蔵されている。 関係者のみの配布で、書籍形式では無く絵葉書でもないので 古書市場には出てこないのであろう。










 ●「活魚運搬方法ニ関スル考察 昭和十三年三月」 , 農林省水産局 編発行, 1938/03/30, B5, p86+附録p6

『活魚運搬方法ニ関スル考察』  前記2005年ゴールデンウィークから戻った翌週週末が雨であったので 豊文堂書店ホームページを隅から隅まで見ていろいろ注文した中の1点である。 1,050円で購入したが この価格で珍品をよくぞ入手できたものである。
 活魚運搬とは魚を生きたまま運搬することで、この本では自動車と鉄道貨車での実例が附録に掲載されている。 中央官庁発行のものなので国会図書館にはあると思い 「活魚運搬」 というキーワードで検索したが、 鉄道貨車は全く無く、大部分が活魚運搬船で 自動車は2000年代のものしかなかった。







 ●「業務資料 雪のうち雪崩 昭和26年3月 北海道(特に北部)に発生する雪崩について」 , 旭川鉄道管理局施設長付調査室 編, 旭川鉄道管理局 発行, 1951/03, B5, 写真p1+p36

『業務資料_雪のうち雪崩』  前書のあとの2005年5月中にホームページ掲載のものと新着のものを見ていって、月末に2,100円で入手したものである。
 1950年頃に旭川鉄道管理局では除雪、凍上とか泥炭地に関する業務資料を何点も発行していて、 それらの内の多くのものを2000年頃に札幌で入手していたが これはまだであった。 道立図書館には所蔵されていず、道内横断検索でみても所蔵されていない。








 ●「昭和四年度 釧路市商工案内」 , 小林唯仁 編, 釧路商工会議所発行, 1929/08/15, B6, 巻頭広告p14+写真p14+釧路商工案内p35+広告p8+釧路商工人名録p67+人名録中広告p10+巻末広告p53

『昭和四年度 _釧路市商工案内』  2005年5月に宝の山があることが解ったが まだ店頭在庫を見尽くしていなかったので 再度7月に釧路に行き、 これと 「東北海道の今昔」 を入手した。 これは北大通店で15,000円であった。
 商工案内、商工人名録の本文も興味深いが 大量に掲載されている広告が圧巻である。
 この広告に載っている事業所とこの年10月に入手した 「大日本職業別明細図」 裏面に掲載されている事業所名を対応づけてみようと思っている。 当然のことながら 市立釧路図書館に所蔵されている。






 ●「東北海道の今昔」 , 東北海道新聞編集局 編, 東北海道新聞社 発行, 1948/10/20, B6, p61, 定価35円

『東北海道の今昔』  本店で1,050円で購入した。 1ページに1項目が書かれ その下に文章とは関係ない広告が入っているのが特徴である。 もちろん文章も興味深いが 現在から見ると広告が非常に興味深い。
 市立釧路図書館に この書籍として発行されたものと 「東北海道新聞」 の連載記事切り抜きを製本したものが所蔵されている。 この本はたしか2013年にホームページ 「夜は口笛を吹くな」 欄に広告が良いと取り上げられていた


 (注) 下線部分への北大通店による補足。
  釧路市北大通8の 佐々木書店 の広告が載っていたため、豊文堂書店サイトの作文欄で取り上げました。 この住所は現在北大通店がある場所と重なります。 おそらく2012年秋に閉店した、北大通店のおとなりの ささき画廊が経営していた書店でしょう。 「雑誌 図書の殿堂 古本高価買入お知らせ願います」 とあり、古書も扱っていたことをこのときはじめて知りました。



 ●「東北海道 国立公園 候補地帯案内図」 , 工藤恭正 編, 前原書店, 1929/08, 折畳みサイズ20x13cm, 79x50cm, 片面印刷

『東北海道_国立公園_候補地帯案内図』  2005年10月に再度釧路に行き、これから 「大日本職業別明細図」 までを入手した。 本店で1,000円で購入した。 国立公園決定前のものでタイトルが阿寒国立公園でないのが珍しい。
 阿寒国立公園の大判地図類はダブって購入したものを含めて何点も購入しているが、 これは購入したとき1回しか見ていず 道立図書館にも所蔵されていない。







 ●「北海道炭礦港湾調査資料 昭和六年七月」 , 石炭鉱業連合会 編発行, 1931/07, A5, p357

『北海道炭礦港湾調査資料』  本店で5,000円で購入した。 解りにくいところに隠れていたのを発掘した。
 巻頭に北海道内炭礦、港湾視察旅行参加者のために編集したものと書かれているが、 当時の道内主要炭鉱と港湾の状況を伝える貴重な資料である。
 古書店目録で価格が1桁近く違うものを見たことがあるが 入手したものは表紙がちぎれているので格安で入手できた。 道立図書館に所蔵されている。









 ●「JR釧路支社 鉄道百年の歩み」 , 北海道旅客鉄道釧路支社 編発行, 2001/12/25, A4, p250

『JR釧路支社_鉄道百年の歩み』  本店で8,000円で購入した。 これは強烈な思い出がある。
 発行の翌年に交通新聞メールマガジンに発行・頒布の概略が載っていて、JR北海道釧路支社のホームページを見たが 既に頒布は終了していた。 その後ずっと見つからずにいて本店店主に聞いても、問い合わせがあるが滅多に入荷しないとのことである。 ところが店内の本の山から発掘することができたのである。
 市立釧路図書館に所蔵されている。






 ●「大日本職業別明細図 信用案内 第286号 北海道 釧路市 弟子屈・川湯温泉・阿寒・屈斜路・摩周案内」 , 東京交通社 編発行, 1932/06/26, 折畳みサイズ19x12cm, 54x80cm, 両面印刷

『大日本職業別明細図』  本店で1,000円で購入した。 袋が傷んでいるが 袋付きのオリジナルがこの価格は格安であった。 表面の地図には商店名などが載っていて、裏面には広告として各商店名がぎっしり掲載されている。
 道立図書館にはこのオリジナル版と 1970年に釧路信用金庫が作成した復刻版が所蔵されている。 国会図書館にはこの単品は所蔵されていないが 250点を合本したものが所蔵されているので、それに含まれているかもしれない。









 ●「昭和十一年 陸軍特別大演習記録」 , 札幌鉄道局札幌運輸事務所 編発行, 1937/03/30, A5, p283

『昭和十一年 陸軍特別大演習記録』  2006年10月にホームページに掲載されたのを見つけて とりあえず本店に電話して取り押さえ26,250円で購入した。
 戦前に国内各県で実施された 陸軍特別大演習の最後 (翌年には日支事変が発生し以後中止) に北海道で実施された時の鉄道輸送の記録である。 表紙に角秘印 (丸秘より機密度大) があるが、計画だけでなく記録も機密事項だったのだろうか。 陸軍特別大演習の警備資料も入手しているが、せいぜい丸秘、部内秘程度である。
 道立図書館の横断検索で検索したが 所蔵しているところは無かった。







 ●「担保品要覧(昭和十三年版)」 , 北海道拓殖銀行調査課 編発行, 1938/03/30, A5, p462

『担保品要覧(昭和十三年版)』  2007年ゴールデンウィークに旅行の途中で釧路に寄り 本店で3,000円で入手した。 各種商品についての解説が書かれていて興味深いのと 手頃な価格だったからである。
 入手後に道立図書館で調べてみると 検索結果の内容注記に 「北方資料室所蔵 『北海道及樺太商品要覧』 (北海道拓殖銀行調査課/編 札幌 北海道拓殖銀行調査課 1938 462p 23cm ) 請求記号:675/Ho と同じもの」 と書いてあった (道立図書館ホームページトップにある簡易検索で キーワード 「担保品要覧」 1つだけで検索すると 2点が結果として出てくる) 。
 「北海道及樺太商品要覧」 は 他店古書目録で1桁上の価格で出ているのを見たことがある。





 ●「寿原商事株式会社五十年史」 , 長野寛 編, 寿原商事 発行, 1941/07/10, B5, p378+寿原猪之吉伝p114

『寿原商事株式会社五十年史』  2007年7月にホームページに新着として載ったものを3,150円で購入した。 自宅に到着した本をざっと見ただけで戦前最盛期の小樽の雰囲気を感じられた。 道立図書館に所蔵されていて、国会図書館にもあり 戦前の小樽の実力を思い知らされた。



 ●「北海道 鉄道特殊写真集」 , 日本国有鉄道北海道支配人 作成, 1954/08, A4, p31

『北海道_鉄道特殊写真集』  2009年後半から仕事がいそがしく余裕がなくなり 1年以上ホームページを見ていなかったが、 たまたま2010年9月に見たらこれが新着として載っていて 即座に電話で注文をいれて30,000円で入手した。
 道内の鉄道と雪に関することの写真集で、1954年の昭和天皇北海道行幸の時に献上されたものの複製本のようである。 写真アルバムに生写真が貼り付けてあり、前書き、個々の写真説明など全て手書きである。 この体裁から多くても10部程度しか作成されなかったものと思われる。
 道立図書館の横断検索で検索したが 所蔵しているところは無い。 この本は私個人コレクションのベスト5に入るものである。



 ●「北海道博手帖 総合開発・農林・工業・地下資源・電力・水産」 , 北海道大博覧会出品部 監修, 川崎書店札幌支社 発行, 1958/06/01, A6, p63

『北海道博手帖』  2011年6月にホームページに新着として載ったものを600円で購入した。
 1958年北海道大博覧会の記録誌やパンフレットは既に入手していたが、会場観客向けに配布されたと思われるこの本は未入手であった。 博覧会の案内だけではなく広告も掲載されていて、入手したものには各種展示館の記念スタンプが押してあるのが興味深い。
 道立図書館の横断検索で検索したが 所蔵しているところは無い。




 ●「熊さんの歩み ラーメンの記録帖」 , ラーメンの熊さん 大熊勝信 編発行, 1977/05/15, 20x20cm, p82, 非売品

『熊さんの歩み ラーメンの記録帖』  2011年6月にホームページに新着として載ったものを2,000円で購入した。 道立図書館に所蔵されている。 この本の存在は知らなかったが見つけてすぐに注文した。
暮らしの手帖の花森安治が始めて札幌ラーメンを紹介したのは 「週間朝日」 1953/01/17号 であるが、 「暮らしの手帖」 に掲載したものが始めてだとしている文献が多々あるが、この本ではそれぞれの記事が正しく引用されている。






 ●「観光旅行ごあんない(1950)」 , 北海道拓殖銀行 編発行, 推定1950/09/30, B6, p24

『観光旅行ごあんない(1950)』  2011年9月に釧路に行った時に本店で2,000円で購入した。 書名は見開きに書かれているものを採用した。
 画像では解りにくいと思うが 表紙には赤字で 「観光旅行御案内」 と表記されている。 拓銀が上得意を招待したと思われる、札幌発最西神戸までを巡る14日間 3,500キロに及ぶ旅行の日程、見どころなどを解説した本である。
 まだ講話条約発効前で、外食券が形骸化してきた時代である。 どれだけ費用を掛けて旅行を実現したのか想像がつかない。 店頭では取りあえず1950年のとんでもない豪華旅行の案内と判断し入手した。
 道立図書館の横断検索で検索したが 所蔵しているところは無い。






 ●「保安のしるべ」 , SONY・オートスライド・プロダクション 製作, カゴ直利 作画, 通商産業省鉱山保安局 企画発行, 1966/03, B6, p92

『保安のしるべ』  2013年11月にホームページに新着として載り、カゴ直利作画と書かれていたので googleで探して彼の描いた画像を見たところ興味ある描き方であったので 即注文して1,500円で購入した。
 現在では漫画による技術解説書は珍しくないが 1966年の時点でよくぞ作成したものだと思う。 炭鉱は一般人が入ることができず専門書を読んでも解らないことが多々あったが、 この本により始めて解ったことがいくつもあった。 市立釧路図書館に所蔵されていて、国会図書館にもある。
 最近 「あかびらの炭鉱遺産アレコレ」, 赤平市 発行, (2013) の小冊子 (http://www.city.akabira.hokkaido.jp/docs/2012122600066/に PDF版あり) 10ページに この本の改訂版が1985年に出ているとの記述があるのをみつけた。 2013年11月27日にNHK 「探検バクモン」 で放送された 「北海に眠る黒いダイヤ」 に出てきたドラムカッターも載っているようで 是非読んでみたいが 図書館には無いようである。



                                           (2014年6月1日掲載)


 鈴木好生さんが1980年代前半の小学生時代をふりかえる連載第3回です。 「あなたの知らない世界」 でトラウマを植えつけられた同年代の方も多いのではないでしょうか。 次回から中学生編に進みます。

  第18回 「本と共に歩んできた人生  第3章 あなたの知らない世界/第4章 電子機器好き」
                                          鈴木好生 ・ 文

  第3章 あなたの知らない世界

 夏休み期間になると、お昼のワイドショーを楽しみにしている少年がいた。 軍団のメンバー達も加わり一緒に見る事もあった。 それは 「あなたの知らない世界」 である。
 お昼時間ゆえに昼食の支度途中の母が隣のキッチンにいたので誰かと一緒に観る分には恐いというよりも、 早く観たくて10分くらい前からTVの前に座って待っていたのを記憶している。
 特に楽しみにしてたのは恐怖体験談の再現フィルムである。 雰囲気を出すため、カーテンを閉めて薄暗くしたが、親に本気で起こられたので、今では懐かしく想う。

 軍団のプロジェクト名の一つに 「お化け屋敷ゴッコ」 がある。 その恐い番組を見終わるとメンバーが集まりそのプロジェクトが開始された。 夏休み時期になると、必然と私の家で行われるのが一般的だった。
 基本はオニゴッコだが、相手を捕まえるとオニが入れ替わるのではなく、オニが増殖してゆく…。 この場合は 「オニ」 ではなく 「おばけ」 である。 オニのように走って追いかるのではなく、ゾンビと同じく声を上げて歩くのである。 声を出さなくても、待ち伏せるのもありだが、声を上げながら歩き回ったほうが、 駆け足で逃げる音や、潜んでいれば、カーテンなどが微妙に動くので捕まえやすいのである。 脅かすのが最大の目的である。

 当時の私は幽霊、モンスター、妖怪を区別なくお化けと称し恐怖の対象としていたのである。 小学生ながら家の中でも一人で行くには勇気がいる場所というのはいくつか存在した。
 さて、当時そんな私ですが、この頃に興味を持った本は次のとおりである。

  9. 二見書房 「恐怖の心霊写真集」
  10.桐山靖雄 「念力―超能力を身につける九つの方法」

 9は小学生が買うような本ではないが、恐いもの見たさという好奇心だけのために購入した可能性がある。  恐い写真集だけに恐くないように落書きを施した記憶がのこっている。
 10の出会いは親の寝室の本棚であった。現在では今年に入って30年ぶりに再会し、蔵書入りを果たしたのである。 その棚の中には数冊あるうち図解や挿絵のある本はこの本だけであった。 体の頭から急所までの中央の部位にチャクラと呼ばれる箇所があり、そのチャクラを覚醒させるためのポーズと呪文が書かれていたのである。 その他、九字の切り方と印の結び方が図解で書かれていた。
 小学生高学年あたりからこの書物により九字の切り方と印の結び方の部分だけをマスターしたので、一応バイブル扱いである。 それ以来、九字を切り印をも結ぶ (効果は不明) 特技をもった小学生がここに誕生した瞬間であった。


  第4章 電子機器好き

 私は、レコードをかけると同時にカセットテープをセットして録音する癖があった。 そのくせ一度録音したテープを再生して聴く事は少なかったのである。
 親父がステレオを購入した割にはほとんど利用しなかったのである。 そのために、殆ど私が利用していたのである。 どういう訳かマイクとカラオケテープ、歌本までもが揃っていたのである。
 カラオケテープを見ると演歌ばかりである。 そのテープで歌うことはしなかった代わりに、アニメのレコードをかけながらマイクでエコーを利かせてうたを歌う事もあった。 持ち歌はおよげたいやきくんとヤッターマンであった。

 現在ではすっかり影が薄くなってしまったカセットテープ。 コンポやラジカセ、カセットデッキには必ずテープの録音再生時に必ずテープのポジションの切り替えスイッチがついていたのである。
 ポジションは四種類である。 テープ側にもしっかりとノーマルポジション、ハイポジション、メタルポジションの表示があった。 タイプVのFe−Crテープなどもあった。
 引っ越しの時期が迫ってくると、荷造り荷物が次第に増えてくるのである。 廃棄処分すると思われるそれまで見たこともなかった古い雑誌や書物、機械のジャンクパーツ等が日の目を見るのであった。 さて、当時そんな機械好きな私ですが、同じく興味を持った本は次のとおりである。

  11. 電波新聞社 「初歩のラジオ」 数冊
  12. 電波新聞社 「初歩のトランジスタ技術」

 11は引っ越しのために紐で縛り付けていた雑誌の中から見つけたのである。
 電子工作の制作やラジオの周波数などが書かれていた。 カミソリの刃の先端の微妙な接触で鳴る 「カミソリラジオ」 という何とも珍しい制作方法が掲載されていたのである。  スピーカーのボックスの作り方、ほかにもラジオの周波数や抵抗器のカラーコード表等も事細かに掲載されていたのである。

 12はワイヤレスマイク、断線ブザー、ラジオ、モールス練習機、水位検知器などの作り方、鉱石ラジオ、の作製方法が書かれていたのである。
 衝撃を受けたのは、引っ越し後の家にて父親が有り合わせのジャンクパーツのみで 電池を使わないラジオを私の目の前で作って見せてくれた事である。
 このラジオは 「ゲルマラジオ」 と呼ぶ。 音量調整はできないが、感度がよく鳴り音が大きかったので、チューニングを僅かにずらす事で音量調節をした。

 後に組立キットの電池式ラジオを購入して組立てたが、誰も組立てた事を信用してくれなかったのである。 嬉しいような悲しいような思いも昨日のように蘇ってしまったのである。
 それ以来、半田ゴテを握り、指にヤケドを負いながらも機械いじりに奮闘する小学生がここにいたのであった。

                                      小学生時代編おしまい


                                          (2014年5月1日掲載)


 釧路在住の橋井由高さんに初めてご登場いただきます。 読書家の橋井さんらしい流麗な文章になりました。 ここで語られる 「とっておきの部屋」 というのは、きっと広壮な館の数ある部屋のひとつ。 ほかにも秘密の通路や中庭にまつわる挿話を用意しているに相違ありません。 1度きりの執筆のつもりでいた橋井さんに無理をいって連載をお願いしました。

  第17回 「平成ダダイズム 1  知的空間への招待状」
                                          橋井由高 ・ 文

 とっておきの部屋を案内しよう。
 日常の皮が張られた冷たい床に眼を凝らすと、僅かに把っ手が浮いて見える。 その扉を持ち上げると、真夜中の闇に浮かぶ夢の書斎へと下りて行く階段がある。
 地下室には白熱灯が薄くともり、天井の高さいっぱいに棚が組まれ、あらゆる書籍が詰め込まれている。 辞書辞典の類、史書、学術や芸術に関するもの、 活字に疲れた目を休ませる写真や画集、地図、実用書、料理や手芸など趣味のもの、 やや乱雑に積まれた数々の雑誌のバックナンバー、そしてたくさんの物語たちが。

 本は書棚の中で隙間なく身を寄せ合って息づいている。新参古参の者たちの噂話、 お国自慢や旅の遍歴、あるいは忘れられている者の寂しい吐息。紙とインクに滲んだ年月を香らせ、 彼らは声なく語り合い、あるじの足音が棚の前で止まればさざめきは一斉に期待の息をのむ。 そうして人差し指が、花ぎれの部分に触れたとき、彼らは自身が読まれる喜びにそっと背表紙をふるわせるのだ。

 机の上には書き付け用の白い用箋と、ペリカン社のタンザナイト・ブルーを入れた軸の太いペンが一本。 スクラップブックや刃の細いハサミ、厚紙を切っただけの栞やふせんなど、必要な文房具は引き出しの中に収まっている。 サイドワゴンの上には銀のポットに淹れたばかりの熱いコーヒーが入っているし、そばの灰皿には出がらしを敷いてある。 それらが乗っている台の下の小さな棚は、読み差しの本や必要な参考書を入れるよう作っておいた。
 壁際にあるアンプと重低音が得意なスピーカーは、好きなようにスイッチを回して構わない。 コルトレーンでもワーグナーでもピアソラでも、聞きたい音楽を箱の中から探すといい。 もちろん、針を止めれば無音を選ぶこともできる。 カッシーナのチェアに身を沈めたら、あとは頁をめくる指先に神経を集中させるだけだ。

 書斎の「斎」という字は、ひとつの場所に籠るという意味合いで使われるが、 古来の日本語において、聖なる領域という意味も同時に持ち合わせている。
 書斎で過ごすとびきりの時間を、どうぞお楽しみあれ。


                                           (2014年4月1日掲載)


 今回は、岩村誠二さんの資料を駆使した連載 「北海道 本の旅」 です。
 この時期の北海道にふさわしく、「スキー北海道」 なる小冊子の変遷について考察していただきました。 画像もふんだん。 クリックすると拡大しますので、そちらもご覧ください。


 第16回 「北海道 本の旅 7  「スキー北海道」 の不思議
                                          岩村誠二 ・ 文

  ■「スキー北海道」 という本について
 戦前に 札幌鉄道局 (国鉄が 戦前の鉄道省から日本国有鉄道になる前までの時代の 北海道の鉄道を運営する地方組織) から 「スキー北海道」 という小冊子が発行されていた。 戦後に 日本交通公社札幌支社から、札幌鉄道局版の内容に北海道のスキーの歴史、 北海道スキー団体名簿を増補した本が 市販本として出版されている。

 スキー地の解説とそれに利用されているコース略図が 札幌鉄道局版からほぼそのまま流用されていることに興味を引かれ、 経緯は不明であるがこれらの本と、関連したものを紹介する。
 現在は チェアリフト (日本最初のチェアリフトは 1946年に進駐軍が札幌市の藻岩山に設置したものが最初だそうである (台座のみ現存)) や ローブウェイの設備があるスキー場があたりまえであるが、 ここで取り上げる本が発行された時代は これら設備が存在しないためスキー地という表現を用いる。


  ■戦前 札幌鉄道局版
 ●「スキーへ」, 札幌鉄道局 発行, 1926〜1932年頃, A6, p32
 発行年は 1926年開業した北海道鉄道 (現千歳線) 北広島駅が掲載され、 1933年廃止となった登別温泉軌道の登別温泉駅が掲載されていることによる とりあえずの絞り込みである。
 私鉄を含む道内のスキー地最寄り駅からの距離と到達方法、スキー地の簡単な説明が記されている。 スキー地毎の記述は 1行から詳しくても8行程度であり、地図は全く無い。
 他に、主要山小屋案内、主要都市からスキー場所在地への運賃、スキー場所在温泉宿泊料が載っている。
 札幌のサッポロ堂書店で格安で入手して、最近古書店目録で見ただけなので比較的珍しいと思う。


(クリックすると 拡大します) (クリックすると 拡大します)

 ●「北海道スキー地案内 (昭和五年版)」, 札幌鉄道局 発行, 1930年, 4枚
 次に挙げる昭和九年版と同様の内容であるが、スキー地案内というタイトルで4枚の図が含まれサイズが3種ある。 含まれているのは次の4点である。

  • ニセコアンヌプリを中心としたるもの 21.5 x 31cm

  • 手稲山を中心としたるもの 33.5 x 30.5cm

  • 奥手稲山の家を中心としたるもの 27 x 39cm

  • 十勝嶽を中心としたるもの 21.5 x 31cm

 図の表面には 5万分の1地形図を流用した地形図上に、最寄り駅あるいは登山口からのコースを赤線で示してある。 図の裏面には、地方概説、登行案内 (個別山岳への登路・帰路)、補遺が書かれている。
 「手稲山を中心としたるもの」 では ヒュッテとして5個所の解説があり、 「奥手稲山の家を中心としたるもの」 では 裏面全体が鉄道省経営奥手稲山の家の使用規程となっている。 この使用規定は他では見たことがなく、珍しいものである。
 札幌市内の古書店で3,000円で購入した。


袋表面(クリックすると 拡大します) 袋裏面(クリックすると 拡大します)
地図(クリックすると 拡大します)
地図裏面の一部(クリックすると 拡大します)

 ●「スキーコース図 (ニセコアンヌプリ附近 札幌、小樽附近 十勝岳附近)  昭和九年版」, 札幌鉄道局 発行, 1934年, 34.5 x 55.5cm 4枚, 定価記載なし
 スキー地としては昭和五年版とほぼ同じであるが、図が大きくなり 蘆別岳が追加されている。 含まれているのは次の4点である。

  • ニセコアンヌプリを中心とするスキーコース図

  • 札幌小樽附近スキーコース図 (其の一)

  • 札幌小樽附近スキーコース図 (其の二)

  • 十勝連峰冬季登山コース図、蘆別岳スキーコース図

 図の表面には 5万分の1地形図を流用した地形図上に、最寄り駅 あるいは登山口からのコースを赤線で示してある。 図の裏面には、掲載範囲の概要、主なる山岳、温泉其他、補遺が書かれていて、 温泉其他には 最寄り駅からの距離、所要時間、宿泊施設、その他補足事項が挙げられている。
 札幌小樽附近 (其の一) では、温泉其他、補遺の代わりに ヒュッテが7個所取り上げられ、 「奥手稲山の家」 使用規定が掲載されている。
 この図は 5万分の1地形図を集成したものである。 十勝岳以外は6面の地形図からスキー地関連部分を抜粋集成しているので、 地形図を持ち歩くのと較べると 非常に携帯しやすくなっている。
 札幌市内の古書店で5000円で購入した。


袋表面(クリックすると 拡大します) 袋裏面(クリックすると 拡大します) コース図裏面の一部(クリックすると 拡大します) 札幌小樽附近スキーコース図 (其の一)(クリックすると 拡大します)

 ●札幌鉄道局編纂「スキーコース図 (ニセコアンヌプリ附近 札幌、小樽附近 十勝岳附近) 昭和九年版」, 北海石版活版所発行, 1934年, 34.5 x 55.5cm 4枚, 定価30銭
 スキーコース図自体は前のものと同じであるが、袋に北海石版活版所発行と書かれ 定価の記載もある。 このことは 「スキー北海道」 推定1935年版、1936年版裏表紙見返しに書かれている 「コース図は札幌北海石版所で発売」 ということに該当する。
 コース図裏面には 1933/12/25発行、発売元 北海石版活版所の記載がある。 こちらの方が一般向けに市販されたもので、北海石版活版所の記載がないものは 札幌鉄道局から無料配布されたものではないかと推測する。
 所蔵しているものは、ニセコアンヌプリを中心とするスキーコース図がダブリ (片方は札幌北海石版所の記載なし) で、 札幌小樽附近スキーコース図 (其の一) が欠落していて、前所有者が2種類の版を混ぜたものと思われる。
 紙ものの書誌情報を記録していなかった時期に購入したため 購入店、価格とも不明である。


北海石版活版所販売版(クリックすると 拡大します) 北海石版活版所販売版(クリックすると 拡大します)

 ●「スキーコース図 (札幌附近), 北大文武会スキー部 編発行, 1935/01/01, 54.5 x 39cm, 定価20銭
 札幌鉄道局編集・発行のものではないが、以下の 「スキー北海道」 推定1935年版、1936年版で参照されているので取り上げる。 袋なしのものは 他の発行年のものも入手したが、袋付きを入手できたのはこの版だけである。
 五万分の一地形図を流用して 赤線で登山口からのコースを表しているのは札幌鉄道局版と同様であるが、 緑色で好スロープ域を表現していて解りやすい。 袋には1934/12と記載されているが、コース図には1935/01/01発行と記載されている。
 裏面には次の記載がある。

  • 先づ注意

  • 円山方面

  • 手稲山−奥手稲山方面

  • 空沼方面

  • 定山渓方面

  • ヒュッテに就て

袋(クリックすると 拡大します) コース図表(クリックすると 拡大します)
コース図裏(クリックすると 拡大します)

 ●「スキー北海道」, 札幌鉄道局 発行, 1935年頃, B6, p25, 表紙 男女スキーヤーシルエット
 この版を含めてこれから取り上げる3つの版は 発行年の情報がなく、 オリンピックの記述を除くと発行年を特定できる情報がないので、 25ページに掲載されている 「割引運賃表」 の着駅 (スキー地最寄り駅) が多いものを新しい版とした。 「割引運賃表」 の下に 「コース図は札幌北海石版所で発売」 との記述があるので 1934年以降の発行と判断した。
 また、札幌鉄道局発行の旅行案内書の1938年版以降の裏表紙などには 「国民精神総動員」 の標語が入っているので、 この標語が無いこれら3つの版は 1937年までの発行であることはほぼ間違いないと思われる。

 これら3つの版の 「スキー北海道」 は、戦前に札幌鉄道局から発行された旅行案内書の中では一番活字が小さく、 少ないページに 右開き縦書き上下3段組で解説が書かれ、本文中の至る所に写真が入っている。 また、全編アート紙の中綴じ (週刊誌綴じ) という特徴がある。
 この版と次の推定1936年版の表紙画には、「ギシロウ」 のサインが入っている。 函館市立デジタル資料館には、「ギシロウ図案社納」 の絵葉書が何点も掲載されていて、 他の鳥瞰図などにもギシロウのサイン入りのものがあるので、道内で活動されたデザイナーのようである。 この推定1935年版の表紙は 抽象的表現の男女ペアスキーヤーで、裏表紙は斜面を登るスキーヤーが描かれている。

 巻頭表紙裏に 北海道の卓越したスキー環境の説明を入れ、本文は練習の注意、登山の注意で始まり、 函館、ニセコアンヌプリ、小樽、札幌、定山渓、室蘭、旭川、十勝岳連峰、大雪山、名寄、帯広釧路、野付牛の各附近と続き、 巻末にスキー割引運賃とコース図凡例が載っている。 大部分の地域に地形図にスキーコースを赤線で入れたコース略図が掲載されている。
 この版と次の版は発行年の特定ができず 内容の違いが店頭で見ただけでは解らなかったため、 道内の古書店で500〜2000円程度で同じものを何点も入手している。


(クリックすると 拡大します) 札幌附近本文(クリックすると 拡大します)

 ●「スキー北海道」, 札幌鉄道局 発行, 1936年頃, B6, p25, 裏表紙 女性スキーヤー
 表紙の表記が HOKKAIDO THE SAPPORO RAILWAY REAGION となり、表紙絵が滑降するスキーヤー、裏表紙が女性スキーヤーとなる。 本文中の写真が半分程度入れ替わっているが 説明文は変わらない。

(クリックすると 拡大します) スキー客に対する割引運賃表, 野付牛附近(クリックすると 拡大します)

 ●「雪・スキー 北海道」 昭和十一年版, 札幌鉄道局 発行, 13.5cm x 14cm
 具体的なスキー地の解説や地図の無い写真を主体としたパンフレットで、 「スキー北海道」 や 「スキーコース図」 が別途あることを紹介している。 裏表紙には 英文で東京発の北海道スキー巡り割引乗車券の案内が載っている。 見開きに国内主要都市を入れた日本列島地図のページがあり、東京〜札幌所要時間を24時間としている。
 昭和十一年版の記載が 折り畳んだ中 (クマのスキーヤーのページ) に書かれているので購入時に同じものと解らず、 札幌の古書店で1000円程度、東京古書会館古書市で500円で何冊も購入している。


裏表紙, 表紙(クリックすると 拡大します) (クリックすると 拡大します)
(クリックすると 拡大します) 本州からの所要時間(クリックすると 拡大します)

 ●「スキー北海道」, 札幌鉄道局 発行, 1937年, B6, p29, 裏表紙に 「第五回 冬季オリンピック」 記載あり
 表紙が大幅に変わり 「体位向上 銃後の備へ」 の標語がはいるようになり、裏表紙は冬季オリンピックを表す内容となった。
 表紙デザイナーのサインは無いが、「栗谷川健一展 綴られた詩情、ポスターの中の北海道」, 札幌芸術の森, 1994 によると、 栗谷川健一によるものである。 第5回冬季オリンピックの開催決定が1937年6月、中止決定が1938年7月であることから、1937年発行と判断した。
 本文末尾に 2ページの第5回冬季オリンピックの解説が加わり、 中綴じのページ数あわせのために 見開き部分に写真が2ページ追加された。 また前2版と比較すると 次の点が変わっている。

  • 本文先頭の 「行け!スキーへ」 が 「体位向上銃後の備へ!!」 となる

  • 鉄道省経営 ニセコ山の家開業に伴う 「ニセコアンヌプリ附近」 の記述変更

  • 室蘭岳コース図が削除され 人物写真となる (室蘭岳コース図は 地形図を利用していなかったが、飛行場が明記されていたので 削除されたものと思われる)

 第五回冬季オリンピック札幌大会番組には、1940年2月の日時まで書かれ具体化していたことが解る (中止となった第5回冬季オリンピック札幌大会については 関連資料を使って別途取り上げたいと思う)。
 この版は東京の古書店ホームページに画像があり、前の2つの版とあきらかに異なるため、2000円で購入した。 この後に数回見たことがあるのでそれほど珍しくない。


(クリックすると 拡大します) 冬季オリンピック競技種目の概要(1) , 野付牛附近(クリックすると 拡大します)
スキー客に対する割引運賃表,冬季オリンピック競技種目の概要(2)(クリックすると 拡大します)

 ●「スキー北海道」, 札幌鉄道局 発行, 1938/12/28, B6, p49+写真p12, 定価表示なし
 前の3版と異なり、この時代の札幌鉄道局発行旅行案内書と同様の体裁となり、 アート紙は写真ページだけで 写真は1ページに2枚という大判になった。 地形図を利用したコース略図で2ページに渡っていたものは 全て見開き2ページ全面を使うようになった (これにより、推定1935年版〜1937年版で写真に隠れていた札幌市北大北側の 「札幌飛行場」 の文字が見えるようになった)。
 ページ数が2.5倍になっているが、写真、コース略図の大型化と本文活字が大きくなり 上下2段組となったことにより、 函館附近のスキー練習場は掲載個所が減少している。 本文項目・内容は 推定1935年版〜1937年版とほぼ同じである。


(クリックすると 拡大します) 札幌附近コース略図(クリックすると 拡大します)

 ●「スキー北海道」, 札幌鉄道局運輸部旅客課内 北疆民俗研究会 編, 札幌鉄道局 発行, 1938/12/28, B6, p49+写真p12, 定価25銭
 前の本と内容、発行日、印刷所まで同じであるが、こちらは奥付に定価と編集者が記載されている。 「北疆民俗研究会」 は札幌鉄道局発行の小冊子に編集者として出てくるが実態は不明である。
 「北海道鉄道百年史 上、中、下巻」 (日本国有鉄道北海道総局 編発行, 1976〜1981年刊行) には、 一部本の表紙写真が口絵的に添えられているものの、 札幌鉄道局で多数発行された旅行案内書やパンフレットなど旅客誘致関連の記述がない (1956年10月の札幌鉄道管理局分室 (旧札幌鉄道局庁舎、札幌市北5西4) 火災により 資料が損失したためと思われる)。
 北疆民俗研究会の記載がないものも含めて、600円〜1500円程度で3冊購入している。 2013年11月に日本の古本屋で別の本を探していたら、この1937年版10500円で出ていてビックリした。 店頭で見た時点では 推定1935年版〜1937年版と内容がほぼ同じものとは思わなかった。


北疆民俗研究会の入った奥付(クリックすると 拡大します)

 ●札幌鉄道局刊行の案内書情報
 北海タイムス 1967/03/24 夕刊に掲載された元札幌鉄道局職員の方の記事が 内地の古書店で入手した 「駅名の起源」 1947年版に挟み込まれていたので引用する。 この記事にも 「北疆民俗研究会」 は出てこない。
 「駅名の起源」 は古書店目録でアイヌ語文献として扱われているので アイヌ語研究者が編集したものと思っていたが、 この記事により 戦前版は札幌鉄道局内部で編集していたことが解った。


(クリックすると 拡大します)

  ■戦後 日本交通公社札幌支社版
 ●「新スキー北海道」, 日本交通公社札幌支社 編発行, 1947/03/01, B6, p101+写真・地図p20, 定価15円
 表記のように、日本交通公社から発行された本であるが、その内容は 1938年 札幌鉄道局発行 「スキー北海道」 に、 北海道スキー略史、北海道スキー団体名簿を追加し写真を入れ換え、スキー地解説データを更新しただけである。 札幌鉄道局版を基にしたとの記述がなく、巻頭の序にかへての末尾には、 「戦後のスキー地の現状を調査して出版した」 と書かれているが、「スキー北海道」 の改訂版そのものである。
 戦後の日本交通公社東京本社からの北海道版旅行案内書は 英文版がこの本と同時期で、 日本語の旅行叢書は1948年末となっているので いかに早い時期の発行であるかが解る。 まだ札幌の創成川畔闇市全盛の時代である。
 次の改訂版も含めて、札幌市に戦災や用紙の入手難から本州の出版社が一時的に集まり、 編集から印刷までを行った時期の 「札幌版」 に該当する。
 この版は、札幌の石川書店で2500円で入手したが、現在日本の古本屋では1500円で何点も出ている。


(クリックすると 拡大します) 札幌附近コース略図(クリックすると 拡大します)

 ●「新スキー北海道 (改訂版)」, 日本交通公社札幌支社 編発行, 1949/12/25, B6, p125, 定価140円, 附図8枚(24 x 35cm)
 札幌鉄道局版を含めこれまでの版の表紙は、何らかの表現で雪山が描かれていたが この版では女性スキーヤーのみとなっている。 またこのシリーズの大きな特徴であった地形図を元にしたコース略図が本文から削除され、 折り畳み形式 (裏面には何も記載なし) の付録となった。 定価が1947年版のほぼ10倍となり 急激なインフレの進行がわかる。
 この版を2冊入手したが、先に入手したものは付録が欠落していて、 2012年に付録付きのものを札幌の古書店で2000円程度入手した (附録袋内に前所有者が書いたものと思われるメモに 小樽の古書店で8000円で入手というメモがありびっくりしたが、 この版自体が珍しいのと附図つきということでバブルの時代にはそのような価格であったのだろう)。 入手した2回しか見たことがなく、珍しいと思われる。
 国会図書館、WorldCat には「スキー北海道」という書名のものが1点も存在せず、道外には出回っていないのかもしれない。 日本交通公社 「旅の図書館」 でも1947年版のみの所蔵である。


(クリックすると 拡大します) 附録袋(クリックすると 拡大します) 札幌附近コース図(クリックすると 拡大します)

  ■戦後 日本国有鉄道版
 ●「スキー北海道」, 国鉄札幌地方営業事務所 編発行, 1951/12/25, 20 x 18.5cm, p14
 スキー地への地形図レベルの図がなく、写真主体のパンフレットといえるもので、最後のページにスキー地宿泊案内がある。 裏表紙が 「北海道スキー地分布図」 となっていて 当時の道内主要スキー地を概観することができる。
 東京〜札幌の鉄道所要時間が28時間、運賃急行券とも1840円、飛行機所要時間3時間、10,200円の記載があり、 鉄道は戦前の所要時間に復旧していないにも関わらず 民間航空が再開していることが解る。
 神保町の永森書店で1000円で入手した。


(クリックすると 拡大します) スキー地宿泊案内(クリックすると 拡大します)
ニセコ附近(クリックすると 拡大します)

                                          (2014年3月1日掲載)


 平位公三郎さんの 「私の青春再読」 の3回目をお届けします。
 「原稿用紙3枚に収めようとしましたが、やっぱり想いが強いので無理でした」 とのこと。 平位さんが取り上げる時代は1969年〜71年に集中しています。


 第15回 「私の青春再読 3  ハンター・デヴィス 著 『ビ―トルズ』 草思社・1969年発行
                               「大阪のガス人間」 こと 平位公三郎 ・ 文


 この本はとても思い出深い本で、全く同じ内容の本を分かっていて3冊も買ったのもこの本だけだ。
 1969年の秋、かなり逡巡した挙げ句にやっと手に入れたのだった。 その大きな理由は本の値段だ。880円もした。 岩波文庫が50円、ちゃんとした定食が180円で食べられた時代である。 18歳の食べ盛りの貧乏大学生がポンと払える金額ではない。

 ビ―トルズのことと、ジョンが何故小野洋子と結婚したのか知りたくて買ったのだが、 1968年5月に書かれた本には、小野洋子の 「お」 も出て来なかった。 しかし、ジョンの生い立ちを知ると、彼が求めていたのは亡くした母親だと分かって納得したのだ。

 貪るように読み出したが、小さな字で上下2段組300ぺ―ジ余りの長編は、 全く知らない地名や友人の名前が出て来るので辟易したが、それは著者が4人の親しい友人であり、 彼らと肉親・親戚・友人・関係者たちに丹念にインタビュ―した成果なのだ。 今回再読してみてドキュメントを読んでる感じがした。

 実は、最初に買った版は今は手元に無い。 その本は私が読んだ後友だちに回し読みされて、戻って来た時には、 気に入ってた表紙カバ―がボロボロになっていたので、それを捨てて裸本をポ―ルファンの友だちに進呈したのだ。
 その後、序文とあとがきを変えた増補版の立派なハ―ドカバ―となり、今現在でも本屋に並んでいる。 その版を買って、しばらくしてから知り合いの古本屋で最初の版を見付けて即買った。嬉しいことに表紙カバ―もきれいだった。

 私は4人とも学校で暴れていたと思っていたが、実際にけんかばかりしてたのはジョンだけで、 ポ―ルは勉強には興味を示さず、母親が亡くなってからはギタ―ばかり弾いていたし、 ジョ―ジは髪型や服装ばかり気にかけていた。 リンゴに至っては病弱で学校にさえ行けなかったのだ。
 それに、あのイギリス紳士然としたマネージャーのブライアン・エプスタインも 「はみ出し者」 だったのだ。 これは今回の新発見で、ビ―トルたちとの心の接点を見付けた気がした。

 私は、最初はポ―ルが可愛く思ったが、ちょっと変わったジョンに惹かれた。 何故リンゴが人気者なのかずっと分からなかったが、今は分かる。
 1968年の時点なので、『マジカル・ミステリ―・ツア―』 までの作品で終わっているが、 曲作りの現場に居た著者の記述が生々しい。 特に、『ア・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ』 (何故か 「ウイズ」 が抜けている。) は、 ポ―ルの家でガヤガヤしながら作ってる姿が新鮮だった。

 今回最も興味深かったのは、20代後半に差し掛かっていた、1968年現在の彼らの生活である。 この最後の章は不思議と記憶に残っていなかった。 ジョンとシンシアは、ジュリアンと3人で静かに暮らしていたが、 シンシアが妊娠してなかったらジョンと結婚してなかったと言うのに驚いたが、 このことにはジョンも同意していた。 やはりジョンを受け入れられる人はヨ―コしかいなかったのだ。

 ポ―ルは実に精力的にアップルの経営から曲作りまで勤しんでいた。 ポ―ルなら音楽以外の仕事でも成功していただろう。 ジョンはビ―トルズ以外考えられない。
 ジョ―ジはインド音楽にのめり込み、毎日シタ―ルの練習をしていた。 仏教や死について語っていたのが印象的だ。 リンゴが一番生活を楽しんでいるように思えたが、この後4人とも伴侶がかわっていくことを思うと複雑な気持ちになった。

 この本は、ビ―トルズファンでもかなり深い興味と4人に対する共感が無いと読みきれないかも知れません。 それに現在価格でも高額な本です。


                                           (2014年2月1日掲載)


 鈴木好生さんが子ども時代を回想する 「本と共に歩んできた人生」 の第2回です。
 文中、「当時の私は分解魔で」 とありますが、私が知る鈴木さんは現在でも立派な分解魔です。


 第14回 「本と共に歩んできた人生  第2章 親父にぶたれる
                                          鈴木好生 ・ 文

 豊文堂本店の店主とルービックキューブの話になった時に、閉ざされていた過去の封印が走馬灯の如く蘇ってしまったのである。
 ちょうどルービックキューブが流行し始めたころである。 そのルービックキューブを、父親にお使いを頼まれて駅に買いに向かった。 駅の入り口に付近に売り場があったのでそこでキューブを買った。
 父親に渡さずそのまま自宅の二階へと駆け上がった。 そしてキューブを初めて触った。 六面体の各面一色がたちまちモザイクアートへと変貌を遂げた。

 ここでやめてしまえばいいものを、何を血迷ったか? その当時の私は分解魔で、目覚まし時計や携帯ラジオなどを良くドライバーで蓋を開けていたので、 ルービックキューブがどの様になっているか知りたくて指で思いっきりこじ開けた。
 なかなか開かずピキ!と軽い音と同時に、部品が外れて分解することができた。 全て分解すると、本体の中心は原子記号の模型のような形の物体と、二面の部品と三面の部品多数で構成されている。 本体の六本の芯の一つが折れてしまっていた。 回す度に力がかかり先端も回る仕組みになっているので、接着剤を使って試みたが、回すと簡単に接着した部品が剥がれてしまった。

 しばらくして仕事が終わって二階の自宅に戻ってきた父親が見たものは、 購入して一時間も経っていないのにバラバラに修復不可能になったルービックキューブであった。 そして・・・・・私の頬にバシ!バシ!と二発入った。
 それ以来、分解にてキューブ六面を揃えるという変わり技をもった小学生がここに誕生した。
 さて、当時そんな無謀な私ですが、同じく興味を持った本は次のとおりである。

  6.学研 「科学物知り百科」
  7.学研 「トンチンカンの科学教室」
  8.学研 「記号・単位のひみつ」

 6、7、8と当時バイブルとして読んでいたのは旧版である。 年数と共に自然とはなれ離れになってしまったが、改訂版として近年私と数年ぶりの再会を果たしたのである。

 6は、四コママンガ形式で、動物、昆虫、鳥、人間、植物、天気、地球、宇宙、光・音・電気などが書かれている。 一〜二コマ目は科学の雑学知識の説明がなされおり、 三〜四コマ目には日常や家族に当てはめて話をオチで締めくくるといった内容である。 目を通してみると当時見た内容と絵はほとんど変化が見られなかった。
 しかし、超音波でお皿の汚れが落ちる説明のコマには、まだ実用化もされてもいない超音波皿洗い機が描かれており、 水を振動させて油汚れを落とし、ピカピカにお皿が光っていたのが、改訂版では眼鏡と超音波メガネ洗い機に描きかえられていた。
 机に向かえば勉強するよりもこのマンガのほうが面白かったと記憶している。

 7も同様当時の私のバイブルであった。 改訂版になっても内容に変化は見られなかった。
 トン子、チン平、カン太の三人と博士が登場し、 たとえばカン太くんが何故の質問に対して博士が 「トンチンカンのカン」 と言った後に、 博士がその疑問について説明する内容となっている。
 こちらも改訂版と比較してみると一部変更を発見した。 私の記憶が確かなら、缶ジュースに二つ小さな穴を開けてジュースが向きによって出たり出なかったりするシーンである。 それがペットボトルの底に穴を開けて水が出なくて、 上の蓋をとると、水が底からシャワーのように降り注ぐようなシーンに変わっていたのである。

 8は、学研の中で一番好きだったシリーズである。 改訂版では当時と比較すると時代と共に絵が変化したように窺える。 当時の内容に加えて、ごみ分別の識別マークや再利用マークやバーコードの仕組み、その他多数のマークもかかれていた。
 ほとんどの学研シリーズには、本の見開きの小口の箇所に豆ちしきが書かれている。 本をランダムにめくり、その内容を二、三チョイスすると次のとおりである。

  「回収された牛乳パック六枚から、トイレットペーパーが一個できる」
  「算用数字は、インド人が発明したので 「インド数字」 とも言う」
  「日本初の天気図は、一八八三年 (明治一六年) につくられた」

 このようにわかり易く書かれており、大人でも楽しめる知識である。 子供の自由研究材料としては一番お勧めの本である。
 現在、夏休み時期になると 「 夏休み子供科学電話相談」 という番組がNHKラジオで放送されている。 この放送を聞く度に学研シリーズを即座に連想するのである。


                                          (2014年1月2日掲載)


 「名無しの備忘録」 の通し題名で、市内在住の押川 槇さんに読書感想文を書いていただきました。 押川さんは豊文堂書店に通いはじめて20年以上になるそうです。


 第13回 「名無しの備忘録 その一  岡崎正之・著
            『長いトンネルの道 炭礦生活の記録』 (釧路新書 4)

                                          押川 槇 ・ 文

 釧路町の別保には、かつて炭鉱がありました。
 同町が昆布森と合併する前、まだ旧釧路村だったころの話です。 働き場所を求めて多くの労働者が流れつき、去っていきました。

 『長いトンネルの道 炭礦生活の記録』 は一九二一年 (大正十年)、別保の長屋で生を受けた作者の自伝です。 十四歳で両親と同じ炭鉱の道にすすみ、別保坑の廃止後も一坑夫として這いつくばって働いた満身創痍の日々がつづられます。
 その半生は、機械化と合理化へ向かって邁進していく、石炭産業全体の後戻りのできない道のりとも重なります。 人力に頼る父母の世代の採炭風景を序盤におくことで、輪郭はいっそうはっきりするでしょう。

 一九四二年(昭和十七年)、太平洋戦争で大陸に送られ、各地を転戦。
 敗戦後はソビエトの強制収容所に捕虜として拘束さる。
 四十年以上にわたるヤマでの生活には、上記の長い中断の時期がありました。 右と左を違わず権力が強いるそれら待機の時間においても、苛酷な 「労働」 に従事しなければならなかったとは皮肉でなりません。
 かくして 「長いトンネルの道」 とは、個人の生涯をこえたなにものかとも通じます。

 語り手の岡崎正之さんは炭鉱で働くかたわら、『歌集 帽灯』 で北海道新聞文学賞を受けた歌人です。 本書にも体験を織りこんだ自作の短歌や俳句がいくつも挿まれ、読むものを粛然とさせます。
 「炭礦の坑内職場をライフワークに、その特殊性を表現したい」 「私は、何ん (原文ママ) と言われようとも、 花や鳥よりも、地底の生きている素材を掴み出して表現しなければならないと思った」
 打ち明けられる創作信条は、しかし半生を語った自伝においてはより開かれたものになっているようです。

 たとえば同級生の少女が病死したとき、裏山にひっそりと咲いていたアメフリボタン。 同じ花は復員後の様変わりしたふるさとを再訪したときにも描写されます。
 「散文など書いたことがない」 と謙遜されますが、 飾らない文章のそこかしこに、花や虫をはじめとする生き物たちが顔を覗かせていることを見落とすわけにはいきません。 それは地上の世界を希求するこころの表れではないでしょうか。

 作者が文芸創作に目覚めたのは収容所生活においてでした。
 労働の実相に目をこらしてみたい。 そう願います。 歌はそこから生まれ、思想も伸長するだろうから。


                                          (2013年11月30日掲載)


 1970年代後半から80年代初頭にかけて、そのころの小学生がどんなものに夢中になっていたのか。 釧路市の中心部一帯が遊び場だった鈴木好生さんに書いていただきました。

 第12回 「本と共に歩んできた人生  第1章 小学生時代 ○○軍団
                                          鈴木好生 ・ 文

 感銘を受けた本は30年たった今でも忘れないものである。 文章を書いていくうちに関連した出来事が次々と想起するのである。 これも豊文堂の計らいによって実現できた事を深謝いたします。


  第1章 小学生時代 ○○軍団

 町中の友朋達が集結し、○○軍団 (○○には町名が入る) と称して遊び戯れた。 私もそのメンバーの一人であった。
 幼稚園、保育所付近の公園、駐車場、デパートの玩具売り場、そしてゲームコーナーが主なプレイグランドであった。 当時駐車場が少なく、建物が多かった町内には、路地裏の奥地に入ると幾つかの秘密基地があった。

 <町内秘密基地分布図> なるものが頭のなかで蘇えりつつある。
 家の中の倉庫にて、山積みされたダンボールを取り出して箱を作り、 ガムテープとカッターを用いて加工し、そのダンボールの中が秘密基地として機能する事もあった。
 「滑り台オニ」 「エレベーターオニ」 「トランシーバーオニ」 「お化け屋敷ゴッコ」。 遠い記憶から蘇えった軍団のプロジェクト名である。
 さて、当時そんな団員の一人の私ですが、この頃に興味を持った本は次のとおりである。

  1.藤子不二雄 「ドラえもん」
  2.藤子不二雄 「キテレツ大百科」
  3.楳図かずお 「まことちゃん」
  4.楳図かずお 「漂流教室」
  5.すがやみつる 「ゲームセンターあらし」

 1、2、4は、当時コミックは持ってはいなかったので、近所の書店で立ち読みをした。 ドラえもんはコミックよりもむしろTV放映を好んで観ていた。

 3はギャグマンガである。 書店で立ち読みすることもあれば、小遣いの許す限り購入する事もあった。
 左手のひら前に突き出すと同時に指を曲げて「サバラ」、「グワシ」と叫ぶ一発ギャグ。 登場人物の主人公は幼稚園児故に、トイレ周りに関するお下劣ネタや無邪気ゆえの助平ネタが満載である。
 記憶が確かなら、研ナオ子や桑田佳祐なども作品内に登場していた。

 4はホラーSFアクションである。
 一つ目の蜘蛛の様な姿をした未来人間の登場と誕生に興味というよりも恐怖をおぼえた。 白昼の書店内でそのコミックの立ち読みをして、恐怖で昼食は殆ど食べられないほどにショックを受けた。 面白いマンガを描く反面、怖いマンガも描く楳図かずおにもショックを受けたのが今でも忘れられないのである。

 当時ゲームを題材にしたマンガは5のみである。
 ライバルとビデオゲーム対決をするストーリーである。 操作レバーを高速で叩いて敵の弾のシャワーをすり抜ける 「炎のコマ」、 電子回路を狂わせて高得点を弾き出す 「エレクトリックサンダー」 など非現実的な技がいくつか登場する。 登場人物の1人1人が非常に個性的であり、ストーリーは次第にスケールが大きくなっていった。


                                         (2013年10月31日掲載)


 岩村誠二さんの連載 「現JTB北海道案内オンパレード 戦後日本語版」 が4回目にして最終回をむかえます。
 おしまいは、戦後日本語版の拾遺集といったものになりました。 戦前英文版の補遺も、あわせてご紹介いただきます。


 第11回 「北海道 本の旅 6  現JTB北海道案内オンパレード 戦後日本語版  最終回
                                         岩村誠二 ・ 文

     (承前)

  ■「新日本ガイド」 シリーズ
 この稿で取り上げる 1970年代までの一般旅行案内最後のシリーズである。 また、戦後の旅行案内書の中で 唯一の 「日本案内記」 (鉄道省編、博文館発行) の後継書といえるものである。

 プランニング用といえる体裁で、サイズが 20.5cm×13cm 程度、ページ数が 300ページ程度 (厚さ1.9cm) で、左開き横書きである。 本文は1段組で 幅7.5cmの範囲に書かれていて、その見開き両側に交通手段・料金を含む注がある。
 内容は、総論に5ページをさいていて、取り上げている地域の市町村毎に 少なくとも歴史の8行程度の解説があり、 北見市では、歴史を含む概説、繁華街、宿泊、交通公社、デパート、名産・土産の項がある。
 当時の全212市町村が取り上げられている点では 間違いなく 「日本案内記」 をしのいでいる。

 日本の古本屋で 「新日本ガイド」 を検索すると、 他地域の 1978、1980年版のものを 2店が計5点出していて 3,500円または 5,000円の値を付けている。 記憶が定かでないが、2013年2月頃に見たときには1990年代の版が1,500円程度で10点くらいあったと思うが売れてしまったのであろう。 この年代の他の交通公社旅行案内書が 高くても1,000円程度であることを考えると やはり別格である。
 私は2004年くらいまで Book Off を含めた古書店店頭で このシリーズが100〜500円で出ていたので道外版も集めていたが、 その後店頭には全く出なくなり 最近日本の古本屋をみると 上記のような状況である。


  ●交通公社の新日本ガイド 1 「北海道」, 日本交通公社, 1973/07/20 初版, 20.5cm×13cm, p318 (内写真p32)+広告p18 (内p1交通公社書籍), 630円
 このシリーズの1982年発行改訂9版を その年10月の道内旅行に利用するのに 地元の古書ワゴンセールで購入し、ずっと所持していた。 それ以降に利用した旅行案内書は 1990年頃までは捨てていた (当時は鉄道書のみ収集) が、この本だけはずっと捨てずにいた。
 初版は1973年であることは この時の本で解っていた。 長らく入手することができなかったが、初版を2012年に青森の林語堂でわずか300円で入手することができた。 現在の相場の1/10以下である。 本当に運が良かった。

 入手した本には、「新日本ガイド・読者アンケート」 はがきが付属していて このシリーズ刊行の意気込みがうかがえる。
 目次で見ると、総論、道南 (札幌、支笏洞爺、襟裳岬含む)、道東、道北と大きく分かれ、 巻末にモデルコース、定期観光バス、関係問い合わせ先、国民宿舎、ユースホステル、旅館、索引がある。
 総論は 4ページと簡潔な説明で 北海道旅行についての記述がなく、 「最新旅行案内」 の北海道概説の方が 旅行者向けであったようだ。
 本稿に該当する1970年代の版は1点しか入手していず、 このシリーズの長所はシリーズの説明に殆ど書いてしまったので、それ以外のことを取り上げる。

 やはり万能ではないようで、50万分の1〜10万分の1程度の広域・中域図は適宜入っているが、 観光地の詳細図が少ない (これがプランニング用としても、唯一の欠点)。 ただし、地図は全てスケールの入っている ほぼ縮尺の正しいもので信頼できる。
 表紙は 黄色地にポプラ並木とサイロの図案化した絵が描かれていて、本文中には写真が無い。
 写真は、道南p16、道東p8、道北p8 が大きな区分の前に 分散して入っている。 刊行の前々年末に開通した 札幌市営地下鉄とオーロラタウン噴水が含まれるのが 今から見ると懐かしい。 本文解説の部分は 前述のように小さな自治体までとりあげている。

 巻末に モデルコース、定期観光バス、関係問合先 (交通機関、観光協会)、 国民宿舎、ユースホステル、旅館、索引のリストが付属する。 この情報は 当時の全国版 「国鉄監修時刻表」 (日本交通公社) より詳しく (1973年12月号で確認)、 プランニング用の旅行ハンドブック的存在だったのであろう。
 モデルコースは 道内を起点としたプランであり、本州からの交通手段については 道内主要都市の節に 交通機関ごとの所要時間、 運賃が ページ下部に注のような形式で書かれている。


交通公社の新日本ガイド 1 「北海道」(クリックすると 拡大します) 注の多い本文組み (クリックすると 拡大します) 付属していたアンケートはがき (クリックすると 拡大します)

  ■一般的な全国を網羅する旅行案内書シリーズでないもの
 日本交通公社で発行した 表記に該当する旅行案内書 (具体的な公共交通手段、宿泊施設を記載したもの) を何点か入手している。 これらは交通公社書籍広告に掲載されていないものである。 初版発行日の古いものから取り上げる。

  ●ぴくとりある★しりいず 「北海道の温泉」, 日本交通公社, 1956/07/10 初版, A5, p62, 150円
 1956年頃に B6の岩波写真文庫より一回り大きなA5サイズで刊行された 写真を主体にしたシリーズで、 全国各地域の 「〇〇の温泉」 というタイトルが出ているうちの北海道版である。
 岩波写真文庫は 右開きの原則横書きという体裁であるが 横書きのものでも巻頭の3ページ程度は 縦書きの文章になっている。 こちらは右開きの全て横書きである。 残念ながら後が続かなかったようだ。

 表紙は 温泉とは全然関係無く 鮭を抱えた老漁師である (入手した内地の温泉の巻の半数も温泉と関係無い写真である)。
 温泉は 函館から始まって、大沼付近、ニセコ、昆布、定山渓、洞爺湖、登別、豊富、層雲峡、大雪山、 十勝川、然別湖、糠平、温根湯、阿寒、川湯、弟子屈、羅臼の各温泉が取り上げられ、 他には 北海道の味覚、札幌の街並み、大雪山植物、アイヌ、阿寒湖、マリモ祭などが取り上げられている。
 巻末には 温泉・旅館案内、日程案が 計8ページに渡って記述され 実用的な内容となっている。

 写真としては、昆布駅からのホロ付きの馬そり (最新旅行案内の本文にもあったが 小さく紙質も劣る) も貴重であるが、 羅臼の共同浴場や海岸の露天風呂 (1人が横になってかろうじて浸かれるだけ) が一番貴重であると思う。
 札幌の南陽堂書店が新装開店した2003年に 1冊500円で出ていたので、内地の温泉ものや 「民謡のふるさと」 と一緒に購入した。


ぴくとりある★しりいず 「北海道の温泉」(クリックすると 拡大します) 昆布温泉への馬そり(クリックすると 拡大します)

  ●ぴくとりある★しりいず 「北海道の温泉」, 日本交通公社, 1959/06/25 3版, A5, p62, 150円
 表紙、本文は初版と変わらないが、巻末の温泉・旅館案内、日程案が 費用、所要時間の変化により改訂されている。

巻末の温泉・旅館案内 (クリックすると 拡大します)

  ●「新温泉案内 北海道」, 日本交通公社, 1956/08/15, B6, 写真P4+p83+索引P1+広告P2, 80円
 サイズをB6と書いたが 通常のサイズより縦0.5cm、横1cm程度小さい。 広告にも載っていないので 北海道版限定かと思ったが、国会図書館で調べたところ 「新温泉案内 関東」 という書名のものが存在した。
 豊文堂書店北大通店川島様に 表紙画が佐野繁次郎との情報をいただき、http://sumus.exblog.jp/15520875/ の情報を見たところ、 「関西」 版の写真が掲載され、他に 「九州」 版も存在することが解った。
 「関西」 版発行は 1956/10/15で この 「北海道」 版とほぼ同時期であるため、1回限りのシリーズとして刊行されたようだ。

 道南、ニセコ、支笏洞爺、大雪山、阿寒、その他の地方についての温泉の解説と 付近の刊行案内があり、 その後に北海道のみやげ品 p4、温泉地一覧表 p9、温泉地の気象 p1、旅館 p4が続く。
 本文にも 一部小さな写真が入っていて、その他に 温泉駅名の起源、にしん、ソーラン節、北海道の林檎、昆布など 北海道らしいコラムが随所に挿入されている。
 札幌のサッポロ堂書店で入手したが 珍しいものだと思う。


「新温泉案内 北海道」(クリックすると 拡大します)

  ●北海道大博覧会記念特集 「北海道周遊」 旅行春秋 第2巻第7号付録, 日本交通公社旅行倶楽部, 1958/06/25, B6横, 写真P46, 価格掲載なし
 この本に記載されている情報から 日本交通公社旅行倶楽部の会誌の付録のようである。 財団法人 日本交通公社 旅の図書館の書誌情報による 1958年当時の 「旅行春秋」 は B5サイズであるので 会誌本体とは独立した刊行物である。

 北海道大博覧会は 1958/07/05〜1958/08/31 の期間に 札幌の中島公園会場、桑園会場と小樽の海の会場で開催された 北海道の開発をテーマとした博覧会である。

 この冊子は 博覧会への訪問と北海道観光案内のために作成されたものである。
 道内の主要な観光地案内、北海道の旅と服装、モデルコース、主要旅館一覧、 北海道にある交通公社案内所一覧、航空路線案内、北海道のバスなどの記事が掲載され、 北海道大博覧会展示館説明が続き、最後に 北海道内交通公社の協定旅館一覧が続く。
 地図は 旭川から層雲峡経由阿寒方面の概要図しかなく、肝心の札幌・小樽の北海道大博覧会会場への地図は無い。 博覧会会場については、別途パンフレットや小冊子が発行されていたので 記載しなかったと思われる。


 (クリックすると 拡大します)

  ■戦前英文版補遺
 第3回 「北海道 本の旅 1」 の掲載後に 次の本を入手できたので取り上げる。

  ●「TOURING JAPAN OFF BEATEN TRACK」, JAPAN TOURIST BUEREAU, 1934/12/01, B6, p10
 港や書店の目録 CONSTRUCTION により 存在は判明していて 内容が不明であったが、札幌大丸の鉄道グッズ販売で内容を見て入手した。 1000円で入手でき、港や書店目録掲載時(全国10数点の一括)単価の半分以下であった。

 現物を入手するまで 表紙写真のイメージと、タイトルを直訳すると 「人里離れた日本の旅」 となることから 「日本の秘境の旅」 といった内容を想像していたが違っていた。
 当時の北米、ヨーロッパからの観光客は、東京、横浜、日光、箱根、鎌倉、京都、大阪、奈良、神戸など 外国航路の寄港地横浜、神戸からの近場と 日本的な観光地を訪れるのが殆どであったので、 それ以外の地域を簡潔に紹介するのが 本書の目的であったようだ。
 取り上げられている地域は 見開きのページに網羅されているので 写真をご覧いただきたい。
 北海道については次のような内容が取り上げられている。
  • 雄大な大雪山国立公園、阿寒国立公園 (マリモが紹介されている)

  • アイヌの風俗

  • 湯ノ川、洞爺湖、登別、定山渓などの温泉

  • 7月の平均気温が17度の樺太、海豹島も含む

「TOURING JAPAN OFF BEATEN TRACK」(クリックすると 拡大します) 東京、京都、長崎からの所要時間掲載図(クリックすると 拡大します)

 左上の From Ueno からの表に Hakodate, Sapporo, Asahikawa, Odomari (現ロシアサハリン州コルサコフ) が見える。 上野から札幌まで24時間というのは 意外に早い気がする。
 北斗星は道内に入って 特急2本に追い越されるようにゆっくり走っているとはいえ、 連絡船の待ち時間無しの青函トンネル経由で16時12分である。


道内関連本文(クリックすると 拡大します)

                                          (2013年10月14日掲載)


 岩村誠二さんの連載 「現JTB北海道案内オンパレード 戦後日本語版」 が第3回を迎えました。 1970年代以降の出版物を紹介していただきます。
 次は最終回。 10月中旬の掲載です。


 第10回 「北海道 本の旅 5  現JTB北海道案内オンパレード 戦後日本語版  その3
                                          岩村誠二 ・ 文

     (承前)

  ■「ポケットガイド」 シリーズ
 1970年以降は 入手できたシリーズが並行するので、これ以後は 開始年が新しいものから列挙する。
 1970年から 「ガイド・シリーズ」 に似た体裁のシリーズが開始されている。 横書き左開きで 本文説明文1段組みの体裁で 同時期の 「最新旅行案内」 シリーズより紙が硬い。 新書の書籍としても薄めなので、この当時は 持ち歩く旅行案内書は紙質を硬くして 堅牢にしたようだ。
 実際に旅行で使用して 地図や説明を見た時には意識しなかったが、奥付の内容を書き写すのに扱いづらく 改めて実感した。 本文中には写真が全く入っていないが、地図や絵が豊富に入っている。

 このシリーズから北海道についても、 同じシリーズの中に 詳細な地域別の巻と それと同程度のページ数で 代表的な観光地だけに絞った巻が入るようになった。
 等高線の代わりに 陰影を付けた20万分の1程度の地図と 高低は解らない市街地などの地図 (スケールが入っているのは 縮尺の正しいもの、スケール無しは 道路の関係をし示す程度) が入っている。 他に 観光地を俯瞰した絵も入っている。
 地図は 次のように色分けされていて解りやすい。


種別 表現
鉄道 黒太実線
道路 緑実線
航路 黒点線
高低表現 茶色陰影
黒実線
海、湖 黒網掛け


 スケールが入れてあるかによって その地図が距離方位が正しいことを示しているようであるが それを明示していないので、 スケールが入っていない地図を見て歩き出すと とんでもないことになる。

  ●ポケットガイド 1 「北海道」, 日本交通公社, 1970/07/20 初版 1971/07/20再版, 新書, p119 (内巻頭カラー写真p7,広告p1) +メモp4 +広告p8, 250円
 巻頭写真は 8ページが全てカラーで 内1ページが広告で、メモページの左側 または下側に 交通公社書籍広告が入っている。 表紙は絵となり 画像ではわかりずらいが 小さくアイヌ人物が描かれている。
 目次で見ると、はじめに、北海道に入るには、 北海道西部、北海道中央部、北海道東部、北海道北部、定期観光バス、モデルコース、索引となっている。 本文は地域ごとに、交通、旅館、みどころ、旅館案内となっていて、地誌的記述はない。
 他に 「スポット」 として 具体的なミニ情報が所々に入り、函館、釧路くらいの都市では 駅の案内図があるので旅行者に解りやすい。 東京転勤時に、横浜の骨董店で200円程度で入手した。


右の書影は 『ポケットガイド 3 「北海道南部」』 (クリックすると 拡大します) ポケットガイド 1 「北海道」より 小樽のページ (クリックすると 拡大します) ポケットガイド 1 「北海道」より 札幌のページ (クリックすると 拡大します)

  ●ポケットガイド 3 「北海道南部 函館・札幌・洞爺湖・登別・襟裳岬」, 日本交通公社, 1970/12/15 初版 1975/02/01改訂6版, 新書, p127 (内巻頭カラー写真p7,広告p1+モノクロ写真p8) +広告p9 (内p4 交通公社書籍), 400円
 表紙の絵には ポプラ並木が描かれている。
 「北海道」 との共通部分を除いた目次で見ると、 函館、恵山・大沼、ニセコ・積丹半島、札幌、洞爺湖・登別温泉、支笏湖・襟裳岬、北海道中央部 (帯広、大雪山国立公園地域、旭川) となっている。
 「北海道」 と札幌の章を較べると、定期観光バスが本文に入っていて、「スポット」 の情報が多い。 巻末の交通公社書籍広告は 日本の北海道、 東北などの地方毎のブロックに そこを対象とした旅行案内のシリーズ名とタイトル名が掲載されていて 当時の発行状況が解る。
 北海道は 次のシリーズが出ている。

  • 新日本ガイド 北海道

  • 最新旅行案内 北海道

  • ポケットガイド 北海道、北海道南部、北海道東・北部

  • トラベルマップ 北海道


 観光案内図というタイトルの地図は入手していたが、トラベルマップというシリーズがあるのは知らなかった。 この本は2013年に入って 300円で入手した。


左 北海道、右 北海道南部の裏表紙 (クリックすると 拡大します)

  ■「交通公社のポケット・ガイド」 シリーズ
 1970年初版の 「ポケットガイド」 シリーズと中黒(・) が入っただけの名称の違いなので、 同一シリーズで表記が異なるだけかと思っていたが、奥付の書名に 表記のような 「交通公社の」 がついていることに気がついた。
 また、内容が横書き左開きは変わらないが 本文説明文2段組みの体裁で 地図の色使いが次表のようになり、 表紙が写真となり 左上の黄色地にタイトルが入る様式で異なるので 別シリーズと判断した。


種別表現
鉄道黒太実線
道路 (20万分の1)道幅を示す赤2本実線 (一部赤塗り)
道路 (上記以外)道幅を示す黒2本実線 (一部赤塗り)
航路黒点線
高低表現なし (山頂には ▲記号あり)
青実線
海、湖薄青塗りつぶし


 スケールの有無による地図の信頼性表現は変わらない。 本文中には 写真が全く入っていないのも 「ポケットガイド」 と同様である。

  ●交通公社のポケット・ガイド 42 「札幌 函館 小樽」, 日本交通公社, 1977/03/15 初版 1978/05/01改訂2版, 新書, p143 (内巻頭カラー写真p14,広告p2) +広告p9 (内p1交通公社書籍), 450円
 このシリーズは 巻末の交通公社広告によると54点あり、そのうち北海道関連は 次のようになる。

  (1) 北海道
  (2) 阿寒・知床・大雪山
  (3) 洞爺・支笏・積丹
  (42) 札幌・函館・小樽

 この巻は 3都市のみのため、対象地域の範囲が 札幌では 野幌森林公園、定山渓まで、 函館では 湯ノ川温泉、トラピスチヌ修道院まで、小樽では 祝津マリンパークまでとなっていて、 市街地について今まで紹介してきた本より 遙かに詳細な説明が載っている。
 札幌では 新書見開きに碁盤目の12ブロックの範囲の地図が掲載されているページがある。 この点が 1970年代までの交通公社書籍として際立った特徴である。 表紙は テレビ塔を背景にした3人の少女の像である。

 目次で見ると、旅に出る前に、北海道の味覚、北海道のみやげ、札幌、函館、小樽、目的別索引、味覚索引となっている。 札幌、函館、小樽のそれぞれ 本州からの交通、市内の交通、宿泊、プランニング、味覚があり、 末尾には、定期観光バス、関係問い合わせ先、旅館、ホテルの一覧がある。
 街区の詳細地図の他に、札幌、函館では 駅や地下街の図も掲載されていて 旅行者に解りやすくなっている。
 各都市への交通手段としては 国鉄、フェリー、飛行機の順に取り上げられている。 まだ東北新幹線は開通していないにも関わらず、国鉄利用者がある程度いたのであろう。


交通公社のポケット・ガイド 42 「札幌 函館 小樽」 (クリックすると 拡大します) 札幌駅周辺のページ (クリックすると 拡大します) オーロラ・ポールタウンのページ (クリックすると 拡大します)

  ●交通公社のポケット・ガイド 42 「札幌 函館 小樽」, 日本交通公社, 1977/03/20 初版 1979/07/01改訂3版, 新書, p143 (内巻頭カラー写真p14,広告p2) +広告p9 (内p1 交通公社書籍), 450円
 改訂2版の約1年後の改訂版である。 初版の日付が 改訂2版と違っているのに気がついた。 既に写真植字の時代であるが 余計なところまで修正してしまったのであろうか。
 表紙は変わらないが 裏表紙の札幌ビールの広告が変わり、 本文では 札幌、函館、小樽の章の始めにある交通の説明が変わり、 個別に紹介されている飲食店などについては 一部対象店が入れ替わり 説明も変わっている。 このような細かいレベルの記述の本では タウン誌に近い改訂が必要なのであろう。

 購入時のレシートが挟まっていて Book Off 札幌南1条店で 2005年に105円で購入していた。 Book Off でよくぞ26年も前の本を売っていたものだ。 状態が良いのでチェックをすり抜けて店頭に出ていたのであろう。
 最近別件で 2000年代の旅行案内書が無いか探しに行ったが 国内旅行ガイドの棚は壊滅的な状態あった。 スマホのためであろうか。


  ●交通公社のポケット・ガイド 1 「北海道」, 日本交通公社, 1978/04/01 初版 1979/01/01改訂2版, 新書, p143 (内巻頭カラー写真p14,広告p2) +広告p9 (内p1交通公社書籍), 450円
 表紙は定番の時計台である。
 目次で見ると、はじめに、北海道に入るには、函館・洞爺・支笏、札幌・小樽・積丹、層雲峡・襟裳岬、 阿寒・釧路・知床・網走、宗谷・利尻・礼文、関係問合先、定期観光バス、宿泊施設情報、目的別索引となっている。 本文地域ごとの章に、交通、宿泊、プランニングの項がある。 各観光地毎に あし、やど、ガイド、スポットの情報と地図を入れて 使いやすくしている。
 巻末の宿泊施設は、旅館とホテル・ビジネスホテルが別に掲載されていて 札幌では計27軒ある。 1978年11月の交通公社時刻表には 40軒以上掲載されているので 時刻表より少なくなっている。
 ただし、国民宿舎は時刻表には載っておらず、民宿、ユースホステルの掲載件数は 本書の方が圧倒的に掲載件数が多い。 当時の交通公社時刻表は国鉄監修 (国鉄分割民営化時に JRの公式時刻表は 弘済出版社 (後に 交通新聞社) 発行となった) で 日本交通公社のカタログ的存在で、旅行案内は一般的な書籍という位置づけだったのであろう。


交通公社のポケット・ガイド 1 「北海道」 (クリックすると 拡大します) 釧路のページ (クリックすると 拡大します)

  ●交通公社のポケット・ガイド 1 「北海道」, 日本交通公社, 1979/07/20 3版, 新書, p143 (内巻頭カラー写真p14,広告p2) +広告p9 (内p1交通公社書籍), 450円
 前項の版から僅か6ヵ月後の版である。 構成はもちろん変わらないが どこかに違いがあるだろうと、 東京からの旅程案運賃概算をみたら 往復国鉄利用道内15日間が 54,000→55,000円に、 往復飛行機利用1週間が 76,000→77,000円にと変わっている。
 この時代は 団体割引がある程度で 国鉄運賃も航空運賃も固定額なので なんらかの運賃改定があれば それを反映する必要があった。 現在の本であれば、詳細はホームページ参照と振ってしまえば済むことを 印刷する書籍に反映していたのである。 若い人には想像もつかない世界であろう。

 この版は 東京古書会館の市で100円で購入した値札が付いている。 1970年代の版が一番入手しづらく ここに取り上げた本は だいたい日本の古本屋で 500〜1000円で入手しているので 格安であった。 この市では 戦前の版が500円で転がっていることもあるので、東京転勤時に本稿で取り上げている本のかなりの点数を入手した。


  ●交通公社のポケット・ガイド 2 「阿寒・知床・大雪山 <網走・利尻礼文・納沙布>」, 日本交通公社, 1978/04/01 初版 1979/03/20改訂2版, 新書, p143 (内巻頭カラー写真p14,広告p2) +広告p9 (内p1交通公社書籍), 450円
 表紙の写真がどこであるかの記載は無いが 帆船が写っていることから尾岱沼であろう。
 1950年代後半以降の版の裏表紙や 巻頭カラーページの目立つ個所に掲載されている広告は、 個別の宿泊施設や輸送機関のものであったが、この巻では観光協会のものだけである。
 「道内時刻表」 1980年1月号をみると この巻対象地域の観光バスの通年運行は全く無く (実態は観光バスに近い阿寒バスの美幌駅〜美幌峠〜摩周湖〜阿寒湖畔線は 既に通年運行)、 個別企業の広告を取れなかったのではと思う (全道版でない北海道版旅行案内で入手できているものでは、交通公社以外も含めてこの巻が一番古い)。

 目次で見ると、巻頭に道内全般の交通情報、対象地域のモデルコース、函館・札幌のタウンガイドがあり、 その後に大きく分けた大雪・層雲峡、阿寒・釧路・知床、網走、宗谷・利尻・礼文の章があり、 宿泊施設情報、関係問合先、目的別索引となっている。
 知床は 書名タイトルになっているが 本文はわずか5ページしかない。 一般の観光旅行で訪れることのできる範囲が限られているので仕方ないだろう。

 大きく分けた地域ごとの章に、交通、宿泊、プランニングの項がある。 各観光地毎に あし、やど、ガイド、スポットの情報と 地図が入っているのは 全道版の巻と変わらないが、 旭川、網走、釧路にはタウンガイドがあり詳しくなっている。
 巻末の宿泊施設などの情報は 対象地域が狭い分 詳しくなり、旅館・ホテルについては 全施設の料金範囲が掲載されている。
 東京転勤時に、横浜の骨董店で200円程度で入手した。


交通公社のポケット・ガイド 2 「阿寒・知床・大雪山 <網走・利尻礼文・納沙布>」 (クリックすると 拡大します) 釧路タウンガイドのページ (クリックすると 拡大します)

                                (10月中旬掲載のその4につづく)

                                          (2013年9月30日掲載)


 岩村誠二さんの 「現JTB北海道案内オンパレード 戦後日本語版」 の連載第2回です。
 1960年代以降の変遷を取りあげます。
 2週間ごとの更新で、全4回を予定。 第3回目の掲載は9月末です。


 第9回 「北海道 本の旅 4  現JTB北海道案内オンパレード 戦後日本語版  その2
                                         岩村誠二 ・ 文

     (承前)

  ■1960年代 「最新旅行案内」 シリーズ
 1960〜1976年まで このシリーズが刊行されている。
 表紙が いかにも北海道らしい写真で ページ数が増えている。 巻頭にアート紙の写真ページがあり、本文中の一部のページに写真が入る体裁は 最後まで変わらないが、 私が入手した中では 1965年の版から本の縦寸法が6mm程度高くなり 本文の紙質が向上している。
 また表紙のタイトルに北海道だけでなく 大沼・支笏湖・・・の詳細地域が列挙されるようになったのも特徴である。
 入手価格も 古書店ではだいたい 500〜1000円程度であるが、骨董屋で入手したものは 200円程度のものもある。 やはり一部の版しか入手できていない。


  ●最新旅行案内 1 「北海道 支笏洞爺・阿寒・大雪山・襟裳岬」, 日本交通公社, 1960/06/15 初版, 新書, 写真p8+p177+広告p17 (内p1 交通公社書籍), 130円
 表紙は サイロを背景にした牛のカラー写真で、いかにも北海道らしいものである。 1961年の版まで 同じ写真である。
 本文は158ページで その後に、旅館13ページ、ユースホステル・国民宿舎のごあんない1ページ、索引5ページが 通しページで続くので、 新旅行案内より本文が10ページ少なくなっている。 巻頭の写真は 北海道の風俗を扱ったものが復活し 1ページ、縦長半ページなど サイズにめりはりがある。

 目次で見ると、北海道 (北海道概説)、渡島半島、札幌と支笏洞爺、 大雪山国立公園、阿寒と網走、宗谷の大きな章立てで 新旅行案内1959年版から一部変わっている。
 北海道概説は ほぼ新旅行案内1959年版を踏襲しているが モデルコースが横書き (本文は縦書き) となり、 本州主要15都市からの所要時間・料金の表 (国鉄利用のみ) が函館、札幌、旭川、釧路への組合せとなった。 モデルコースのうち 日程の短いタイプの一部には 片道飛行機利用があるが、 この時代ではまだ費用の点から観光旅行の交通手段としての利用は殆ど無かったのであろう。
 各観光地の本文説明から 交通手段、観光バスについての情報が 交通ガイドとして別枠で横書きの小さい活字で切り出され ページ数を節約している。


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  ●最新旅行案内 1 「北海道 支笏洞爺・阿寒・大雪山・襟裳岬」, 日本交通公社, 1960/06/15 初版 1961/05/20 3版, 新書, 写真p8+p177+広告p1 (交通公社書籍のみ), 130円
 この時期の版では これだけが巻末の道内旅館などの広告が全く無い。 何か事情があるのだろうか。
 本文の基本的内容は 1960年版と変わらないが、道内国鉄のスピードアップによる所用時間が改訂され、掲載された旅館の数が増えている。 札幌市の市内定期観光バスに 冬の観光バスが12月1日〜3月31日の期間運行として 初めて掲載されている。


  ●最新旅行案内 1 「北海道 大沼・支笏洞爺・大雪山・知床・阿寒・襟裳岬」, 日本交通公社, 1962/06/01初版, 新書, 写真p8+p186+広告p27 (内p3交通公社書籍), 150円
 シリーズ名が同じで 本文が10ページ近く増ページされていて、初版にリセットされている。 表紙のカラー写真が 手前に子供のいる畑を配したサイロのある家となった。 これも北海道らしい風景である。 巻頭の写真ページも全て入れ替わっている。
 本文は163ページで その後に、旅館17ページ、ユースホステル・国民宿舎のごあんない 1ページ、索引5ページが通しページで続き、 広告との間に奥付のページが独立して入った。 1961年版までの奥付は 索引の下の3cm程度のスペースに押し込まれていた。
 広告ページも増えていて 大部分が旅館、ホテルであるが この版から登別温泉の熊の牧場が加わった。

 章立ては変わらないが、内容は1961年版から随所で変わっている。
 北海道概説の本州主要15都市からの所要時間・料金の表に 具体的な国鉄列車名と運賃、急行・特急料金が分けて掲載され、 函館への全日空便と 札幌への日本航空便が加わった。 また、デフォルメされた 「この本にでてくる周遊指定概略図」 が見開きで入り、その後ろにモデルコースが移動した。
 飛行機利用のコースでは 道内の飛行場が千歳と札幌に書き分けられ、本州連絡の丘珠空港便が登場したことが解る (丘珠空港からの東京便は 機材がジェット化される1974年まで存続したようである)。
 1961年版からの細かい変更は多々あるが、札幌市の観光バスに成吉思汗コース、産業コースが登場している。 既に50年前に観光バスも多様化していたようだ。


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  ●最新旅行案内 1 「北海道 大沼・支笏洞爺・大雪山・知床・阿寒・襟裳岬」, 日本交通公社, 1962/06/01初版 1964/02/10 5版, 新書, 写真p8+p181+索引p5+広告p25 (内p7交通公社書籍), 150円
 1962年6月の版を初版としているので 版数がリセットされたのは明白である。 この版以降 このシリーズの初版は変わっていない。
 巻末の交通公社書籍広告のページ数が増え、その最後のページには 「1000万人の観光英会話」 が掲載されている。 円が変動相場制になるのは 札幌オリンピックより後の1973年だから、 この時代は1ドル=360円の固定相場制で 海外旅行は高嶺の花である。
 索引が通しページから外れたので ページ数が変わっているが 本文ページ数は変わりない。
 1962年版からの小改訂版のようで 各地の交通ガイドの内容が変わっている程度であるが、 巻末旅館一覧中の小樽の旅館が 11軒から5軒に減少しているのが目に付く。


  ■「ガイド・シリーズ」
 最新旅行案内シリーズは 1970年代半ばまで続くが、このシリーズの体裁が変わる前に この時期に刊行されていたものを取り上げる。 このシリーズは 1963年発行のものを1点だけ入手した。

  ●ガイド・シリーズ 5 「北海道1週間の旅」, 日本交通公社, 1963/04/25初版, 新書, p77+ 広告p17, 130円
 今までの旅行案内書と体裁が大幅に変わり、左開き横書きで 本文の紙が巻頭の写真ページアート紙より厚くて硬く 非常に見づらい。 無理に開こうとすると背が割れてしまう。
 内容も 巻頭にモデルコースを載せ、地域毎の地誌的概要は僅かになり 交通手段の説明など実践的になっている。 本文の文字が青字で、観光地毎の地図が観光コースの道路を赤線で示して 多数掲載されているという際だった特徴がある。 主要都市の道路の色使いがめちゃくちゃで、釧路は赤と黄色が入り乱れている (新しい版でどのように改良されたか見てみたいものである) 。
 巻頭に写真4ページあり、本文中には写真が全く入っていない。 表紙にはアイヌの写真が載っている。
 札幌の古書店で500円程度で入手したが それ以後 「日本の古本屋」 でも見たことがない。 1970年版までの最新旅行案内巻末の書籍広告に掲載されているので、古書市場に出てこないだけのようである (実際に使われたものは 背が割れて商品にならないのかもしれない)。


 (クリックすると 拡大します) 札幌市街図 (クリックすると 拡大します) 釧路市街図 (クリックすると 拡大します)

  ■1965年以降 「最新旅行案内」 シリーズ
 1965年の版から 縦サイズも5mm程度大きくなり 通常の新書版より一回り大きくなった。 背表紙のタイトルにも 北海道だけでなく 大沼・支笏湖・・・の詳細地域が列挙されるようになった。
 本文の紙質が向上し、巻頭のアート紙の写真ページが増え、カラー写真が入り 巻末の旅館の広告が一部ここの途中に移動した。 単純にページ数をみると 1964年版から1割程度ページ数が増えているが 巻頭の写真を含んだ通しページになっているので 実質は10ページ程度の増加である。
 入手できた最新版は1976年のものである。


  ●最新旅行案内 1 「北海道 大沼・支笏湖・大雪山・知床・阿寒・襟裳岬」, 日本交通公社, 1962/06/01初版1965/08/20 改訂9版, 新書, p205 (内巻頭カラー写真p4,モノクロ写真p16)+索引p5+広告p17 (内p3交通公社書籍), 200円
 表紙は、背景に駒ヶ岳を入れた大沼で これが1968年版まで続く。
 目次の構成は従来と変わっていない。 北海道概説の地誌的内容は 従来のものを引き継いでいるが 交通機関の項では 航空路が独立して取り上げられるようになった。 ジェット機使用の東京・大阪・福岡からの便には カッコ書きで (ジェット) と注が入っているので、 その他はプロペラ機のようで 所要時間もジェット機の1.5〜2倍程度となっている。
 周遊モデルコースは 国鉄の周遊券利用が前提のため 飛行機利用のコースは従来と同じ割合である。
 「この本にでてくる観光地一覧図」 の国後島に 「国後島」 の文字が入るようになった。
 巻頭の写真が全面入替で大幅増ページになり、本文中に入れられた写真も差し替わっているが、 本文の記述は内容の更新があるものの 基本的には変わっていない。
 宿泊施設の情報では ユースホステルの数が1964年版から6割くらい増えたのが目を引く。


右は1966年版裏表紙 (クリックすると 拡大します)

  ●最新旅行案内 1 「北海道 大沼・支笏湖・大雪山・知床・阿寒・襟裳岬」, 日本交通公社, 1966/07/05 改訂11版, 新書, p205 (内巻頭カラー写真p4,モノクロ写真p16)+索引p5+広告p19 (内p7交通公社書籍), 200円
 目次の章のうち、「阿寒と網走」 が 「阿寒と網走・知床」 に変わり これ以後 最後の1976年版まで継続する。
 北海道概説に掲載の航空路線が 1965年版から4割くらい減少している、 本州から北海道への飛行機利用はまだ少なかったのかもしれない (容易に入手できる情報では 1965年当時の航空旅客数が掲載されておらず 1975年以降しか解らない。 1975年には関東にいて学生であったが、学割で国鉄の周遊券を利用できることもあり 北海道へ飛行機で行くことは想定外)。
 地誌的情報が更新されていて、札幌市の1965年10月現在人口が95万2千人 (明らかな誤り。1968年版では 1967年現在3月現在85万4千人) となっている。

 この版は 札幌のラルズプラザ骨董市で 線引きが目立つページがあるものの 定価の半額で購入できた思い出のあるものだ。 骨董屋で私が求める分野の書籍や絵葉書の価格は 古書の市場価格と関係無く、古書相場の数割か数倍の極端である。


  ●最新旅行案内 1 「北海道 大沼・支笏湖・大雪山・知床・阿寒・襟裳岬」, 日本交通公社, 1967/03/20 改訂13版 1968/03/29 2刷, 新書, p205 (内巻頭カラー写真p4,モノクロ写真p16)+索引p5+広告p19 (内p7交通公社書籍), 200円
 北海道概説に掲載の航空路線が ほぼ1965年版の数に復活し、本州50都市からの均一周遊券の運賃 (まだ2等級制で 1等は2等の約2倍、周遊券のため 1等は若干の割引があるようだ) と有効日数が載るようになった。
 細かい情報は更新されているが、札幌市の市街図には 1960年6月に廃止となった市電の桑園線がまだ載っていた。 地図への新しい情報の追加は 比較的早い (1957年完成の札幌テレビ塔は 1960年版に掲載) が 無くなった情報の削除が遅いようだ。


  ●最新旅行案内 1 「北海道 大沼・支笏湖・大雪山・知床・阿寒・襟裳岬」, 日本交通公社, 1968/06/20 改訂14版, 新書, p205+索引p5+広告p19 (内p7交通公社書籍), 200円
 3月に前年版の増刷が出たばかりなのに 改訂版が出ている。
 ただし改訂版だけあって、いろいろな情報が更新されていて 札幌市の部分では市街図の南側範囲が広がり 当時の道教育大 (現中央図書館) まで入るようになり 前の版で指摘した市電桑園線が無くなっている。


左1965年版裏表紙、右1968年改訂14版裏表紙 (クリックすると 拡大します)

  ●最新旅行案内 1 「北海道 大沼・支笏湖・大雪山・知床・阿寒・襟裳岬」, 日本交通公社, 1970/01/25 改訂15版, 新書, p209 (内巻頭カラー写真p8,モノクロ写真p12,広告p4)+索引p5+広告p7 (内p3交通公社書籍), 280円
 巻末の広告ページが減っているが、巻頭のアート紙写真ページが24ページとなり 全面的に写真が入れ替わり、 ここに広告が4ページ入るようになった。 1968年版まで本の背に、大沼〜襟裳岬の詳細地域が入っていたが、それが無くなった。
 巻末の交通公社広告ページには 「ガイド・シリーズ」 26点、最新旅行案内シリーズ17点が掲載されている。
 表紙写真が時計台となっている。 この時代には 本州からの旅行客の航空機利用が増えているので 函館からの列車で 駒ヶ岳を見ずに札幌にはいる旅客が多くなったのに 対応したのかもしれない。 この写真は1973年版まで続く。

 実質的ページ数が変わらず、細かい情報は更新されていて 価格が4割上がっているが 基本的な章の構成、 説明内容はほぼ従来の版を踏襲している。
 北海道概説の均一周遊券が 北海道周遊券、立体周遊券 (行き帰りいずれか片道飛行機利用)、 道南周遊券に分かれ 本州側出発地が9主要都市になり、運賃が一般とグリーンになり、 有効日数が減り 1割程度安くなっている (東京発が21日間から16日間に。学生でも3週間をフルに利用することはまれだったのであろう)。
 この時期の北海道や、札幌市発行の観光パンフレットには冬季札幌オリンピックが必ず出てくるが、 この版には 「オリンピック」 のキーワードが出てこない。 入手できていない16版、17版あたりには記載されていたのであろうか。


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  ●最新旅行案内 1 「北海道 大沼・支笏湖・大雪山・知床・阿寒・襟裳岬」, 日本交通公社, 1972/07/20 改訂18版 1973/04/01 2刷, 新書, p209 (内巻頭カラー写真p8,モノクロ写真p12,広告p4)+索引p5+広告p19 (内p3交通公社書籍), 280円
 巻末の広告ページ数が再度増え、交通公社書籍広告は 「ポケットガイド」 (後出) に入れ替わった。 巻末の旅館一覧は 行間を詰めて掲載数が増えている。
 札幌市の項では 交通ガイドに地下鉄の情報が載り 市街図が改訂されていて、 別枠になっていた工場見学の情報が本文に戻り、狸小路のみであった中心部繁華街の案内に すすきの、札幌地下街が加わった。


  ●最新旅行案内 1 「北海道 大沼・支笏湖・大雪山・知床・阿寒」, 日本交通公社, 1976/04/20 改訂22版, 新書, p207 (内巻頭カラー写真p8,モノクロ写真p12,広告p4)+索引p5+広告p11 (内p1交通公社書籍), 450円
 表紙が 斜里岳を背景にした原生花園に変わり、巻頭の写真が一部入れ替わっている。 「最新旅行案内」 シリーズで入手できている最終版である。
 表紙のタイトルが 「交通公社の最新旅行案内」 となり、詳細地域から襟裳岬が無くなっている。 北海道概説中のモデルコースの 飛行機利用の割合は変わっていないが、東京〜千歳所要時間が 1973年版の75分から85分になっている。 飛行機の運航頻度が上がって 余裕を見るようになったのであろう。
 札幌市の交通ガイドを見ると 道内航空便が千歳発着となり、市街図に残る市電が 現在と同じ西4丁目〜すすきのだけとなった。
 この版になって初めて 札幌市の沿革に戦後分が追加され、 1950年 第1回雪まつり、1970年 人口100万人突破、1972年 冬季オリンピック開催が入った。


 (クリックすると 拡大します)

                                    (9月末掲載のその3につづく)

                                          (2013年9月14日掲載)


 第8回は、岩村誠二さんの 「現JTB北海道案内オンパレード」 より、戦後日本語版をお届けします。
 岩村さんには以前、同題のもとに戦前の旅行案内書の変遷をたどっていただきましたが、 戦後日本語版はその続編となります。 これまでの蒐書のありったけをつぎ込んだ研究を披露していただけることでしょう。
 2週間ごとの更新で、全4回を予定しています。


 第8回 「北海道 本の旅 3  現JTB北海道案内オンパレード 戦後日本語版  その1
                                        岩村誠二 ・ 文

     (承前)

  ■戦後日本語版
 戦後は 1955年頃までは毎年の改訂ではないが その後は毎年改訂版が出ているようだ。
 私は 1955年までの刊行分はほぼ収集できているので全て取り上げ、その後は収集できたものを取り上げる。 1955年頃までのシリーズは古書市場に出てきていたので 比較的早い時期に揃えることができたが、 その後のものは収集するのに苦労している。
 ここで取り上げた本の他に、日本交通公社札幌支社から 「新スキー北海道」、「北海道絵本」 が発行されている。
 「新スキー北海道」 は 戦前の鉄道省札幌鉄道局から刊行されていた 「スキー北海道」 をほぼそのまま踏襲する内容のため、 札幌鉄道局版とあわせて別途取り上げる。
 「北海道絵本」 は 交通手段および宿泊施設が掲載されていないため 対象外とする。 この時期から北海道支社版を除き 発行者は東京の日本交通公社となっている。



  ■昭和20年代 「旅行叢書」 シリーズ
 1948年に初版が出て 1955年の改訂5版 (後述のように版を飛ばしていて、実際はもう2版多い) まで出ている。 戦前版より大幅な増ページとなり、戦前最盛期の2.4倍程度のページ数である。 巻頭に写真が4ページある体裁は このシリーズを通して変わっていない。
 10年くらい前までは戦前版より出回っていて、 最初の入手時に一番高価であった1948年版でも 1,500円程度で入手できて その他は 500〜1000円程度で入手できたが、 最近はあまり見かけない。
 このシリーズまでは 全ての版を収集できた。


  ●旅行叢書 第11編 「北海道地方」, 日本交通公社, 1948/12/30, B6, 写真p4+p160, 50円
 表紙は奥に山があり 手前の平地に馬が放牧されている絵で、特徴のない山容で 私には具体的な山が思い当たらない。
 巻頭の写真は 大雪、駒ヶ岳、オタモイ、北大農学部、室蘭市街、摩周湖、阿寒を掲載していて 主な観光地も網羅している。
 内容は、北海道概説、函館長万部及江差間、黒松内・小樽間、札幌・岩見沢間、長万部・室蘭・岩見沢間、滝川・旭川・稚内間、 石北線・網走線に沿うて、根室線・釧網線に沿うて となっている。 「◯◯間」 という章名にも 「◯◯線に沿うて」 という副題があって 完全に鉄道利用が前提の章立てである。
 北海道概説末尾の鉄道路線を入れた北海道全図は 国後島、水晶島が入る範囲の囲みであるが、北方四島は記載されていない。 戦前版よりページ数が大幅に増えているので 全体的に説明が詳しくなっていて、 鈴蘭、アイヌの旧地、石狩川などの目次に載らないコラムがある。

 宿泊施設は 観光地毎に 【旅館】 の見出しで記載されている (例:【旅館】 札幌グランドホテル (北1条西4丁目、駅400米、電5001、進駐軍専用)、...)。 戦前は 要塞地帯で写真撮影も不可能であった函館山が取り上げられている。
 観光地の地図が適宜入れられているが 印刷の質が悪いため、札幌市街図では市電の線路が解りづらい。 また1937年には廃止になっている 札幌郊外電気軌道 (円山三丁目〜温泉下) の線路が入っているなどの混乱がある。 若干の問題はあるが 敗戦後僅か3年で 全面的に改定増補された内容のものが発行されたのは 評価できる。
 ただし、まだ混乱していて 道外から観光客など望めないので 道外の他の地域も含めて 地元での利用にとどまっていたのであろう。 この版から1953年版まで、裏表紙の広告は雪印乳製品である。
 この版は3冊入手したが 先の2冊は完全に黄ばんでいる。 最後に東京の秦川堂書店で入手したものは僅かしか黄ばんでいず この時代としては極美であるが、わずか500円であった。


 (クリックすると 拡大します)

札幌郊外電気軌道が載っている札幌市街図 (クリックすると 拡大します)

  ●旅行叢書 第11編 「北海道地方」, 日本交通公社, 1950/09/25 再版, B6, 写真p4+p160, 50円
 表紙の絵は 初版と変わらないが 表紙に、「旅行叢書第十一集」 と定価が入るようになったが、奥付の方は11 「編」 のままである。
 ページ数は変わらないが 随所に変化が見られる。 巻頭の写真が全て入れ替わり、 北海道概説では 青函連絡船をはじめ 本州からの航路データが更新され 空いたところに 「よみにくい駅名」 のコラムが入っている。 北海道全図の本島縮尺が小さくなり 掲載範囲が広がっているが 相変わらず国後島など 北方四島は掲載されていない。 天売島、焼尻島も まだ掲載されていない。
 各観光地の説明は 基本的に変わっていないが、 特に見づらかった札幌市街図は 道路の記載を主要道路のみにして 印刷の質が向上したため 遙かに見やすくなっている (他の市街図は鮮明になっただけで 表現は変わらない)。


1950年版裏表紙 (クリックすると 拡大します)

格段に見やすくなった札幌市街図 (クリックすると 拡大します)

  ●旅行叢書 第11集 「北海道地方」, 日本交通公社, 1952/06/30, B6, 写真p4+p164, 70円
 戦後の再版から1年半後の発行で ページ数が僅か増え、表紙が変わり 巻頭の写真が全て入れ替わっているが 第2刷の表示もない。 次の改訂再版以降の奥付情報では この版を初版として扱っている。 戦前のツーリスト案内叢書では、実際の初版を1941年の版まで掲載していたので 何か事情があるのだろう。 このことは、文章を書くまで気がついていなかった。
 これ以降の日本交通公社旅行案内各シリーズは 実際の初版の後の版を初版としているものが多い。

 表紙は 大沼を前景とした駒ヶ岳のような気がするが、山容が明らかに異なる (旅行案内書の表紙であることと 時代背景を考慮して 思い当たる方がおられたら ご教示いただきたい)。 表紙絵の周囲が濃い色のため 定価が裏表紙への表示となっている。 前の版から定価が4割上がったが この価格が1955年まで継続し、物価が安定してきたことが解る。
 北海道概説の北海道への定期航路に 日本航空の東京―三沢―札幌便が掲載されはじめた。 東京〜札幌 3時間半、運賃10,200円である (釧路〜東京の日本郵船航路は 所要4日間 3等980円)。
 北海道概説の章の終わりに、「国立公園と道立公園」 の項が加わり 「よみにくい駅名」 のコラムは 地域毎の章に移動している。 地域毎の説明は 旅館、映画館、ダンスホール、キャバレーなどが詳しくなっている。

 この版で重大な誤植を見つけてしまった。 札幌の旅館一覧先頭が 「て形屋」 (正しくは 山形屋、戦前からの札幌を代表する旅館) となっていた。
 1950年版と1952年版は ページ数は殆ど変わりないにも関わらず、その前後の版と較べて 本の厚みが5割近く厚くなっていて、 戦後の用紙事情が安定していないのがわかる。


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1952年版裏表紙 (クリックすると 拡大します)

  ●旅行叢書 第11集 「北海道地方」, 日本交通公社, 1952/06/30初版 1953/06/20訂正再版, B6, 写真p4+p164, 70円
 この版を手に入れたことで 1852年版を戦後の初版としていることが明らかになった。 これから1955年の版まで 表紙が青を基調としたアイヌ人物上半身に 背景のイラストをあしらったものになった。 強烈な印象である。
 紙質が向上し 所蔵している本の黄ばみは無い。 前の版との地誌的内容は 北海道全図に天売島、焼尻島が掲載されるようになったことが見いだせるだけであるが、 観光バスの記載が出て来たりして 旅行案内書としてのポイントは外していない。
 当然のことながら、札幌の 「山形屋」 の誤植は修正されている。


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  ●旅行叢書 第11集 「北海道地方」, 日本交通公社, 1953/08/20 3版, B6, 写真p4+p164, 70円
 6月の版との相違は 見つけることができなかった。 わずか2ヵ月での刊行なので 単純な増刷と思われる。 札幌の旅館一覧末尾の札幌グランドホテルは 1952/06末接収解除予定の記載のままである。

  ●旅行叢書 第11集 「北海道地方」, 日本交通公社, 1954/05/10 4版, B6, 写真p4+p164, 70円
 1953年版と較べて 地誌的案内は変わっていない (札幌市人口は 1951/07現在 33万9千人のまま) が、 各地の旅館の項に取り上げられる宿泊施設が増えている。
 中でも札幌では 帝国製麻株式会社 札幌工場の記述行数を削って 旅館を追加している。 ホテルとして、札幌グランドホテルが営業を再開し、パークホテル (南10西1)、第一ホテル (北1西5) が掲載されている。 日本交通公社の1954年10月時刻表に掲載されている宿泊施設は この旅行叢書より少なく、札幌グランドホテルがない (ちなみに時刻表には東京都の帝国ホテルもない)。
 北海道概説の末尾には 戦後の版で掲載され始めた 北海道への定期航路中の青函連絡船の項に、洞爺丸以下5隻の船名も記載されている。 この年の9月には 洞爺丸台風による海難事故 (死者数では 世界史上で2番目) が発生し、洞爺丸を含む4隻が遭難している。
 この版から裏表紙の広告がカメラになっている。 戦後の復興が進み余裕が出てきたということであろう。


左1954年版、右1955年版 裏表紙 (クリックすると 拡大します)

  ●旅行叢書 第11集 「北海道地方」, 日本交通公社, 1955/09/15 訂正5版, B6, 写真p4+p164, 70円
 巻頭の写真とページ数は 1953年版から変わっていないが、主要都市の人口が1955年現在の値に改訂され、 宿泊施設の情報が 行間を詰めて増補されている。
 北海道概説の末尾の 北海道への定期航路では 青函連絡船の項から洞爺丸の記載がなくなり 4隻の船名が掲載され、 日本航空は 東京―札幌便となり、日本ヘリコプター (全日空の前身) の東京―三沢―札幌便が追加されている。



  ■昭和30年代前半 「新旅行案内」 シリーズ
 1956〜1959年まで このシリーズが刊行されている。
 巻頭にアート紙の写真ページがあり、ページ数も前シリーズとほぼ同じであるが、本文中の一部のページに写真が入るようになった (10ページに1枚程度)。 サイズは新書と書いているが 横幅が7mm 程度広い。
 このシリーズ以降 1960年代のものまで これまでの版より入手が難しく、 入手価格も 1,000円程度になっていて 一部の版しか入手できていない。


  ●新旅行案内 1 「北海道」, 日本交通公社, 1956/04/20, 新書, 写真p8+p168+索引p4, 90円
 表紙の絵は 図案化された2人の人物の後ろに 機関車や船があしらわれているが、北海道固有のものではない。 サイズが若干小さくなり ページ数は旅行叢書から若干増えた程度であるが、内容は全面的に改定されている。
 章立てが鉄道路線を基準としたものから 観光地の地域毎に変わり 次のようになっている。
 北海道(北海道概説)、道南、支笏・洞爺国立公園、ニセコと積丹半島、 札幌と石狩平野、南日高海岸、大雪山国立公園、阿寒国立公園と厚岸、 網走とその周辺、稚内と利尻礼文島、旅館・ホテル一覧表、索引。

 旅館・ホテルの情報が 一個所にまとめられて表形式になったのが 利用者からみたら一番の改善点であろう (電話の全国自動即時化完了は 1979年とはるか後年のことで、 この時代は日本交通公社の宿泊クーポン券を利用するか、観光地に着いてから宿を決めるのが 一般的であったと思われる)。 ただし、記載されている旅館数が全国版の交通公社時刻表より少なくなってしまった。

 主要都市の地図は 範囲を中心部に絞る代わりに、詳細な観光ポイントを記入して実用的になっている。 札幌と石狩平野の章では、福岡、大阪、東京と道内主要都市からの空路を含む 交通機関別の所要時間、料金一覧表が掲載されている。
 巻頭に移った北海道全図 ( 「この本にでてくる観光地一覧」 ) に、国後島が掲載されるようになった (根室半島東端が枠線ギリギリであるので、水晶島は範囲外) 。
 北海道の章と一部観光地には 具体的な交通機関の運賃と所要時間を期したモデルプランが掲載されるようになった。


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  ●新旅行案内 1 「北海道」, 日本交通公社, 1956/10/20初版, 1958/03/30 4版, 新書, 写真p8+p168+索引p4, 120円
 表紙の絵がデザイン画になり、これだけ見たのでは何の本だか解らないものになった。 巻頭の写真が全面的に入れ替わり、観光地の風景だけで無く 北海道らしい風俗が小さめの写真でまとめて掲載されている。 1956年版と較べると運賃改定、札幌テレビ塔などが反映されている。
 この版に限ったことではないが、主要都市の案内では、 主要官公庁、日本交通公社、百貨店、娯楽場 (映画館、ダンスホール、キャバレー、道営競輪場)、 年中行事、特産土産物が小さな活字を使用して 条丁レベルの住所まで掲載されているので、現在これを見ると時代の変化を感じる。
 札幌市の日本交通公社の項では、本文より大きな活字を使用して営業所を挙げている。 北海道支社、札幌案内所、札幌今井内案内所。
 釧路市の日本交通公社の項では、丸三鶴屋内案内所が挙げられている。


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左1958年版、右1959年版 裏表紙 (クリックすると 拡大します)

  ●新旅行案内 1 「北海道」, 日本交通公社, 1956/10/20初版, 1959/06/05 8版, 新書, 写真p9+p168+索引,旅館案内p18, 120円
 表紙の絵は変わらないが、旅館案内のページが本文と別立てになり 本文ページ数が変わらないので 実質的な増ページとなっている。 写真ページが全面的に入れ替わり カラー写真で日高海岸の馬のいる風景が入った。 モノクロ写真は 1958年版の北海道らしい風俗の写真が殆ど無くなり 大きめの観光地の写真ばかりとなった。
 本文も大幅に改訂されて 目次で見ると、 北海道 (北海道概説)、渡島半島、札幌と道南、大雪山、阿寒と網走、稚内と礼文、利尻島の大きな章立てとなった。
 北海道概説では、従来の本州から北海道への解説で 個別の交通機関ごとの解説を止め、 大きく分けて 国鉄、航空路があることを示し、国鉄では周遊券 (普通周遊券、均一周遊券) の利用を詳しく解説している。 1955年に復活した周遊券を この版で初めて取り上げたことになる。
 1958年版では 札幌市の項にしかなかった本州・道内からの所要時間・料金の表 (国鉄利用のみ) が北海道概説の末尾に移動して、 本州主要15都市から 函館、札幌、旭川への表となった。


                                            (その2につづく)

                                          (2013年8月31日掲載)


 第7回は、霧野 叶多さんの 「本が道づれ」。 昔試した海辺の読書の顛末をお書きいただきました。 お読みになった方の感想もお待ちしています。

 第7回 「本が道づれ 2  海辺で本を読む
                                         霧野叶多 ・ 文


 人気のない海辺で本を読んだことがあるだろうか。
 雑誌などで、あるいは何かの映像でそんな光景を目にしたことがあるかもしれない。 あるいは想像の中で、なんとなく当たり前のような情景として思い浮かべたりしたことがあるかもしれない。

 昔、私は実際に海辺で本を読んでみたことがあった。
 季節は、この地の近郊の涼やかな夏。少し眩しいけれどぎらつきすぎない陽ざしがあり、あたりに人影はない。 かなり距離を置いたところに、釣竿を何本か海に投げ入れた状態で砂浜に刺し並べた釣り人がひとり、 動きという動きのないまま、海に向かって釣りをしているだけである。
 誰にも邪魔されずに本が読める。私は、砂浜に腰を下すと持参した読みかけの本を開き、読み始めた。 読み始めたけれど・・・。

 数行の文字を辿ってみたが、何も頭に入ってこない。 最初の文字に戻って、もう一度読む。読もうとする。 やっぱり、何も入ってこない。 目は字面を追うが、言葉として捉えることが出来ない。 もう一度、はじめの文字へ戻る。
 そうやって、何度も同じ文字を追う。 何度やっても駄目である。
 読めない、理解できないだけではない。 思考というものがパタッと止まってしまっているのだ。 ただ、脳が戸惑っている。

 波、波音である。
 規則正しいようで、 微妙に不規則に繰り返し打ち寄せる波の音だけが頭の中のすべてを占領してしまっているのだ。 他のすべての音も思考も締め出して、私という存在を、丸ごとすっぽりと波音の中に取り込んでしまっている。

 波は呼びかける。思考を止めよ、ただ波の音に耳を傾け、心を注げ、海と、大自然と一体になれと。 ちっぽけなひとりの人間が抗うことなど受け付けない波の音に、海の存在に、 海とともにある空と風に、私は両手を挙げて降参する。 ただ、全身を波の音に任せる。
 海と、空と、風と、砂があり、その砂の一粒に等しい私がいる。

 あの日以来、海辺で本を読むということは、私にとって有り得ないこととなった。 もしかしたら、あの時だけが特別であって、本当は、海辺は読書にもってこいの場所なのかもしれないが。
 海辺で読書したことのあるあなた、これから試してみようというあなた、あなたの場合は、いかがだろうか。 どんな結果かお知らせいただければ、本を読むことに対する、海の、波音の持てる力具合がわかるような気がするのだが。
 豊文堂で受け付けてもらおうと考えるのは、やっぱり図々しすぎる、かな?


                                           (2013年7月31日掲載)


 6回目は、大阪にお住まいの平位公三郎さんが若いころ手にした本を再訪する 「私の青春再読」 の第2便です。

 第6回 「私の青春再読 2  W.B.ウルフ 著/周郷 博 訳 『どうしたら幸福になれるか』
                          岩波新書 上下巻 1968・1969年版 (現在絶版)
                              「大阪のガス人間」 こと 平位公三郎 ・ 文


 この大著を最初に読破したのは、今から40数年前、大学1回生の1969年の秋だった。 実は、この本をまた読み直すとは夢にも思わなかった。 恐らく豊文堂さんのこのコーナーがなければ二度と手には取らなかっただろう。
 それは、苦労して読んだのに、読後に何も残らなかった思い出があるからだ。 もちろん小説の余韻を期待した訳ではなく、初めて読む、HOW TO 本に何らかの効果を期待した向きがあったからだと思う。 (原題は、HOW TO BE HAPPY THOUGH HUMAN )

 しかし、今回読了してみて、( 読破と読了は同じ意味ですが、読了の方が楽な感じがするのです。) 若造の頃に比べて内容はよく理解できたが、やはり読後には何も残らなかった。 そのことをしばらく考えていると、私は既に今も昔も幸福だったからなのだと思い至った。
 それだけでもこの本を再読した成果はあったのだが、著者の幸福に対する見方が、 『幸福はそれを目的にして探し求めるべきものではない。 よき生活 ―― 一生懸命に〈生きる〉ことから結果として恵まれるものなのだ』 ということを知り、自分を恥じた。

 これは心理学の本で、著者はアルフレッド・アドラー直系の人だ。 学生当時は、フロイトに興味をもち始めていたので、アドラーのことは全く知らなかった。 ( アドラーはフロイトと対立した。)
 この本に出て来る患者の具体例が、身近で、「なるほど」 と納得できるのは、著者が実際に患者を診察したからだ。
 この本の骨子は、人間は誰も劣等感をもっている。 それは、「人間は、自分自身の不足感を <経験> する唯一は生き物だから」、その代償作用として社会集団をつくった。 社会集団によく適応することが幸福感を得る手だてのひとつだ。という。
 つまり、(当然のことだが) 社会集団に溶け込めないと不幸になりますよ…。

 そうならないための方策をいろいろ授けてくれているのだが、 ウルフは最初に、「人生は芸術であり、創造的な自己彫刻がその基本原理だ」 と述べている。(これには少々驚いた。) そして、「創造的な自己彫刻」 をするために、 いろんな障害などの 「マイナス」 を 「プラス」 に変える方法 ―― 代償作用について書く。

 下巻は、幸福になるための 「訓練について」 などが書いてあるが、 私が最も心惹かれたのは、最後の章 「幸福な成熟」 の 「どうしたら上品に年をとることができるか」 だ。
 1969―2013。 この間に世の中の <表面> は大きく変化したが、人間の悩みはちっとも変わっていないことを再認識した。 そして、今回この本を何回も見直しているうちに、「愛しい本」 に変化して来たのだ。

 最後に戯れ歌を・・・ (相田みつを風に)
 ―― 「しあわせ」 と言うにはいつも一つ足りない。 だからこそ生きているのか。


                                          (2013年6月30日掲載)


 5回目は、釧路湿原を愛する霧野叶多さんが、万巻の書物とともに過ごしてきた半世紀超の悲喜こもごもを綴ってくださいます。

 第5回 「本が道づれ 1  本を巡る節操
                                        霧野叶多 ・ 文


 のっけから何の話だと思われるかもしれないが、我はいたって身持ちのよい人間である。 だがしかし、ひとつだけ無節操を自覚することがある。 そのおかげで、この豊文堂に出入りしている。
 そう、本に関して無節操である。新旧、ジャンルを問わない。 目を引いたものはすべてである。 が、しかし、悲しいかな。懐具合の不都合で涎を垂らしてあきらめざるを得ないものが少なくない。 これを身の程知らずともいう。

 我、生活はいたってシンプルである。
 20年前の服も、直せる限り直して着るし、ついこの間、涙とともにおさらばした靴は、17、8年ほども手を入れながら履いた。 電化製品も当世の家庭に比べれば、いたって少ないし、家の中のものはウン十年と使い込んであるものも多い。 使えるものは修理もしようがなくなって本当に使えなくなるまで使う。(ビンボー人だからだろ)
 家もあることはあるが、別に雨雪風暑さ寒さがしのげればテントでも構わないと思っている。 むしろ、家土地に縛り付けられているようで、キュウクツに思うことさえある。

 テントでも構わないと書いた。でも、それでは困ることがある。 魅せられた本のすべてを我がものにしたい割には、先の事情で多くはない所持本を雨雪風に晒したくないのだ。
 而して、書物とともに家屋という呪縛のものに居住している。 だが、そんな書物と謂えども、借金してまで手に入れることはしない。 その点は、我ながらエライと褒めてやりたい。(ただの小心者さ)
 しかし、借金とまでいかなければ、明日のご飯のことはさておいて手に入れた本もあった。 どうしてもどうしても、我が手に入れたくとも自力で無理なものは、手近な人におねだりしてみる。

 つい最近も、数十年来、我の芯の部分に取り込んだままのある作家の手になる素晴らしい古書を、 とある目録で目にしてしまい、その値段の0の数が懐具合と折り合いがつかず、あわよくばと、我が子にねだってみた。
 我に負けず劣らずのビンボー人の我が子には、無下にお断りを食らった。 その我が子、豊文堂北大通店の店長にねだってみたら?とノタモウタ。
 早速、その目録を目の前にかざしながらねだってみた。 彼の店長曰く、「ン、ナント・・・?」と渋い顔で目を泳がせている。 無理もないか、ここは客に古書を買って与える店ではなく、古書を売ることを生業とする店であった。
 魅惑の超高価な稀覯本をポンと与えてもらったなら、あまりの嬉しさにショック死してしまったかもしれない。
 ねだられた店長は、未必の殺人の罪を負わずにすませようと、模糊とした反応に抑えたのだろう。 幸か不幸か、我はまた生き長らえることとなった。

 かくして古書を巡る日常は繰り返される。 手の届かない魅惑の古書と、寒い懐具合との折り合いの悪さもまた古書を巡るしょうもない地団駄である。


                                          (2013年5月31日掲載)


 第4回は、岩村誠二さんの 「現JTB北海道案内オンパレード」 の後編です。 観光、交通、領土。 量を集めてこそみえてくる変遷がお分かりいただけるかと思います。


 第4回 「北海道 本の旅 2  現JTB北海道案内オンパレード 後編
                                         岩村誠二 ・ 文


  ■戦前日本語版
 ジャパン・ツーリスト・ビューローから 英文版とほぼ同じ時期に 主要観光地版を対象とするツーリスト案内叢書が発行されはじめた。
 私が入手した 北海道を対象とした 「北海道案内」 は 1935, 1936年版があるが、 入手した他の地方のものは 書名に 「案内」 が付かない 「〇〇地方」 というもので 1937年以降のものしか入手できていない。 他の地方のものの奥付に 第1版の発行が1935年というものがあるので、 当初は 「〇〇案内」 という書名のシリーズだったのかもしれない。
 このシリーズは1941年版まで入手できている。


  ●ツーリスト案内叢書 第1編 「北海道案内」, ジャパン・ツーリスト・ビューロー (日本旅行協会), 1935/09/10, B6, p24, 非売品
 表紙は奥に山があり 手前に湖が図案化して描かれている。 私は阿寒国立公園となった直後の摩周湖と思うが いかがであろうか。
 この版の表紙は 1936年の3版まで同じものが使われている。 内容は、函館、小樽、札幌、旭川について これらの其付近という項目立てで大雪山まで紹介した後に、 阿寒・屈斜路・摩周湖巡り、根室線に沿うて、野付牛・網走、稚内付近と続き、行程例、主なスキー地が続く。 ページ数が少ない上に 本文の見開きに写真が1つ以上掲載されているので 後の旅行案内からみると、非常に簡潔な内容である。
 地図は 北海道全図 (英文案内の図と較べると北海道本土が小さめで、 位置関係がおかしいが 北方4島とさらにその北の得撫島まで描かれている) の他に 阿寒地方のものが掲載されている。


  ●ツーリスト案内叢書 第1編 「北海道案内」, ジャパン・ツーリスト・ビューロー (日本旅行協会), 1936/04/10, 再版, B6, p32, 10銭
 この版から奥付に定価が入り市販されたようで、ページ数も5割増しになっている。 ただし、初版では巻末に折り畳みで入っていた 「旅はクーポン」 の内容が本文に入って それに10ページを費やしているので 実質的な内容は変わっていない。

  ●ツーリスト案内叢書 第1編 「北海道案内」, ジャパン・ツーリスト・ビューロー (日本旅行協会), 1936/06/10, 3版, B6, p32, 10銭
 再版からわずか2ヵ月での新しい版である。
 文字の情報に変わりが無いが、大沼、札幌中島公園、摩周湖、雌阿寒岳の写真が入れ替わり、 北海道全図の海の部分全体の網掛けが沿岸だけの網掛けになっていて、 表紙には 「贈呈」 のスタンプが押してある (この版は2冊入手して、2冊とも 「贈呈」 スタンプあり)。
 この年の10月に 最後の陸軍特別大演習が北海道で行われ 昭和天皇が行幸しているので、 行幸に不都合な何かを修正して関係者に配布したのであろうと推測したのであるが、それを裏付ける痕跡を見いだせていない。
 この版の1冊めは、ツーリスト案内叢書 第1編として 2000年東京出張時に神奈川県藤沢市の太虚堂書店で初めて入手したので、特に記憶に残っている。
 樺太を含まない版で 500〜1,000円程度、樺太を含む版でも 1,500円程度で入手している。


ツーリスト案内叢書 第1編 「北海道案内」,1936/06/10, 3版 (クリックすると 拡大します)

  ●ツーリスト案内叢書 第1編 「北海道・樺太地方」, ジャパン・ツーリスト・ビューロー (日本旅行協会), 1937/11/10, 第4版 (改訂増補), B6, p72, 10銭
 書名が〇〇地方という表現になっている。 北海道以外のものを入手しているが いずれも1937年以降の版で〇〇地方という書名である。
 この版では樺太が加わり、ページ数が2倍以上になり、 本文がアート紙でなくなり 写真は折り綴じ中央アート紙のページに移行している。 表紙は北海道全図の北側に南樺太を配し、図案化された鉄道路線が描かれている。 巻頭に北海道概説があり 北海道全図が掲載され、 3版までには無かった 「津軽要塞司令部検閲済み」 の記入があり 函館、松前付近の撮影など禁止の注が入った。
 そのほかの内容は、北海道までの交通、函館線、室蘭線、宗谷線、石北線・網走線 (後の池北線)・釧網線の各線に沿うて、 樺太、乗車券の買ひ方、遊覧旅行日程案と費用概算となっている。
 樺太の章の冒頭には 北緯50度線以南の樺太略図があり、これを含めて11ページを占めている。 この版が戦前最大のページ数で 以後減少する。
 この版が入手最高価格の1,500円である。


ツーリスト案内叢書 第1編 「北海道・樺太地方」, 1937/11/10, 第4版 (改訂増補) (クリックすると 拡大します)

  ●ツーリスト案内叢書 第1編 「北海道・樺太地方」, ジャパン・ツーリスト・ビューロー (日本旅行協会), 1938/08/30, 第5版, B6, p68, 10銭
 第4版より4ページ減っているが、江差追分歌詞など 直接旅行に関係無いページを削り、 部分的に順序の入替、活字を小さくするなどして実質的内容は変わらず、 方言と北海道の読み難い駅名のページを追加しているので このページ分だけ増えていると言える。
 表紙の図案はほぼ変わらず 色が変わっている。 樺太の掲載は前版とこの版の2年だけで終わった。
 他の地域のものとまとめて購入したので 単純計算すると単価570円で入手できた。 ただし、樺太を含む4版、5版は 入手した時以外に見たことが無いので 現在では入手が難しいと思われる。


ツーリスト案内叢書 第1編 「北海道・樺太地方」, 1938/08/30, 第5版 (クリックすると 拡大します)

  ●ツーリスト案内叢書 第1編 「北海道地方」, ジャパン・ツーリスト・ビューロー (日本旅行協会), 1939/12/15, 6版, B6, p55, 10銭
 樺太がなくなり 写真が4ページ減ったので その分ページ数が減っていて 紙質も大幅に低下している。 ただし、5版までには全く無かった広告のみのページが一気に7ページ (上記ページ数には含まず) となり、 本の厚みはそれほど減っていず、残ったページの内容はほぼ同じである。
 表紙は定山渓の絵である。 次の7版とともに 東京古書会館の古書市に格安 (最安値はたぶん200円くらい) で出回っていたため 同じものを何冊も購入した。


ツーリスト案内叢書 第1編 「北海道地方」, 1939/12/15, 6版 (クリックすると 拡大します)

  ●ツーリスト案内叢書 第1編 「北海道地方」, ジャパン・ツーリスト・ビューロー (日本旅行協会), 1941/02/10, 7版, B6, p40, 15銭
 絶頂期の4版,5版から 実質的な北海道本土のページ数が減っている。
 6版までの本文中の北海道全図は B6見開きに周辺の島も含めて ほぼ地形的に正しい輪郭が表現されていたが、 この版では1ページに鉄道線路と主要観光地への道路のみの掲載となった。
 表紙は 北海道本土と本州青森県付近の輪郭のみとなり、 裏表紙は 「一列励行」、「はづむ話に漏らすな機密」 という戦時標語となった。
 章立ては 4版からほぼ変わりないが マイナーな観光地が載らなくなったりしている。 その中で4版以降6版まで5行の記述しかなかった札幌神社に10行をさいていることが目立つ。 明らかな戦時改版で この版が戦前最後となった。


ツーリスト案内叢書 第1編 「北海道地方」, 1941/02/10, 7版 (クリックすると 拡大します)

  ●「阿寒国立公園とアイヌの伝説」, ヤマモトタスケ, 日本旅行協会 (ジャパン・ツーリスト・ビューロー), 1940/07/20発行, 1940/12/20再版, B6, P85+13
 ジャパン・ツーリスト・ビューローから 旅行案内そのものではない 「東北の玩具」、 「東北の民族」 など 地域に関連した本が発行されている。 私が確認できた北海道関連の本としては これが唯一のものである。
 内容は大きく分けて 伝説編と 附・案内編 (後半13ページ) に分かれていて 伝説編には 阿寒、摩周、屈斜路地域のアイヌ民話が取り上げられていて、案内編は阿寒国立公園案内となっていて、 阿寒湖の鞠藻、釧路丹頂鶴繁殖地も取り上げられてる (旅行のための案内としては ツーリスト案内叢書の方が実用的である) 。
 アイヌ関連が得意分野の札幌のサッポロ堂書店で 濡れ跡のあるものを3,500円で購入した。 状態の良いものは 5,000円だったと思う。


「阿寒国立公園とアイヌの伝説」 (クリックすると 拡大します)

  ■戦後英文版
 戦前も 地域毎の旅行案内は 英語版のほうがほぼ同時か 若干早い時期から発行されているが、 戦後は英語版発行が1947年3月であるのに対し 日本語版は1948年12月と2年近く遅れている。 日本人は旅行どころでなかったのに対し、進駐軍の家族が1946年には来日していたようなので その観光旅行用に作成されたのであろう。
 裏表紙に掲載されているように、HOW TO SEE シリーズの戦前版と同様の地域についても刊行されたようであるが、 Hokkaido 以外は存在を確認できていない。
 組織名が日本交通公社となり 英語表記は JAPAN TRAVEL BUREAU となっていて、 World Cat でこのキーワードにより調べたところ Hokkaido も含めて1点も見つからなかった (HOW TO SEE を書名に含まない JAPAN TRAVEL BUREAU 発行の本は10数冊あるが、地域名を書名に含む本も見つからない)。 また古書店の目録でも 他の地域版も含め見た記憶は無い。


  ■戦後英文版 2014/02/22補足
 日本語版の特に戦後のものは 巻末に同じシリーズで出ている地域の一覧が出版広告として載っているため、 どのような地域のものが出ていたかは容易にわかるが、英文版では出版広告が全く無いので不明であった。
 このため どの地域のものが出ていたか興味があるものの解らなかったが、 港や書店の目録 CONSTRUCTION 54号 (2014年1月) に このシリーズを主体とした1946, 1947年刊の20冊が掲載されたのを見つけたので リストアップしておく。 (タイトル名後ろの (*) は World Cat に書誌情報が載っているもの)

・「HOWTO SEE」シリーズ
 HOKKAIDO (*), NIKKO (*), TOKYO (*), Yokohama & Kamakura, FUJI-HAKONE NATIONAL PARK, CENTRAL JAPAN, KAMIKOCHI JAPAN ALPS NATIONAL PARK, Shizuoka & Hamamatsu, IZU PENINSULA (*), NAGOYA & ITS ENVIRONS, ISE-SHIMA NATIONAL PARK, KYOTO (*), NARA (*), Yoshino-Kumano NATIONAL PARK (*), KYUSHU (*), BEPPU
 戦前英文版対象地域と大きな違いは無いが、敗戦直後の観光案内として興味深い。

・「CAR WINDOW」 (列車の車窓) シリーズ  TOKYO-KOBE, MOJI-NAGASAKI

・その他  MUSEUMS, BOTANICAL GARDENS & ZOOS IN JAPAN (*)、 WINTER IN JAPAN

 これらのタイトルを見ると 「HOWTO SEE」 シリーズでは 東北、中国、四国地方が欠落していて、 「CAR WINDOW」 シリーズは一部の路線のみであり 刊行年が1946, 1947年のみと限られているため、 目録に掲載されていないものも発行されていると思われる。

 以前に利用した World Cat で再度調べると 次のように他にもあることが解った。 前回 World Cat で調べたときは JAPAN TRAVEL BUREAU のキーワードによる簡易検索で10冊程度しか出てこなかったが 今回は100冊以上出てきたため、キーワードを変えていって、 著者=nihon kotsu kosha かつ キーワード=how to see かつ 発行年=1945〜1955で検索して 上記の (*) 印を付けたものが見つかり、他に次のものがあった。
 OSAKA, KOBE & AWAJI ISLAND、KANTO AREA: Yokohama, Tokyo, Nikko, Kamakura, Hakone, Fuji、KANSAI AREA:Kyoto, Osaka, Kobe, Nara 著者=nihon kotsu kosha かつ キーワード=window かつ 発行年=1945〜1955では CAR WINDOW KOBE-MOJI が見つかった。

 「WorldCatでは、世界中の10,000以上の図書館の所蔵コレクションや提供サービスについて情報を提供しています。」 と謳っていて 未知のものを容易に検索できるが、ここに登録されていない現物が出てくる古書店の世界に魅力を感じる。
 「HOW TO SEE HOKKAIDO」 に取り上げられている札幌 (厳密にいえば戦災ゼロではないが、戦闘機からの機銃掃射のレベルで他都市が受けた戦災とは比較にならならい) 以外の都市は戦災を受けているが その記述は無い。 札幌以外は 元々市街地の記述が少ないこともあるが、戦争に関連した記述は 函館山が戦後一般に開放されたことだけである。
 内地の都市は この時代には中心部が接収されて進駐軍のキャンプがあったり、 戦災を受けた地域はバラックが建ち並んでいる程度のところが多い筈で どのような記述になっているか見てみたいものである。

  ●「HOW TO SEE HOKKAIDO」, JAPAN TRAVEL BUREAU, 日本交通公社, 1947/03/01, B6, p25, 4.00円 (2冊入手して、ゴム印で10.00円に訂正したものあり)
 表紙から裏表紙の広告まで全て英語であるが 日本語奥付がある。 定価が記され 値上げのゴム印入りのものがあるので 実際に販売されたのであろう。
 表紙写真は 遠方に雪をかぶった山がみえ、手前には ツタ状の植物が木に絡みついている秋の牧場のようである。 牛が草を食んでいる のどかな風景であるが 当時の日本の食糧事情を考えると、進駐軍用の肉牛たちなのであろうか。
 巻頭の北海道概要の部分に 月別降水量、月別平均気温のグラフで 函館、札幌とアメリカの都市の比較を表し、 北海道内の9つの地域について 1945年10月から5月までの降雪量表が掲載されているのが 旅行案内としては特徴的である。
 その他の内容は 函館、小樽と札幌、室蘭、旭川、釧路の各地と その周辺の章がある。 本文中に写真が掲載されている構成は 戦前版と同様である。 表紙裏に北海道全図があり、戦前版と同様に北方諸島は描かれていない。 他には札幌市街、大雪山国立公園、阿寒国立公園の地域図がある。
 神保町水平書館で 定価10円のものを1,000円で購入し その後に東京古書会館古書市で 定価改定印のないものを購入した。


「HOW TO SEE HOKKAIDO」 表紙 (クリックすると 拡大します) 「HOW TO SEE HOKKAIDO」 裏表紙 (クリックすると 拡大します)

                                          (2013年4月30日掲載)


 3人目の執筆者は、札幌にお住まいの岩村誠二さんです。 趣味の鉄道本を探すうちに、北海道内を中心にした過去の旅行案内や市町村要覧にまで手を広げるようになりました。 当欄では 「北海道 本の旅」 と題して、蒐書の成果を披露していただきます。
 初回は、前後編2回からなる 「現JTB北海道案内オンパレード」 の巻。 まずは前編をお届けします。


 第3回 「北海道 本の旅 1  現JTB北海道案内オンパレード 前編
                                         岩村誠二 ・ 文


  ■ジェイティービーについて
 現在の旅行案内書を発行しているJTBパブリッシングは 2004年に旅行業のジェイティービーから出版部門が分社化した会社である。
 旅行業は 1912年に設立したジャパン・ツーリスト・ビューローが始まりで 戦時中に東亜旅行社と改称し 戦後に日本交通公社に改称、 1963年に営業部門が独立・民営化して株式会社となり、2001年にジェイティービーと改称している。


  ■ここで扱う本の範囲
 北海道のみを扱う旅行案内書が刊行されたのは1934年からで 現在まで続いているが、古書といえる1980年頃までを対象とする。 今回は戦後1947年の英文版までを取り上げる。 戦時中の1942年から 敗戦後1946年までは途絶えている。
 1941年まで毎年改訂版が出て、戦後は1955年頃までは毎年の改訂ではないが その後は毎年改訂版が出ている。
 私は 1955年までの刊行分はほぼ収集できているので全て取り上げ、その後は収集できたものを取り上げる。 1954年頃までの版は古書市場に出てくるので 比較的早い時期に揃えることができたが、その後のものは収集するのに苦労している。


  ■戦前英文版
 ジャパン・ツーリスト・ビューローでは 海外向けに英文旅行案内を出版していて、 日本全国版としてはベデカ (ドイツの出版社で 主に欧米の独仏英語版旅行案内書を出している)  とそっくりな体裁のハードカバー文庫版 赤表紙で3cm程度の厚さのものがあるが、 1935年頃に B6,20ページ程度の主要観光地版を出している。
 ベデカ体裁の本は日本語の奥付があり 日本円の定価も記入されているが、 小冊子には奥付が無く 定価も記載されていないので 海外からの旅行者や国内の支店などで 無料で配布された可能性がある。


  □北海道の特殊性
 北海道案内というタイトルからは脱線してしまうが、 戦前の時点で海外向けに独立した小冊子の案内が作成されるような国内地域がどのようなものか 興味深いので見てみよう。
 WorldCat (http://www.worldcat.org/) で JAPAN TOURIST BUREAU というキーワードにより検索した結果中の1935〜1937年発行の本、 港や書店CONSTRUCTION 39号 (2009年1月)、 CONSTRUCTION 41号 (2009年10月) 所載の本からリストアップすると、以下のようになる。


  ●HOW TO SEEシリーズ
 「HOW TO SEE 観光地名」という書名になっていて、以下のものがある。
 Hokkaido, Lake Towada & environs, Matsushima and environs,Tokyo, Yokohama, Miyanoshita and Hakone, Shimoda, MT.Fuji and Five Lakes Fuji-Hakone National Park, Kamikochi : Japan Alps, Takayama, Nagoya, Kyoto, Nara, Osaka, Kobe, Okayama & its vicinity, Matsue, Shikoku, Takamatsu and its vicinity, Karatsu and environs, Nagasaki, Unzen and environs, Beppu


  ●その他 HOW TO SEEが付かない書名のもの
 Touring Japan off beaten track (表紙写真は 険しい道を歩く折りたたみの菅笠をかぶった人の列、 秘境の旅とでも訳すのだろうか), Skiing in Hokkaido
 HOW TO SEEシリーズで 府県レベルより広い地方区分名がタイトルとなっているのは北海道と四国のみで 四国は Takamatsu and its vicinityがあり、地方区分名の本しか無いのは北海道だけとなる。 ここから北海道の特殊性が見えてくるのではないだろうか。
 外国航路客船が寄港する横浜、神戸から遠隔地であることと、 Hakodateは当時函館山が要塞地帯で Sapporoは日本らしさに欠けるので 都市単位の案内が作成されなかったのであろう。
 北海道版の2点は いずれも2007年に札幌の石川書店で見つけ その時点で超珍しいと思ったが、 東京古書会館の市では時々出るようで ダブりを覚悟で発行年月が同じものを何冊も購入している。 いずれも1,000円程度。


  ●「HOW TO SEE HOKKAIDO」, 発行JAPAN TOURIST BUREAU, May 1936, B6, p17
 内容と発行年月は同じであるが編集者が異なる次の2種類のものを入手した。

 ・Hokkaido Association for the Protection of Countryside c/o Hokkaido Covernment Office, Sapporo (c/o〜は〜内の意味)

 ・SAPPORO REGION, J. G. R. (札幌鉄道局)

 表紙は 図案化したアイヌ人物と 背景に北海道を象徴する白樺などが描かれていて、 裏表紙は 月寒種羊場の写真で、下の方に札幌、小樽、函館の今井丸井内ツーリスト・ビューロー案内所の記載がある。
 内容は 北海道概要と函館、小樽、札幌、室蘭、釧路、旭川の各地と それらの周辺が取り上げられていて、旅程案もある。 地図は 北海道全図 (択捉島を除く北方3島が入る範囲の図であるが これらは描かれていない) のみで ローカルな地図はない。


「HOW TO SEE HOKKAIDO」 表紙2種 (クリックすると 拡大します) 「HOW TO SEE HOKKAIDO」 裏表紙 (クリックすると 拡大します)

  ●「Skiing in Hokkaido」, 発行JAPAN TOURIST BUREAU, Oct 1935, 編集者は特に記載無し, B6, p14
 外国人向けの案内では 寺院などに絞った内容のものがあっても良いように思われるが、 Kyoto, Naraがあるため、地域と他のカテゴリーに絞った内容のものは これ1冊のみのようである。 当時の国内スキー地案内に載るスキー適地 (当時はリフトなどは存在しない) は 東京あるいは大阪から1泊程度で行ける地域が殆どであるが、 外国人向けでは 寄港地からの交通の便より 雪質を優先して北海道を取り上げたものと思われる。

 表紙は 雪山を背景にした女性スキーヤーで 当時の最新スタイルのようだ。 裏表紙は 国内、外地にあるツーリスト・ビューロー支店、案内所一覧である。 内容は 北海道スキー概要、北海道への列車案内 (「HOW TO SEE HOKKAIDO」 にはなし) の他に、 ニセコ、札幌と小樽、十勝にあるスキー適地が 最寄り駅からの地図と写真入りで紹介されている。
 また、札幌、小樽以外のスキー適地には洋式ホテルが無いためか、 「Information for Foreign Guests at Japanese Inns」 のページがある。

「Skiing in Hokkaido」 表紙 (クリックすると 拡大します) 「Skiing in Hokkaido」 裏表紙 (クリックすると 拡大します)

                                              (2013年3月30日掲載)

 「現JTB北海道案内オンパレード」 は、「戦前日本語版」 などを取りあげた後編につづきます。 4月下旬の更新予定です。 どうぞお楽しみに。


 2回目は、大阪から20年来通ってくださる平位公三郎さんです。

 第2回 「私の青春再読 1  ランボウ 作/小林秀雄 訳 『地獄の季節』
                               「大阪のガス人間」 こと 平位公三郎 ・ 文


 時は1971年。所は京都のロック喫茶 「ポパイ」。20歳の私は大学3回生。
 1969年から70年にかけて盛り上がった、安保闘争は終息に向かい、大学の授業もつまらなくて、学校にも行かず、 ひたすら映画館とロック喫茶に通い、バイトに明け暮れていた私は、何をしてもつまらなく、生きる目標を失いかけていた。
 三条大橋のたもとの落書き、『造反有理』 が虚しく色褪せて見えた。

 そんな時、ロック喫茶 「ポパイ」 で、私の前の席にいきなり座った、肩まである長髪の男は、遠慮なく話しかけて来た。 タバコの煙が充満した狭い店内では、大音量で 「サンタナ」 のギターが唸っているから、顔を近づけないと聞き取れないのだ。
 彼は、吉祥寺から来たと言って、東京のことをいろいろ話し、最後に一冊の文庫本を取り出し、私に見せて解説を始めた。
 「詩人のランボーって、知ってる?」

 それが、ランボウ作小林秀雄訳 『地獄の季節』 だった。 私は、『俺は正義に対して武装した。』 この一行に完全にやられてしまった!
 この衝撃は、田舎の中学生の気だるい憂鬱を、イントロの一撃で吹っ飛ばしてくれた、 ビートルズの 『抱きしめたい』 以来の出来事だった。
 ビートルズとは、中・高・大学をともに過ごし、成長し、共感して来たと思っていたが、 ランボーの一行は私を “解放” してくれた。とらえどころのない怒りやいらだちから…。 また、安保闘争と学園紛争後のやるせなさから…。 (しかし、その修辞法があまりにも高度なために、まるで暗号のように思え、めまいがした。)

 《この小冊子の中には、なんというきらめく世界が詰まっているんだ!》
 詩らしきものを書いていた私は、完璧に打ちのめされ、以来ランボーにのめり込んだ。 この日、ロック喫茶の帰りに、バス停近くの本屋で、50円の岩波文庫本を買って、むさぼり読んだ。
 そんな大切な1970年版の文庫本は、何故か、あまり詩に興味のない友だちにあげてしまった。(返してくれい…)。

 それから25年後の1996年。
 今住んでるこの街の古本屋さんと、友だちになるきっかけも、ランボーと北海道の話からなのだ。 私と同世代の彼は、若い頃、しばらく北海道に住み、厳しい冬の道を、ランボーの詩をフランス語で唱えながら歩いたらしい…。 まさに、『地獄の季節』 だ!

 還暦を越えた今、読み返しても、さすがに当時の “衝撃” はよみがえらないが、今は、短歌という “定型” にハマっている。 (注 :ランボウとランボーの二通りの表記の仕方がありますが、私はランボーを使います。)


                                              (2013年2月28日掲載)


  1回目は、道東の郷土資料を蒐集しておられる豊田文夫さんです。


 第1回 「一撃必冊のエッセイ 1  『釧路築港史 全』
                                            豊田文夫 ・ 文


 本との出会い、所蔵の経緯にまつわるエピソードなど、豊文堂の計らいで、顧客の拙文をHP上で紹介していただけることになった。 第2回目以降、多くの方に寄稿していただき、リレーしていきたいと願っている。

 初回は、郷土史に熱心な豊文堂に敬意を表し、明治期に刊行された釧路地方の郷土史のひとつ 「釧路築港史 全」
 明治42年6月に古川忠一郎編で釧路実業調査会から刊行されたものだ。 釧路港の修築決定の記念誌的な内容で、広告掲載も多く、石川啄木が来釧する前の釧路を知る基礎資料と言われている。
 また、表紙の鮮やかな色使いは、釧路港の夕陽をイメージしたのかと思われ、時代をこえた美しさがある。
 釧路市立博物館報第159号 (昭和40年4月発行) のなかに、この 「釧路築港史 全」 が紹介されており、 その時点で、すでに数少ない資料として、道東では東北海道社の社長所蔵のが唯一だろうと記されている。
 当然、古書店の目録にも、めったに出ない。 最近では、平成9年2月発行の札幌市の古書店目録に珍本として36,000円の値が付いていた。 翌年の目録には掲載されていないので、どこかの公共機関が購入したのだろう。
 現在、釧路市立図書館の検索では、持禁の2冊所蔵している。 他に北海道立図書館、函館市中央図書館に各1冊所蔵されている。

 私の手元にあるのは、平成18年2月、「日本の古本屋」 HPサイトで、大阪市の古書店が出品していたものだ。 その日は、父親の誕生日で、喜寿のお祝いをしたあと、なぜか胸騒ぎがするので検索してみると、完全一致で出てきた。 すぐメールし、15,000円で釧路の珍本を入手したのだった。
 その後、日本の古本屋で見かけたことは無く (出ても、すぐ売れるのかも知れない)、やはり現存は少ない方なのだろう。
 「釧路築港史 全」 が届いて4日後、知人から釧路開発建設部の 「釧路港建設史」 (平成10年3月発行) をいただいた。 本は呼び合うものだと、改めて痛感した。


                                              (2013年1月26日掲載)

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