開設日 2005年 1月 2日
最終更新日 2018年 4月23日

   

港のまち、炭鉱のまちとして栄え、湿原を間近にのぞむ 道東の拠点・釧路。
ここは、1982年よりこの地に店をかまえる 豊文堂書店のウェブサイトです (店舗案内は、こちら を どうぞ)。


お知らせ
4/24 (火) 北大通店 は 午前11時からの営業を予定 しています。

4/23 (月)  本店の新規入荷欄
郷土誌、湿原、文学の分野  計9点を 登録しました。

4/23 (月)  北大通店 古書目録
漁業、暮らし、文学の分野  計17点を 登録しました。
4/25 (水) 豊文堂書店北大通店2階 喫茶ラルゴにて 「タブレット純 ソロコンサート」  釧路公演 開催。看板制作はラルゴスタッフのフラカンさん。(クリックすると 拡大します)
北大通店 2階 喫茶 ラルゴ Largo の 部屋 < 「喫茶ラルゴの新着情報」 >夜は口笛を吹くな
4/25 (水)  タブレット純 ソロコンサート 釧路公演 開催
6/7 (木)  岡大介 北海道ツアー2018 in 釧路 開催
6/17 (日)  「湯川トーベン ソロ・ライブ」 釧路公演 開催

詳しくは 下段の 「ラルゴの部屋 入口」 から どうぞ。

北大通店の玄関を入って
すぐ右手の階段をお上がりください。
美味しいもの、あれこれご用意しています。
散歩の途中の骨休め、1階で古書をご覧になった後など、お気軽にどうぞ。


日替ランチメニュー、展覧会やライブ告知 の 情報は こちら から
喫茶 ラルゴ Largo の 部屋 入口

 平位公三郎さんの自伝的音楽コラム 「レコードの溝」 を更新しました。

 吉田拓郎の集中連載の2回目。 平位さんにとって 「少し上の兄貴」 だったこの稀代のシンガーソングライターの、 同時代人としての意義を辿りなおしてもらいます。

  よしだたくろう 『イメージの詩 (うた)』 (You Tube より)

               (2018年4月17日更新)

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 豊文堂書店の常連さんが書き手にまわる連載コラム 「本を繋げて」 を更新しました。

 今回は特別編として、 根室市在住の福田光夫さんによる 「泉川駅史考」 (先行公開版) を掲載いたします (こちら からお読みください)。

 北海道東部のとある駅と町のかかわりを見つめた貴重な論考であるのは勿論のこと、 福田さんの少年期の幸福な思い出と結びついた、これだけは書き残しておきたいという使命のようなものがお分かりいただけるかと思います。

 また、本編がこの時期に発表される背景には、 JR北海道が北海道新幹線開通の裏で進める赤字路線の廃止検討策への懸念も見てとれるでしょう (福田さんは3月下旬に廃止される花咲駅の駅史を現在編纂中とのこと。 追記: 『花咲駅史 1921.8.5-2016.3.25』 は2016年10月初旬に刊行されました)。

                (2016年2月1日更新)

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  2018年4月2日 (月)
 北大通店 本日の在庫お問い合わせ 第87試合

  1. 音楽の関係の本

 2階の喫茶ラルゴは月曜定休日。 責任者の喫茶部長は店に出てきてラルゴの大幅な模様替えに手をつけた。 ピアノや机など重たいものの移動に手を貸す。 気分は 「ファイトー!」 「イッパーツ!」 と叫びたいくらいやたらと威勢がいいけれど、身体がついていかずすぐにゼイゼイいう衰え 。
 1打数0安打。打率 2割4分8厘9毛。


  2018年4月1日 (日)
 北大通店 本日の在庫お問い合わせ 第86試合

  1. 週刊誌
  2. 医療の本

 釧路未公開の 『スリー・ビルボード』 を見るため、帯広のシネマ太陽へ車を走らせる。 21時25分からのレイトショーだったので、店を閉めてからの出発で余裕で間に合う。 片道2時間の遠出をした甲斐があった。 強烈な自我を発してドラマをゴリゴリと前進させる主人公の造形に感服する。
 2打数0安打。打率 2割5分。

 小田光雄氏の 「出版状況クロニクル」 が更新された。


  2018年3月31日 (土)
 北大通店 本日の在庫お問い合わせ 第85試合

  1. 「Casa BRUTUS」
  2. 松本清張
  3. ファッション雑誌
  4. 茶道関係
  5. 水彩画の本
  6. 島崎藤村 『破戒』
  7. PHP新書
  8. ビジネス書

 朝の出張買入、本店にほど近いとある空き事務所へ行く。 量が少ない上、すでに紐でくくってあって5分もかからずに終わる。

 1、2が売れる。
 8打数2安打。打率 2割5分2厘0毛。


  2018年3月30日 (金)
 北大通店 本日の在庫お問い合わせ 第84試合

  1. レコード
  2. よしもとばなな 『バリ夢日記』
  3. 他に池上彰さんのこういうの

 レコード棚の前でスマホを熱心に操作している人、終わると手にしていたレコードを棚に戻す。 値段を調べているのかしら。 こちらに背を向けてそれを何度も何度も繰り返す。 今週だけでその手の方が3人。 どなたも判で押したように30代くらいの男性である。

 プロ野球が開幕する。 北海道日本ハムファイターズは埼玉西武ライオンズにこてんぱんにやられる。
 3打数0安打。打率 2割5分2厘1毛。


  2018年3月29日 (木)
 北大通店 本日の在庫お問い合わせ 第83試合

  1. 『論語の一言』
  2. 『恋愛ジャンキー』 ってマンガ
  3. 「墨」 の185号
  4. 村上 龍 『オールド・テロリスト』

 午前中、郊外へ出張買入に行く。 台車を使って往復すること2回、車に詰めこんだ本の山は本店でおろす。
 12時半すぎより北大通店を開ける。
 4打数0安打。打率 2割5分5厘3毛。


  2018年3月28日 (水)
 北大通店 本日の在庫お問い合わせ 第82試合

  1. クラシックのCDでルプーというピアニストのブラームスのピアノ協奏曲
  2. カラオケの歌本
  3. 歳時記の夏の巻
  4. 馬場あき子
  5. 尾崎左永子の歌集
  6. 電話帳と道路地図がいっしょになったやつでゼンリンの

 うちの店で本を探していた年配のご婦人が偶然昔の友人が入ってこられたのに気づいて 「古いところに来ると古い人に会うもんだ」

 波打ちがひどい文庫本がみつかり直そうと思い立つ。 重し代わりに使おうとダブリの全集本でできた塔を崩したら、 下の方から別の文庫本がでてきた。
 3年半前の日付を記したメモが挟まっていて、 どうやらこれも波打ちを直そうとして全集の間に挟んでいたらしいのだが、そんなことすっかり忘れていたよ! 旧い文庫の波打ちはきれいに治まっていた。
 6打数0安打。打率 2割5分9厘7毛。


  2018年3月27日 (火)
 北大通店 本日の在庫お問い合わせ 第81試合

  1. 「北海道文学全集」 の9巻
  2. 「北海道文学全集」 の4巻

 またひとり常連さんが転勤で釧路を離れることになった。 最後の挨拶にみえたその方からよい本を売ってもらえた。
 2打数0安打。打率 2割6分6厘6毛。


  2018年3月26日 (月)
 北大通店 本日の在庫お問い合わせ 第80試合

  1. 『北海道百番附』
  2. とんぼの本のイタリアのやつ

 閉店時間が近づいたころ、出張買入先の社長から 「ちょっと手伝いに来てくれ」 と電話がくる。 北大通店を閉めて車で5分ほどの現場に向かった。
 今を去ることウン十年前、大学生だったうちの社長が教育実習に出向いたとき、 いっしょに同じ学校に派遣された方のお宅だった。 その方は教員になり、社長は別の道を進んだ。
 2打数0安打。80試合を終えて、223打数60安打。打率 2割6分9厘0毛。


  2018年3月25日 (日)
 北大通店 本日の在庫お問い合わせ 第79試合

 北大通店の めくりめくられ: 大阪のガス人間さんが海外ミステリドラマにはまっている。 『主任警部モース』 を中心に英国製のものがお気に入りだとか。 その世界は疎いのだが、たまたま刊行されたばかりの 千街晶之・編 『21世紀本格ミステリ映像大全』 (原書房) を手に入れていた。 これで勉強しよう。
 0打数0安打。打率 2割7分1厘4毛。


  2018年3月24日 (土)
 北大通店 本日の在庫お問い合わせ 第78試合

  1. 古銭の本
  2. 子どもが読む本
  3. マンガ

 黒澤明好きの中国人旅行者がみえたのでお返しに陳凱歌を讃える。 渡したメモ用紙にその人は 『覇王別姫』 と記した。 私もかつて胸を熱くした作品の題名だ。 文化大革命期を扱った 『子供たちの王様』 のことも称揚したかったが、 片言の会話でなんとなく気後れして言い出せずに終わる。

 保育社カラーブックスの 『日本のコイン』 や、70年代の 「日本貨幣型録」 が売れる。
 3打数1安打。打率 2割7分1厘4毛。


  2018年3月23日 (金)
 北大通店 本日の在庫お問い合わせ 第77試合

  1. 岩波新書の 『禅と日本文化』
  2. 『続 禅と日本文化』
  3. 洋裁の本
  4. パウロ・コエーリョ 『アルケミスト』

 風に吹かれてどこかから流れてきた10リットルの可燃ごみ専用袋が店前に居座る。 未使用の袋だったので、閉店時まで往来からみえるところにぶら下げておくことにした。 引き取りにくる人はついに現われなかった。 店で使わせてもらおう。

 4が売れる。
 4打数1安打。打率 2割7分0厘6毛。

 北大通店の めくりめくられ: ジャケ買いして読んだ池辺 葵 『雑草たちよ 大志をいだけ』 (祥伝社) が大当たりだった。 キラキラしてない青春に涙する。


  2018年3月22日 (木)
 北大通店 本日の在庫お問い合わせ 第76試合

  1. 手芸の本
  2. この間載ってた團伊玖磨
  3. 雑誌 「太陽」 (植物の)

 ホームページに載せたばかりの團伊玖磨に指名が入り2冊もらわれていく。
 3打数1安打。打率 2割7分1厘0毛。

 北大通店の めくりめくられ: ピーター・スワンソン 『そしてミランダを殺す』 (創元推理文庫) を読みはじめる。 評判に違わぬページターナーぶり。


  2018年3月21日 (水)
 北大通店 本日の在庫お問い合わせ 第75試合

  1. 東邦交通や阿寒バスの歴史がわかる本
  2. 前にここでみかけた竹西勇二さんの本
  3. 釧路の医者の本
  4. 竹久夢二の経歴がわかる本
  5. 「画報 近代映画」
  6. 「主婦の友」
  7. 教育関係の本いろいろ

 春分の日。

 常連さんに1から3まで地元郷土誌関係の本を矢継ぎ早に訊かれる。 北大通店と本店の在庫から近しいものを見繕うが、図書館で調べるよという結論に。

 スマホの画面と棚を見比べているお客さんがいて、すわセドリかと警戒していたらそうでなかった。 画面を見せてもらうと、岩波新書やちくま新書の教育関係の背表紙が1ダース近くズラリと並んでいる。 ひとつくらいは在庫があるのではないか。 全滅だった。
 7打数0安打。打率 2割7分0厘1毛。

 北大通店の めくりめくられ: 20年以上愛読している隔週刊のテレビ誌が次の号から月1回の発行になる。 休刊や廃刊ではないけれど、 これも雑誌の冬の時代を告げる一例といってよいのだろうな。


  2018年3月20日 (火)
 北大通店 本日の在庫お問い合わせ 第74試合

  1. 郷土誌

 前日は臨時休業。 北見方面へ遠出していた。

 釧路湿原の本が売れる。
 1打数1安打。打率 2割7分9厘4毛。

 北大通店の めくりめくられ: 原リョウの14年ぶりの新作を読み終えたがいまひとつピンとこなかった。 読むのに時間をかけすぎたのかもしれない (2週間もかかった)。


  2018年3月18日 (日)
 北大通店 本日の在庫お問い合わせ 第73試合

  1. 囲碁の本
  2. 本店の新規入荷で見たエッシャーの画集
  3. 書道
  4. 文芸書

 画伯のカラスとの交遊話を拝聴する。

 1が売れる。
 4打数1安打。打率 2割7分5厘8毛。


  2018年3月17日 (土)
 北大通店 本日の在庫お問い合わせ 第72試合

  1. 藤原釜足 (俳優の)

 本店、北大通店ともに わらじむしが店内散歩をするようになり、春の訪れを実感している。
 1打数0安打。打率 2割7分6厘3毛。


  2018年3月16日 (金)
 北大通店 本日の在庫お問い合わせ 第71試合

  1. 額縁
  2. ウイスキーの関係
  3. 『神谷哲史作品集』

 向かいの道銀ビルの解体がはじまる。 1階に重機が入っている。
 3打数0安打。打率 2割7分7厘7毛。

 北大通店の めくりめくられ: 深津絵里を崇める会会長に貸していた私物の 『野呂邦暢古本屋写真集』 (岡崎武志・小山力也:編集/盛林堂書房) が戻ってきて、 今から40年ほど昔の東京の古本屋の赤みがかった本棚写真と再会する。

 「写真は、お世辞にも上手いとは言えない普通の腕で、 その一番の原因は被写体からの遠い距離にある。 これは、見知らぬ人や店等への遠慮から、さらに近寄るべき一歩を踏み出せないためであり」 うんぬんと巻末解説で小山氏が書いていて何やら微笑ましい。 成り立ちが異なるので比べてしまっては気の毒だが、 『絶景本棚』 とはえらい違いなのだ。
 古本屋を舞台にした野呂邦暢の名編 『愛についてのデッサン』 を読み直したくなる。

 この日の会長はお子さんと連れ立ってのご来店だった。 その子が4月から高校生だというので、 これをやったら学校で人気者になれるよと 「ワカンダ・フォーエヴァー」 を実演 (胸の前で腕を交差) してみせる。 受験で忙しかったのだろう、『ブラックパンサー』 をご存じなくてちんぷんかんぷんのようだった。 困惑させてごめんなさい。


  2018年3月15日 (木)
 北大通店 本日の在庫お問い合わせ 第70試合

  1. 安部公房 『榎本武揚』

 「公文書記録、粘土板への移行を検討 政府」

 サイトの新規入荷欄に載せたばかりの中公文庫版 『榎本武揚』 が売れる。 同欄を見てくださった常連さんのご指名だった。
 1打数1安打。70試合を終えて、195打数55安打。打率 2割8分2厘0毛。

 北大通店の めくりめくられ: オープン戦まっさかり。 少し遅いくらいだが 『2018 プロ野球全選手カラー写真名鑑 & パーフェクトDATA BOOK』 (ベースボール・マガジン社) を手に入れる。 類書が数ある中、私には同社のA4判の選手名鑑がいちばんしっくりくる。


  2018年3月14日 (水)
 北大通店 本日の在庫お問い合わせ 第69試合

  1. 奥村チヨのレコード
  2. ロックだと思うんだけどちょっと歌ってみっから何の歌か教えて、 レコード探してんだよ、あったら買うからさ、ルルルルルル〜
  3. 釧路叢書の18巻の春採湖

 歌謡曲さんから電話でレコードのリクエストが入る。 2の歌は、せっかく電話越しに聴かせてもらったのにさっぱりわからなかった。 私ひとりだけが歌声を独占してしまいもったいない感じ。
 3打数0安打。打率 2割7分8厘3毛。


  2018年3月13日 (火)
 北大通店 本日の在庫お問い合わせ 第68試合

  1. 早川三代治の2巻目

 2階の喫茶ラルゴで、遠藤理子個展 「この街の記憶」 がはじまる (25日まで)。

 「昨年に続き、喫茶ラルゴさんで2回目の個展を開きます。

 同じ景色を見ても、その人の見た時の状況に寄って見え方が違うと思います。 昨日かもしれないし、5年前、10年前に見た景色かもしれない。 楽しかった時のことを思い出すかもしれないし、辛かった時のことを思い出すかもしれません。

 絵と同じ景色を見たことがある人は、その時の自分を思い出したり、懐かしんだりして欲しい。 見たことがない人はこの景色を見てみたいと感じて欲しい。 そんな思いを込めて描きました

 (遠藤理子 ウェブサイト 「Masako Endo Illustration」 より)

 1打数0安打。打率 2割8分2厘7毛。


  2018年3月12日 (月)
 北大通店 本日の在庫お問い合わせ 第67試合

  1. 前にここで鉄腕アトムの3、4、6巻を買ったんだけど、あれの残りの1、2、5巻
  2. 大仏次郎 『パリ燃ゆ』

 北大通店の めくりめくられ: 山田宏一/濱田高志 『シネマ・アンシャンテ ジャック・ドゥミ ミシェル・ルグラン』 (立東舎) は、 読むひとをジャック・ドゥミの映画へと走らせる書だった。
 でも走り出してはみたものの近所のレンタル店にはおなじみの 『シェルブールの雨傘』 しかなくて (それはそれで欠けてはならない作品だけれども)、 ミシェル・ルグランのベスト盤CDを久々に聴き直して代わりとする。
 2打数0安打。打率 2割8分4厘2毛。


  2018年3月11日 (日)
 北大通店 本日の在庫お問い合わせ 第66試合

 北大通店の めくりめくられ: 閉店後、LIVE&BAR 釧路ガソリンアレイ へ。 鈴木亜紀 さんと 鈴木 裕 さんの 「スズキ×スズキ」 コンビによる 「ムニエル昆布締めカルパッチョ!Tour」 釧路公演を愉しむ。

 オリジナル曲は無論のこと、ビゼー、浜田省吾、網走番外地からアルゼンチンの歌まで披露されたが、 いずれも自家薬籠中の物になっていた。 裕さんの弦楽器演奏がさらに豊かに彩る。

 会場では亜紀さんのコピー誌 「さくらえび通信」 が売っていて、迷わず買う。
 「2017年11月、ヨルダン、レバノンへ、久々の一人旅をしてきました。 政情不安定な地域ではありますが、とても魅力的な国々。 思い出すと今もキューっとなる、素晴らしい旅でした」 と作者は記す。

 旅のエッセイを詰めこんだ10年前の著書 『お尻に火をつけて』 (晶文社) の続編のような一冊かしら。
 0打数0安打。打率 割分厘毛。


  2018年3月10日 (土)
 北大通店 本日の在庫お問い合わせ 第65試合

  1. 中国の青磁の本
  2. 合気道関係
  3. この前来たときにあった中心街のことを書いた釧路新書

 「だからここで言われているのは進化というよりも 「回帰」」 に膝を打つ。

 ゴメさんが昨日忘れた傘を取りみえる。 ついでに本を買っていただき世間話をして帰っていかれた。 また同じ傘をお忘れになっていた。
 3打数0安打。打率 2割8分7厘2毛。

 北大通店の めくりめくられ: 東 浩紀・監修/市川真人・大澤 聡・福嶋亮大 『現代日本の批評 1975-2001』 (講談社) を読む。 先行世代の抑圧をはねのけようとする果敢な試み。


  2018年3月9日 (金)
 北大通店 本日の在庫お問い合わせ 第64試合

  1. 釧路を離れる人に贈るのにちょうどよい釧路の歴史などを書いた本
  2. 深沢七郎
  3. 内田百けん
  4. 文章の書き方の本
  5. 水原希子

 前の晩から暴風雨がつづく。 2階の喫茶ラルゴの看板には こんなイラスト が現われる。

 前夜のライブで、演奏の邪魔にならないように電話線を抜いたのを忘れていた。 下の電話につながんないぞと、本店の社長から2階の喫茶ラルゴに連絡がきて、慌てて接続し直す。

 「髪の毛にカピカピになったご飯粒がついてまっせ」 とお客さんに指摘される。

 深沢七郎の 『盆栽老人とその周辺』 が売れる。
 5のリクエストには、当店唯一の水原希子ものとして 映画 『ノルウェイの森 公式ガイドブック』 でお応えできた。
 5打数2安打。打率 2割9分1厘8毛。


  2018年3月8日 (木)
 北大通店 本日の在庫お問い合わせ 第63試合

  1. 司馬遼太郎 『翔ぶが如く』 の4巻
  2. 6、7、8巻
  3. 寄木細工の本
  4. 『ゲルマニア』
  5. 『ガリア戦記』
  6. 地元のアイスホッケーの記念誌

 岩波文庫の 『ガリア戦記』 が売れる。 同じ方に訊かれた 『ゲルマニア』 は本店に在庫あり。 お客さんに伝えると、その日のうちに本店でお買い上げいただけた。 2安打目。
 6打数2安打。打率 2割8分8厘8毛。

 夜、2階の喫茶ラルゴで 「城山事変バンドライブ 林檎で平成やり尽くし 弐の夜」 が開かれる。
 たぶんラルゴではじめてとなるスタンディングのライブ。 北海道教育大学釧路校の学生中心のバンドが、 椎名林檎と東京事変のカヴァー曲を演奏してくれた。

 いつもはもぎり嬢を務める私だが、今回は教育大の若者が受付を担ったせいでお払い箱に。 階下で営業しながら聴かせてもらった。

 こちら は以前、画伯に作ってもらった もぎり嬢の札。 恥ずかしいので身につけることはほとんどない。


  2018年3月7日 (水)
 北大通店 本日の在庫お問い合わせ 第62試合

  1. 『嵐が丘』 のDVD
  2. 石牟礼道子
  3. 18世紀のイギリスの詩人の本

 北大通店の めくりめくられ: 「文學界」 の2018年1月号が映画を特集している。 まずは、黒沢 清と篠崎 誠の対談 「映画と原作の複雑な関係」 に目を通す。

 どういう小説が映画化しづらいのか、テレビの舞台中継に退屈してしまうのはなぜかなど、 いつもながらの黒沢監督の明晰な話しぶりに説得される。 ファンにしてみればここで披露される映画論は、 92年刊行の評論集 『映像のカリスマ』 ですでに馴染みのあるものだ。 その論旨は若くして完成されていた。
 3打数0安打。打率 2割8分7厘3毛。


  2018年3月6日 (火)
 北大通店 本日の在庫お問い合わせ 第61試合

  1. 馬の本
  2. 『君たちはどう生きるか』
  3. 北海道新聞社から出ていた 『シマフクロウ』

 前日は風邪をひいて休業した。 重症ではなく1日横になって何とか回復、この日の朝は予定どおり社長と出張買入へ出向く。 20箱くらい車に運び入れて、午前11時より店を開ける。
 3打数0安打。打率 2割9分2厘3毛。

    < ズリ山裏道の遠くへ行きたい >
 旅先のズリ山さんが北大通店めがけて送りつける、企みにみちた郵便物を逐一白日の下にさらす当欄である。

 ズリ山裏道プレゼンツの むき出しの吊り革 が届いてから、およそ1ヵ月半。 鳴りをひそめていた愉快犯がふたたび動きはじめた。
 新たな刺客= 郵便書簡 が届く。 例によって消印は風景印である。 小樽錦町郵便局のもので、「北海道鉄道発祥の地 手宮」 と謳ったSL型の意匠がたのしい。 書簡の中身は広島県の杓子せんべいのミニパンフだった。

 そういえば先日、地元書店で 裏道さんが漫画化 されているのを知った。 体操のお兄さん時代を描いたものらしい。 内緒にしているだなんて、水臭いんだからもう。


  2018年3月4日 (日)
 北大通店 本日の在庫お問い合わせ 第60試合

  1. 江南高校の教科書
  2. 坂本龍一
  3. 石牟礼道子 『苦海浄土』
  4. 植物の名前の図鑑
  5. 金魚づくしの浮世絵が載っている本

 朝、出張買入へ。 「月刊 fit」 最新号 の当店の記事を読んで電話をくれた方だった。

 『skmt 坂本龍一』 が売れる。
 5打数1安打。60試合を終えて、168打数50安打。打率 2割9分7厘6毛。

 北大通店の めくりめくられ: 歌野晶午の新作を読んでいたら、私と同じ苗字の川島という登場人物が大人気である。 みんなが彼のことを血眼になって探している。 行方をくらました連続殺人犯として。 (K)
3月第四週の道の駅あいおい 検索の小部屋
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音楽コラム 「レコードの溝」 第47回 吉田拓郎 その2  平位公三郎・文
 平位公三郎さんの自伝的音楽コラム 「レコードの溝」 の最新回をお届けします。
 吉田拓郎の集中連載の2回目。 平位さんにとって 「少し上の兄貴」 だったこの稀代のシンガーソングライターの、 同時代人としての意義を辿りなおしてもらいます。

  よしだたくろう 『イメージの詩 (うた)』 (You Tube より)


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 レコードの溝  第47回 
 吉田拓郎 その2 (『よしだたくろう・オン・ステージ!! ともだち』 実況録音盤・中編)

                               「大阪のガス人間」 こと 平位公三郎 ・ 文


 私は、少し前まで吉田拓郎とは歳が近いと思っていたが、彼は1946年生まれで私は1951年生まれなので5つも違う。 たったひとつ違いのK先輩がかなりの歳上に思えたのに5つも違うと、 20歳の私から見れば25歳なんてもうおじさんに思えただろう。

 よく言われる団塊の世代は1947年から49年の塊だが、私たちの世代も似たようなものだ。 私の2つ下の妹あたりまで田舎でも人数は多かったし、 (田舎の小学校でも、各学年に100人くらいいた。) 確かに2つ上の人も多くて、 町内のその疑似兄貴たちと2つ下の疑似弟たちとで、 夏休みなどは学校のグラウンドでよくソフトボールをしたものだ。 10人近くはいただろう。 5人いれば内野は何とかなる。 キャッチャーは相手チームとかね。

 中学校で習ったかな? 人口ピラミッドだ。
 1930年、日本の当時の年齢別人口は、きれいにピラミッド型になっていた。 それがやがては戦争を挟み、90年ほど経つと花瓶または壺のような形になった。
 国としては、ピラミッド型が最も安定して若者が年長者を支える理想の形だ。 ピラミッド型が崩れることは、労働力が減り国の生産力に大きな影響を与えることは分かっていたはずだ。

 それは国の税収にも影響する。 税収は国の根幹だ。 労働力人口が減少し、年金・医療・介護費などの社会福祉費用が爆発的に増えるのは、 終戦直後から見通せたはずだ。 果たして時々の為政者や官僚はその対策をしてたのか?

 だから、私は1980年代半ばから財形年金を積み立てていた。 私たち世代が60歳で定年退職しても、年金が満額下りないと言われていたからだが、その通りだった。 個人的にその準備をしてた人はまだ安心だったろうが、思ったほどの年金が貰えなかったら働くしかない。

 何で、こんな話をするかと言うと、団塊の世代は戦争が終わりやっと平和が訪れて安心して子育てできるから、 たくさん産まれて来た訳で、 いわば <平和の使者> であるとともに戦争の <大きな影> をも背負っているということなのだ。

 私たちは、1950年から53年の朝鮮戦争のさ中に産まれたし、ベトナム戦争も知っている。 この2つの戦争には日本も深く関わっている。
 だから、70年のデモはベトナム反戦も大きなスローガンだったのだ。 それ故、団塊の世代が <社会問題> みたいな扱いをされると 「それはちょっと違うだろう?」 と思うのは、 そういう背景を考えれば元々はあの愚かな戦争のせいじゃないの?と反論したくなるのだ。 あの愚かな大戦争を始めた奴らの責任だ。

 だが、この人口の大集団は中学を卒業すると集団就職で大移動し、 受験戦争を生み、結婚してまた第2次ベビーブームを起こす。 その後の人口は先細る一方だ。 (因みに、1970年の大学進学率は30%に満たない。 つまり、中学高校卒業後に就職する子どもが圧倒的多数だった。 私の記憶では中学卒業後に就職する女の子を見送りに行ったことがある。)

 確かにいびつな人口集団だが、この連中はファッションや生活スタイルやサブカルチャーに影響を及ぼし、 国のかたちも変えたかもしれない。
 だから、単純な 『戦争を知らない子供たち』 ではないんです!

 母親の母性として、戦争中に国の政策で <産めよ殖やせよ!> (これはナチスの政策に倣ったものらしい。) と産んでも男の子なら兵隊に取られる。
 武器や兵器のように扱われて死ぬ確率の非常に高い命と、 平和で個人の幸せを求められる可能性が高い命とどちらを選ぶかは、人間の本能としても明らかだ。

 為政者や官僚は、人口という数字でしか国民を見ない。 一人ひとりの数字や命には名前が付いているのだ! それを忘れるな!(何故か、怒ってます。)

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 学生時代にデモに参加しても次の日の新聞には参加者数しか載らない。 その参加者の参加理由には様々あってももちろん、そんなことは論外だ。
 よく、岡林信康の 「私たちの〜」 という表現を拓郎が 「私は〜」 と個人的表現にしたと言われるが、 やはりいきなり 「私たち」 という集合や集団があるのではなく、まず 「私は」 が先なのが自然だと思う。

 それが、「私だけ」 になると我が儘になるが、先に集団があるのではなく、 一人ひとりが自立した集団が一番強いのです。
 だから、私がアイデンティティとか自己の確立を求め出した時に拓郎の歌が直球で入って来たのは ご理解いただけると思うのですよ。

 と、ここまでは前回の勢いで書いて行き詰まり、久し振りに 『ともだち』 を聴きました。 するとそれは、『原子心母』 のように聴こえたのです。 古びてセピア色になった白黒写真が新しく蘇った感じです。 白黒がカラーになったのではありません。 新鮮な白黒写真になったのです。
 音と匂いは、一瞬にして <その時> の記憶を呼び覚ます。 それは、目に見える映像や画像よりも深く脳裏に焼き付いているからかもしれない。

 1973年に就職して、まず買い揃えたいレコードはビートルズだった。 でも、1970年に完結したビートルズは急がなくてもいいと思った。 それよりは拓郎だ。 まず拓郎を揃えようと思った。
 ビートルズのアルバムは、経済的環境的にリアルタイムでは買えなかったが、 拓郎はリアルタイムで買えることがとても嬉しかった!

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 拓郎に対する親近感は、ビートルズの4人が1940〜43年の 戦争中生まれの歳の離れた近寄りがたい兄貴なのに対して、拓郎は少し上の兄貴だということだ。
 最近知ったが、あの元祖御三家の西郷輝彦と吉田拓郎は同学年で、同じ小学校に通っていたらしい。 驚いた! (拓郎は2年生まで在籍して広島に転校する。)

 17歳でデビューしていきなりスターになった西郷輝彦に対して、拓郎のデビューは1970年でもう24歳になっていた。 でも、そこからの <爆発> は凄かったのだ。 それはブレークという程度ではなくて、溜まりに溜まったマグマが大爆発した感じだった。 (そのマグマの正体を下記の拓郎本により知った。)

 それは、この度やっと読んだ小学館2007年発行、 田家 (たけ) 秀樹著 『小説吉田拓郎 いつも見ていた広島 ダウンタウンズ物語』 で、 小説とはいえ拓郎理解を深めたからだ。
 (やっと) というのは、リアルタイムで初版本を買っていたのに冒頭で挫折していたからだ。 いやあ、面白かったですね。 以後引用させて頂こうと思います。

 拓郎に対する私の興味関心は、ひとつは 「一見、豪快に見えて実は繊細で複雑な彼の性格形成の過程」 と、 もうひとつは「彼の音楽ルーツ」だ。 この2つが小説とはいえ大体は明らかになった。
 拓郎の父親は、鹿児島の郷土史研究家で家庭を顧みないで研究に打ち込む。 兄は東京の大学へ行きジャズピアニストを目指す。 拓郎は、母親と姉と3人で広島で暮らし、時折父親が来るが父親とは対立する。 (「おやじの唄」 にその複雑な心境が窺える。)

 つまり、拓郎一家は女家庭だということだ。 上が姉だと優しい男の子に育つというが、そもそも男の子と女の子では遊びの種類が異なる。 その上喘息持ちの虚弱体質だったから、周囲に神経を張り巡らせていたと推測される。

 人は、物心がついて小学校に行くまでは自分の家庭環境が全世界であり、それが <普通> だと認識する。 でも、小学校へ入るとそれは <普通> ではないことに気付かされる。
 そして、友だちの家へ行くと自分の家の <常識> は普遍的ではないことが分かってくる。 中学高校と、友だちを選ぶなかで自分の <普通> や <常識> を変えていかざるを得なくなる。 そうでないと友だちはできないからだ。

 大学まで行くと、全国から学生が集まって来るので方言からして異なり家庭環境も千差万別となる。 最初に入った木造の学生寮で、私と同部屋になった2人は、1人は北陸から来た浅黒い肌をした男の子で、 少しお坊ちゃん風だった。 彼が柱の釘に掛けていたジーパンを見たのが初めての 「ジーンズ (当時はジーパンと言っていたのです。) 体験」 だった。 その後私もジーパン党になるが、当時から結構高価でしたね。

 もう1人は、名古屋の方から来た色白の二十歳を越えたお兄さんだった。 彼は、サラリーマンを辞めて資格を取るために入学したと言っていて、 バイトして学費を稼いでいたので私は驚いた。 世の中いろんな家庭状況の人が居るものだ。 彼は、見た目全然かっこ良くないのにネクタイスーツ姿でやたらと女の子に持てた。 話が面白くてマメだからだと気付くのはかなり後からだ。

 3人の共通点はメガネをかけてることだけだった。 『世の中広いなあ〜!』 と、痛感したものだ。 このことから、アイデンティティとは、自分の <普通> や <常識> を壊しながら、 自分なりの価値観をつくりあげることではないかと思うのです。 (学生時代、私は勝手にアイデンティティを <存在証明> と訳していた。)

 この、『小説吉田拓郎 いつも見ていた広島 ダウンタウンズ物語』 は、まさにアイデンティティ確立の物語だ。 (しかし、最近はアイデンティティの確立といっても、例えば性の変更もあり得るので、 それほど重要なことではないのかな?とも思い始めたのです。)

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 中学時代は、虚弱体質で目立たなかった拓郎が、高校生になるとギターで曲作りを始め大学でバンドを結成する。 それの最終型がダウンタウンズだ。 そして、広島フォーク村をつくる1968年暮れまでの物語だ。 それまでに、バンドを売り込みに東京まで出掛けたり、拓郎ひとり千葉のお寺に半年間居候したりする。 まさに、青春彷徨物語である。

 拓郎がバンド志向とは意外だった。 集団行動が苦手な私にとって、何人かをまとめるのは気疲れするだろうと思う。 しかし、女家庭に育った拓郎はその気遣いを自然にできたのかもしれない。 それと、ダウンタウンズのメンバーは家庭的に恵まれてなかったし、原爆の影を引きずっていた。 拓郎にしても、父親が帰って来ると友だちの家に避難?していたから、 ジョージ・ハリスン以外は家庭的に恵まれなかったビートルズのメンバーに似ている。 そういう心の結び付きは強い絆を生む。

 この、バンド活動が拓郎の資質の基盤を築き上げたように思う。 細かい気遣いとバンドリーダーとしてのカリスマ性。 それにステージでのしゃべりの面白さ。
 意外だったのは、拓郎が母親の代理でお茶の先生をやる場面だ。 何だか笑ってしまったが、あのK先輩も学生時代茶道部に入っていて、 私は 『えっ、茶道ってどうなの?』 と思っていたが口には出さなかった。

 当時は、茶道華道は花嫁道具?のひとつと考えていたし、当時の私はロックと映画と詩が総てだったからだ。 しかし、大学近くの大徳寺は千利休と縁が深くて、 40代になると私はその大徳寺の中の枯山水が気に入り通うことになる。 でも、学生時代にはただの通り道のお寺だった。 寺の境内は夜中に中華料理店に行く近道に過ぎず、真っ暗な道を走り抜けていた。

 拓郎の性格形成は、父親不在の女家庭から始まり、虚弱体質で友だちに助けられて中学に通い、 高校で音楽に目覚めて好きな女の子に自作曲を渡す。 大学でバンド活動を始めて楽器店の音楽教室に通い、コンテストに出場して注目を浴びるが、 メンバーの卒業を目前にして進路でギクシャクする。

 と、いうのが 『小説吉田拓郎〜』 のあらすじで、拓郎が音楽によって変わったのは明らかだが、 繊細にして大胆になり、そして大人に対する不信から複雑な性格を形作ったように思う。 だから芸能プロダクションからデビューしなかった。 大人に対する不信は、父親との関係が大きいと思う。

 そして、私の最大の関心事である拓郎の音楽ルーツは多岐に渡っている。
 私は、拓郎はボブ・ディランひと筋と思っていたが、どうも拓郎はバンドとソロを分けていたようだ。 ダウンタウンズのレパートリーは、ベーシックにはエルビスのロカビリーやビーチボーイズのハーモニーがあり、 そこにビートルズ、ストーンズのロックが加味される。

 そして、当時流行りのステッペンウルフやヴァニラ・ファッジのアートロック、オーティス・レディング、 サム&デイブ、ウィルソン・ピケットのR&B・ブラック・ミュージック。 それに、ジェファーソン・エアプレーン、ジミヘンのサイケデリック・ロック、 バンドの終わりの方ではキーボードを入れてプロコフハルムの 「青い影」 まで演奏していたのだ。
 誠に嬉しいことには、このダウンタウンズのレパートリーは私の好みとピッタリ一致するのだ! (えー!と驚き叫んだ。)

  ★

 拓郎のスゴさは、バンド活動で培ったこれらの音楽が彼のオリジナル作品のすそ野になっていることで、 言うまでもなくすそ野が広いほど高い山ができる。 そして、彼は高校時代から曲作りを始めオリジナル曲を5種類のカセットテープに分けていた。

 1. 歌謡曲 2. フォーク 3. ロックンロール 4. 演奏曲 5. ダウンタウンズオリジナルだ。 それぞれのテープに100曲は入っていたらしい。 スゴいストックではないですか!
 これは拓郎の <思春期の証 (あかし) > だったし、 後年、拓郎がアイドルたちに楽曲を提供する礎はすでにこの頃できていたのだ。

 結局、拓郎はダウンタウンズのメンバーと別れて上京し、 マイナーレーベルのエレックレコードの契約社員となりレコードデビューすることになる。
 実は、このアルバム 『ともだち』 は拓郎のデビューアルバムではない。 1970年11月1日に 『青春の詩 (うた)』 を出している。 いや、その前、1970年4月11日には上智大学全共闘とエレックレコード共同制作による 『古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう』 を出していて、 このオムニバス作品で拓郎は3曲歌っていてその内の1曲が 『イメージの詩 (うた)』 で、 拓郎は24歳になったばかりだった。

 この、長いタイトルのアルバムを友だちの家で見付けて貸して欲しいと頼んだが、 果たせなくてずっと心に引っ掛かっていたが、この度ディスクユニオンでやっと手に入れた!

  ★

 この、1970年から1973年までの拓郎のレコード発売順はちょっと複雑なのでまとめてみたい。 それはレコード会社が拓郎の許可を得ないで発売した経緯もあるからだ。 まだミュージシャン側の権利が確立されてなかったこともある。 だから、後年拓郎が自分のレコード会社を立ち上げた理由も理解できる。


 1970年
  4月11日 オムニバスアルバム 『古い船をいま動かせる古い水夫じゃないだろう』
  6月1日 シングル 「イメージの詩」
  11月1日 アルバム 『青春の詩』

 1971年
  4月25日 シングル 「青春の詩」
  6月27日 アルバム 『よしだたくろうオンステージ (1) ともだち』
  7月21日 シングル 「今日までそして明日から」
  11月20日 アルバム 『人間なんて』

 1972年
  1月21日 シングル 「結婚しようよ」
  7月21日 アルバム 『元気です』 (ここからメジャーレーベルのCBSソニーになる。)
  12月25日 2枚組アルバム 『たくろうオンステージ(2) 第2集』
  (エレックレコードが勝手に?出した作品集で、それなりに参考にはなる。)

 1973年
  6月1日 アルバム 『伽草子』 (CBS ソニー)


 私の <拓郎史> では、ここまでが一区切りです。 マイナーからメジャーへと爆発します。

 あ〜あ、また楽曲に行けなかった! 申し訳ありません。 楽曲は、次回にします。それとデビューアルバムの 『青春の詩』 と 『たくろうオンステージ第2集』 についても書きます。


                                  (2018年4月17日掲載)

                               これまでの 「レコードの溝」は こちら です。
常連さんのリレー連載 「本を繋げて」 第41回 特別編  福田光夫 「泉川駅史稿」 (先行公開版)
 豊文堂書店の常連さんが書き手にまわる 「本を繋げて」 という連載コラムを設けました。
 本に魅入られ、ときに格闘しながら、歩みをともにしてきた方々が、とっておきの話を持ち寄ってくださいます。 いずれも広い意味での 「発見」 にまつわる物語になるでしょう。
 本を繋げて人を繋いで、読書の愉しみ、探書の悦びが少しでも身近になりますように。

               ×                 ×                 ×


 「本を繋げて」 の特別編として、根室市在住の福田光夫さんによる 「泉川駅史考」 (先行公開版) を掲載いたします。

 北海道東部のとある駅と町のかかわりを見つめた貴重な論考であるのは勿論のこと、 福田さんの少年期の幸福な思い出と結びついた、これだけは書き残しておきたいという使命のようなものがお分かりいただけるかと思います。
 また、本編がこの時期に発表される背景には、 JR北海道が北海道新幹線開通の裏で進める赤字路線の廃止検討策への懸念も見てとれるでしょう (福田さんは3月下旬に廃止される花咲駅の駅史を現在編纂中とのこと。 追記: 『花咲駅史 1921.8.5-2016.3.25』 は2016年10月初旬に刊行されました)。

 今回発表分は先行公開版だということですが、追加情報を加えた完全版の執筆も構想しておられます。
 長文のため、中盤以降は別ページにリンクを貼ってお読みいただけるようにしました。 画像はクリックすると拡大できます。 ぜひ最後までお付き合いください。



 第41回 特別編 「泉川駅史稿 (先行公開版 2015.1.6 現在)
                                              福田光夫 ・ 文


  ■はじめに

 平成元 (1989) 年4月29日、根釧台地の発展を支えてきた標津線が廃止された。 人々の夢や希望、あるいは絶望を運び続けた標津線の全貌は、個々の記憶や映像類、 同年に発行された 「彩雲鉄道 標津線56年の歩み」 等をもって、今も語り継がれてきている。
 そんな標津線の駅のひとつに 「泉川駅」 がある。 正真正銘、本物の僻地にあった駅である。 この駅に愛着を感じている人たちは、当時、住んでいた人たちか、秘境駅として訪れたことのある特定の鉄道マニアしかいないだろう。

平成元年4月29日の泉川駅。(クリックすると 拡大します)

 「泉川駅」 のあった市街地は戦後、急速に発展し、急速に萎んでいった特異な歴史を持つ。 今は、市街地部分は消失し、点在する酪農家が泉川を支えている。
 まだ市街地が少し残っていた昭和40年代に、父親の転勤の都合で、 小学校2年から6年生までの5年間、駅の近くに住んでいた者が駅史をまとめてみた。

 私は、昭和49 (1974) 年3月に廃校となった泉川小学校、最後の卒業生8人のなかの一人であったことを先に書いておく。
 泉川小学校の校歌は 「根室広野の樹木 (きぎ) あおく…」 で始まる。
 「泉川駅」 とは、そんな場所に、ポツリと出現し、ひっそり消えていった。 戦後70年のなかで辿った 寂しい駅の物語である。


  ■標津線の全線開通

 「泉川駅」 を語る前に、標津線全体のことを簡単に解説する。
 標津線は 「標茶駅」 と 「根室標津駅」 を結ぶ横の線 (69.4km 全線開通前は標茶-中標津間を標茶線と呼称) と、 「中標津駅」 と 「厚床駅」 を結ぶ縦の線 (47.5km) がT字状になっていた。 根釧台地に入植した人々の動脈路として、生活や産業を支えてきた。

「中標津西別間鉄道開通記念ゑはがき」袋の表紙。(クリックすると 拡大します)

 昭和9 (1934) 年10月発行の祝標津線開通記念 「新根室41号」 によると、 大正10 (1921) 年に根室本線が根室駅まで開通するや、直ちに本格的な標津線の建設運動が始まった。 翌大正11 (1922) 年4月法律第37号鉄道敷設法中に 「根室厚床附近より標津を経て北見国斜里に至る鉄道」、 即ち根室原野縦断鉄道が予定されるに至った。

 最初に開通したのが、「厚床駅」 と 「西別駅」 間で、昭和8 (1933) 年12月1日に開通した。 次いで 「西別駅」 と 「中標津駅」 間が、昭和9 (1934) 年10月1日に開通し、縦の線ができた。 もともとは、「厚床駅」 から 「根室標津駅」 までが標津線の名称だった。 「標茶駅」 と 「中標津駅」 間の路線は、後で追加され、奥地の拓殖事業の推進に対応したものだった。
 次に 「標茶駅」 と 「計根別駅」 間が昭和11 (1936) 年10月29日に開通し、 「根室標津駅」 までの全線開通は、昭和12 (1937) 年10月30日のことだった。

 当時の標津村が発行した 「中標津西別間鉄道開通記念ゑはがき」 が手元にあるので、 袋の表紙と、封入されていた4枚の絵葉書を掲載した。 袋の表紙にある地図を見ると、標茶−標津間が開通していない。 標津線と関係のない写真もあるが、中標津地域の 「ご自慢」 が何であったのか、分かるので掲載した。 なお、鉄道マニアにとってバイブルの 「彩雲鉄道 標津線56年の歩み」 には、いずれも未収録の資料である。

中標津駅。(クリックすると 拡大します) 標津市街全景。(クリックすると 拡大します) 養老牛温泉。(クリックすると 拡大します) 農事試験場根室支場。(クリックすると 拡大します)

 全線が開通した際には、鉄道省北海道建設事務所が 「標津線標茶線全通記念絵葉書」 を発行している。 袋の裏面が建設要覧になっており、線路平面図1葉や絵葉書4枚が封入されていた。 こちらは 「彩雲鉄道 標津線56年の歩み」 にも白黒写真で掲載されているが、ここでは、袋の両面と絵葉書4枚を掲載した。

「標津線標茶線全通記念絵葉書」袋の表面。(クリックすると 拡大します)

 袋の表側の絵は、国後島に向かっていくようなSLの後ろ姿が旅愁を誘う。 まさか、その8年後、ソ連に不法占拠されてしまうとは、誰も予想はしていなかっただろう。 今見ると、何か苦難を暗示しているかのような図柄だ。 裏の建設要覧は、標津線の建設事情を知るための第1級資料である。

「標津線標茶線全通記念絵葉書」袋の裏面・建設要覧。(クリックすると 拡大します)

 (建設要覧は、標津線と標茶線に分かれている。なぜ、標津線に統一されたのか調査中)

 なお、私の手元にあるのは、線路平面図が欠落している。 地図を見たい方は、「彩雲鉄道 標津線56年の歩み」 を参照願いたい。 その代わり、この駅史のおまけとして、バイブルの方には未収録の 「尾岱沼の蝦取船」 絵葉書を掲載した。 「尾袋沼」 と誤植がある。 直接、標津線とは関係ないので、掲載しなかったのだろう。

根室標津停車場。(クリックすると 拡大します) 標津線第二標津川橋梁。(クリックすると 拡大します) 標茶線十六粁附近直線路。(クリックすると 拡大します) 尾岱沼の蝦取船。(クリックすると 拡大します)

  ■泉川の地域史と駅の誕生

 別海町と厚岸町及び標茶町の境界線近くあった 「泉川駅」 は、「標茶駅」 の東隣の駅となるが、 間には 「多和乗降場」 (標茶駅から2.6km) があった。 「泉川」 の東隣の駅は、昭和42 (1967) 年4月1日に、地域の請願によって開設された 「光進駅」 で、終始、駅員無配置だった駅である。
 「泉川駅」 は、標津線の全線開通から7年後の昭和19 (1944) 年5月1日、 まずは仮信号所として開設され、同27 (1952) 年3月25日、一般駅に昇格した。

                            クリックすると つづきをお読みいただけます


                                            (2016年2月1日掲載)
随筆再録 第12回 「近未来の釧路市北大通繁盛記」 豊文堂書店 店主 豊川俊英 ・ 文
  近未来の釧路市北大通繁盛記   一古書店主の夢想
                                    豊文堂書店 店主 豊川俊英 ・ 文


 ――賑わっている。
 釧路駅から幣舞橋、それに橋向こうの南大通りの3軒をいれると、 この地区には何と25軒の古本屋が出来てさらに出店予定が4軒、 また全国チェーンの大型新古書店も進出を窺っているとの噂だった。
 北大通周辺はホテル街と古本屋街、それに従来よりの銀行・金融機関、各種公共施設、民間企業、個人商店がうまく絡み合って、 今や 「北の神田」 「北海道古本特区」 と呼ばれ、日本中より本好きを集めていた。

 JRや航空各社も競ってツアー商品を企画している。
 HACの 「函館・旭川・釧路、古本・温泉満喫の旅」、JALとANAも 「知床・釧路湿原・阿寒観光、古本探索ツアー」、 JRはお得意の3輌のSLを使って、根室―網走迄の特別列車 「SL古本号」 だ。 書棚のついた特別車輌を連結して車内販売もしております。
 来春には東京〜釧路間のフェリーも復活が決まった。 首都圏から自転車やバイク、乗用車で沢山の人が来るだろう。

 北大通商店街は確実に昔々の賑わいを取り戻しつつある。
 空き店舗に手頃になった家賃の魅力で若い人がここ7、8年の間にどんどん開業して増殖したのだ。
 古本のインターネット全盛時代は一服し、商売はやはり対面販売でという社会の変化と、 小さくても個性のある品揃えの店に再びお客さんが戻って来たのである。 オタク的な店主もいるが、その 「オタク」 を専門にしてしまったのである。

 高齢者や障害のある方にも配慮して手すりをつけ段差がなく、 店内を自由に見れる店も3軒あり各店ごとにトイレや休憩所も整備中である。 観光案内、荷物の一時預り、みやげ物販売、古本屋案内も兼ねた 「道の駅」 もあり好評である。 アジア各国からのお客様にも対応出来るようだ。

 駐車場のスペースが確保出来ない等の理由で、出店が遅れていたコンビニ業界も、今は各社が進出し競っている。 新刊書店の大手 「トーチャンゴー」 も40歳以上のお客様に的を絞った新店を現在十字街に建設中である。
 かつて中心街を運行していたあの懐かしの 「くるりん」 も 「こしょりん」 と名前を変えて元気に走っている。 現在は3台が稼動中であり、大切な足となっている。
 古本好きは地味ではあるが確実な滞在型であり1泊・2泊して地域の経済に大いに貢献してくれています。

 高速道路も整備されて出入口の阿寒は、重要な第2の古本屋地帯になろうとしている。 自然の中の樹々に囲まれた静かな地域に、主に美術関係を扱う店が数軒出来て、 一緒に進出して来た骨董店、レストランとミックスして軽井沢のような地域になってきた。 温泉もあり何といっても釧路空港に近いのが、最大の利点であるようだ。

 一方、阿寒湖畔の各ホテルもこの釧路・阿寒の動きを黙って見逃すはずはなかった。 温泉街にも古本屋が出来て、老舗のあるホテルは2つある宴会場の1つをつぶし、ホテル内にちょっとした古書店街を作った。 神田の古本屋もテナントとして頑張っている。

 都心部の栄町にはさらに古書会館が出来て、内外から業者が集まり週に2日はセリ・交換会が行われている。 会館の2、3階は釧公大、釧教大、釧路短大、釧路高専のゼミの学外教室となり、交代でうまく使って交流を深めていた。 若い人もどんどんこの北大通周辺を闊歩するようになって、街が息を吹き返してゆくのが手に取るように分かった。
 周辺では急ピッチで若者向けのアパート・マンション、そして対照的ではあるが高齢者向けのマンションも建設中である。

 ここで古本屋街の各店を紹介してみよう。
 釧路駅前には鉄道・交通専門店の 「SL釧路」、少し行くと文学・郷土誌専門の 「サビタ書房」 と 「豊文堂書店」、 1本裏通りに写真・美術専門の 「キャパ書院」、SF・コミック・サブカルチャー専門の 「ウルトラアトム」、 十字街には絶版文庫専門の 「久寿里文庫」、MOOの中には自然関係、 特に鳥類が専門の 「鶴屋書房」と、鯨や魚類専門の 「鯨書房」・・・。

 ほかの映画館も紹介しよう。 小さいながら3館あります。
 名作と古いアニメ専門の 「釧路名画座」、「北8シネマ」 は古本・中古レコード・ビデオ・CD・DVDも販売し、洋画も上映しています。 「大人の映画館」 はそのまま、昔の日活映画を中心にちょっと色っぽい映画を上映、何とかやっています。
 ――いい時代になりました。

 (「釧路新聞」 平成17年 (2005年) 11月14日 (月) 付紙面より再録。 掲載にあたり、適宜段落空けを増やし句読点などを加えています)


  <現在の執筆者より>
 「俺が書いたやつで最高ケッサクだ!!」 「SFだって言ってんのに、真に受けてどこにそんなにたくさん古本屋があるんですかって訊いてきた、そそっかしいのがいたな」



                                          (2013年11月24日掲載)

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